映画「デッド・ドント・ダイ」を見る(感想)

デッド・ドント・ダイ  THE DEAD DON'T DIE
2020年 アメリカ 104分
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:クリフ・ロバートソン(警察署長。ビル・マーレイ)、ロニー・ピーターソン(巡査。アダム・ドライバー)、ミンディ・モリソン(巡査。クロエ・セヴィニー)、ゼルダ・ウィンストン(葬儀屋。ティルダ・スウィントン)、フランク(農夫。スティーヴ・ブシェミ)、ボビー(雑貨屋。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)、ハンク(ダニー・グローヴァー)、RZA(ディーン)、フェーン(ダイナー店長。エスター・バリント)、ステラ(少年更生施設院生。マヤ・デルモント)、オリヴィア(少年更生施設院生。タリヤ・ウィティカー)、ジェロニモ(少年更生施設院生。ジャヒ・ディアロ・ウィンストン)、ゾーイ(都会の若者。セレーナ・ゴメス)、ジャック(都会の若者。オースティン・バトラー)、ザック(都会の若者。ルカ・サバト)、世捨て人ボブ(トム・ウェイツ
コーヒー・ゾンビ男(イギー・ポップ)、コーヒー・ゾンビ女(サラ・ドライバー)、マロリー/シャルドネゾンビ(キャロル・ケイン)
唄:「デッド・ドント・ダイ」スタージル・シンプソン

★ネタバレしてます! 

 

コロナ感染拡大防止の非常事態宣言が解除され、やっと映画館で映画を見られるようになって見た最初の作品は、ジャームッシュ監督によるゾンビ映画
極地での大掛かりな工事によって、地球の地軸がずれ、各地で異常現象が発生しているというニュースが流れる。警官が3人しかいないアメリカの田舎町センタービルでも、鳥や猫がいなくなり、アリが巣に向かわず右往左往し、スマホや時計が壊れ、夜になっても日が暮れず、昼になっても日が射さないといった不穏な現象が続く中、ついに墓の中から死体たちが続々と蘇り、ゾンビ集団となって住人たちを襲う。
ちょっとくたびれ気味の初老の警察署長クリフ、マッチョで合理的で異常事態にもあまり動じることなく淡々と対処する青年警官ロニー、メガネが似合い細身でまっとうに感情を表す女性警官ミンディの3人の警官を初め、森で暮らす世捨て人ボブ、嫌われ者の農夫フランク、雑貨屋の店員でオタクのボビー、何屋か忘れたけどダイナーの常連のハンク、なぜか日本刀を手に立ち回る謎の女葬儀屋ゼルダ、ダイナーの経営者とそれを手伝う女性二人、少年更生施設の3人のティーンエイジャーたち(この3人はたぶん最後の希望である)、都会からやってきた旅行者の3人の若者たちなど、登場する人たちがユニークに味わい深く紹介される。
ある夜、ゾンビが墓の中から出てきてダイナーに侵入し、店の女性二人を襲う。翌朝、ハンクが2人の死体を発見、知らせをうけた警官3人は、クリフ、ロニー、ミンディの順に、それぞれの車で猛スピードでやってきて、ダイナーの駐車場に乗り付け、入口で「死体がある」と言われて、死体を観に行き、そのたびには女性二人のはらわたをえぐられた凄惨な死体がいちいち一人ずつ映しだされ、それを見た警官は入口に戻ってからそれぞれの反応をしてみせる。私としては、この映画の独特の味わいとテンポはここが一番楽しめたように思う。
そのあとゾンビの大群が襲来し、旅の若者や町の人たちが次々に襲われていき、警官3人もパトカーの中から出られなくなり、最後は墓場での対決となるも多勢に無勢の圧倒的に不利な状態に陥るのだった。
こうゆうのをオフビートな展開というのだろうか。ゼルダは可笑しいが、ちょっとマンガ的すぎた。映画ネタがちょこちょこ出てきて、「スター・ウォーズ」最新シリーズのカイロ・レンのアダム・ドライヴァーのロニーに向かって、ゼルダが「『スター・ウォーズ』はいい映画ね」とほめるなど狙いはあざといがでもやっぱり可笑しいし、彼が何度も何度も「まずい結末になる」とつぶやくのは、「いやな予感がする」という「スター・ウォーズ」で必ず誰かが言うことになっているセリフを思わせる。ロニーが冷静に容赦なくゾンビ化した知り合いの首をぶった切っていくのは、壮快である。
が、ゾンビは、凶暴な野生の熊とか脱走した凶悪犯一味なみに、すでに普通に在るものとして扱われ、ゾンビたちの造形や動きやコミカルな面も既存のイメージに頼るところ大で特に目新しさが感じられず、ゾンビたちが出てきてからは出てくる前ほど見ていてわくわくしなかったというのが正直なところである。

フランスの映画「仁義」を見直す

仁義 LE CERCLE ROUGE / THE RED CIRCLE
1970年 フランス 140分
監督:ジャン=ピエール・メルヴィル
出演:コーレイ(アラン・ドロン)、ボージェル(ジャン・マリア・ボロンテ)、ジャンセン(イヴ・モンタン)、サンティ(フランソワ・ペリエ)、故買人(ポール・クローシェ)、看守長(ピエール・コレット)、マッティ警視(アンドレブールヴィル)、監察官(ポール・アミオット)、リコ(アンドレ・エキナン)
製作:コロナ・フィルム

コロナ感染防止のための自粛でステイホームを実行し、ちょっと前に録画したのを久しぶりに見た。中身とはまったく関係ないのだけど、冒頭いきなり「CORONA PRESENTS」って出て驚いた。製作したところがコロナフィルムというのだった。

とてもよいけどちょっと変な映画という印象だけあって、中身はほとんど忘れていた。
アラン・ドロンとジャン・マリア・ボロンテとイヴ・モンタンら犯罪に手を染めた男たちが強盗を計画・実行する話で、ボロンテが車のトランクに隠れているってことと、モンタンがアル中で爬虫類の幻覚に苦しみつつも狙撃の名手でなんか調合して特殊な弾をつくって(その経過が波打ったちょっと不思議なワイプ画面でつながれていたことも記憶通りだった)ライフルで鍵穴を撃って金庫を開錠するところ(今回見たら三脚にライフルをつけて高さを調整しときながら結局手持ちで撃っていたのだった)くらいしか覚えていなかったのだが、今見てもおもしろかった。
特に、コーレイ(ドロン)とボージェル(ボロンテ)の出会いのシーン。みているうちに思い出してきて、かなり好きなシーンだったことも思い出した。
出所したコーレイが元ボスからせしめた現金で買った車に乗ってパリに向かう途中、レストランで食事を取る。一方、列車で刑事に護送されていた犯罪者のボージェルは列車から飛び降りて脱走し、森を抜け、レストランの駐車場に駐車していたコーレイの車のトランクに隠れる。検問を抜け、人気のない原っぱでコーレイは車を止め、「出てこい」という(コーレイはラジオで放送されていた逃走犯がトランク潜んでいることに気づいていたのだ)。ボージェルはトランクから銃口を向けて出てくる。ことばを交わしたあと、銃をつきつけているボロンテにドロンがたばこのパッケージとライターを投げる。ボロンテは、たばこを受け取り、銃口を下げて地面に落ちたライターを拾い、たばこを吸う。で、二人は組むことになり、ボージェはたばこを吸ったままトランクに戻るのだった。たばこが男と男の心の交わりを描く重要な小道具となりえた、いい場面だ。

ちょっと違う映画の話になるが、アラン・ドロンと言えば、「さらば友よ」(1968年)でブロンソンとたばこの火を分かちあうラストーシーンも思い出される。中学生か高校生のころテレビで見て、その渋さ、かっこよさにぞくぞくしたものだ。
こういうシーンはもう作られないだろうか。思い着く限りでは、「荒野の七人」のリメイク「マグニフィセント・セブン」(2016年)で、瀕死のジョシュ(クリス・プラッド)に、敵方の無名のガンマンがたばこをくわえさせ一服させてやるというシーンがあった。だが、喫煙シーンが敬遠されがちな最近の状況においては、たばこのやりとりなどもうあまり見られそうになく、そう思うとさびしい。たばこ代わりにミントやのど飴を分かち合っても絵にならなさそうである。

コーライが出所して向かったビリヤード屋のビリヤードが、エイトボールでなく、赤と白の玉を使う4つ玉だったのもなつかしかった。(そのあとエイトボールの台もでてきたが、コーレイがやったのは四つ玉。)

 

仁義 [DVD]

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  • 発売日: 2012/05/09
  • メディア: DVD
 

 

映画「ミッドサマー」を見る(感想)

ミッドサマー MIDSOMMAR
2019年 アメリカ・スウェーデン 147分
監督:アリ・アスター
出演:ダニー(フローレンス・ピュー)、クリスチャン(ダニーの恋人。ジャック・レイナー)、マーク(クリスチャンの友人。ウィル・ポーター)、ジョシュ(クリスチャンの友人。ウィリアム・ジャクソン・ハーパー)、ペレ(クリスチャンの友人。ホルガ出身の留学生。ヴィルヘルム・ブログレン)、サイモン(アーチー・マデクウィ)、コニー(エローラ・トーチア)、ウルフ(ヘンリク・ノーレン)、シヴ(グンネル・フレッド)、マヤ(イサベル・グリル)、イングマール(ハンプス・ハルベリ)、ダン(ビョルン・アンドレセン

★ネタバレ的な記述がありますので注意!

 

アメリカの大学生ダニーは、精神障害を持つ妹による心中事件で両親と妹を一度に失くしてしまう。彼女の恋人クリスチャンは、傷ついた彼女に同情しつつも気持ちは冷めかけていたのだが、男子学生だけで行くはずだったスウェーデン旅行に彼女を誘い、結局みんなで行くことに。

彼らが向かったのは、仲間の一人、留学生のペレの生まれ故郷である、スウェーデン奥地の小さな集落ホルガだった。そこでは、90年に一度の夏至祭の儀式が行われることになっていて、学生たちは卒業論文の題材になるのではという期待も抱いていたのだ。村には、他にも外部の学生カップルが招待されていた。

日没のない百夜の季節、緑あふれ、色とりどりの花が咲き乱れる村では、白い衣装に身を包んだ村の老若男女が、彼らを笑顔で迎え歓待してくれた。しかし、儀式は何日間にもわたって続き、次第に異様さを増していく。外部から訪れた若者たちは、一人また一人と姿を消していくのだった。

ダニーが、彼氏に思ったことをはっきり言えずそのくせずっとわだかまっているという少々面倒くさい女の子であり、彼氏のクリスチャンはけっこう自分本位でしかもそのことを自覚していないというか気にもかけていない青年である。この二人の性格がわかりやすく描けていると思った。

楽園のような村で、人々のファンシーな装いとは裏腹に行われるおぞましく残酷な儀式。しかし、そうした設定にあまり目新しさは感じられず、えぐい展開も予想の範囲を超えなかった。
血塗られた儀式が厳かに執り行われていく様子は、最近あまり見ないが、昔見た芸術系のヨーロッパ映画っぽい感じがして、たまにはこうゆうのを観といてもいいかなとは思うが、そんなに好きではない。

強いて言えば、ずっと白昼というのがよかった。

ジャンゴ(映画「続・荒野の用心棒」)を映画館で見る(感想)

続・荒野の用心棒 DJANGO

1966年 イタリア・スペイン  92分

監督:セルジオ・コルブッチ

出演:ジャンゴ(フランコ・ネロ)、マリア(ロレダナ・ヌシアック)、ウーゴ・ロドリゲス将軍(ホセ・ボダロ)、ナタニエル(アンジェル・アルバレス)、ジャクソン少佐(エドゥアルド・ファヤルド)、ジョナサン神父(ジーノ・ペルーチ)

シネマート新宿で上映したので、見に行く。映画館のロビーには、劇場スタッフ手づくりの棺桶が置いてあった。

劇場での鑑賞は初めてで、鐘が鳴って曲が流れ、歌ががんがん響く中、棺桶引きずったジャンゴが登場するシーンを大スクリーンで見る、という幸せに酔いしれた。

つっこみどころは多いが、なんとも勢いがある映画で、終始わくわくしながら楽しんだ。

こんなことを書くと、マカロニファンからは何をいまさらと言われそうだが、今回初めて、ラストでジャンゴが盾にする墓が、死んだ妻か恋人の墓であると気づいた。なぜこの墓を選んだのか、位置的によかったのか、それとも十字架についている金具が銃を支えやすかったのか、と考えているうちに、ひょっとしてこれは、前半出てきた死んだ伴侶の墓なのではないかと気づいたのだった。墓標に記された「メルセデス」という女性名とそれらしい年代が読み取れた。あんな手であんな人数(ちょうど弾の数)を相手に勝てたのは、彼女が力を貸していたからなのだと勝手に解釈して一人うなずくのだった。

この映画はまた、西部劇だろうが、幕末だろうが、近年「あれを出せ」と言えばこれというくらいポピュラーになったガトリング銃を最初に見た映画でもある。今回見たら、ジャンゴは、ハンドルを回していない。大分昔、テレビでみたときも両手で抱えてたような気がするが、その後ガトリング銃はハンドルを回すものだと知ったので、回していたんだろうなと思っていたのだが、今日みたら、やっぱり両手でしっかり抱えていた。二階堂卓也氏による字幕も「ガトリング銃」ではなく「機関銃」となっていた。とSNSに書いたら、詳しい友人Gさんが、「多銃身を回転させて連続発射させるのがガトリングガン(「マグニフィセント・セブン」)で、ジャンゴのは外見はマシンガン(「ワイルドバンチ」など)なんですが、銃口が蜂の巣のようになっていて「ジャンゴ・マシンガン」と呼ばれフランスのミトライユーズ砲を参考にしているのではとも言われています」とマニアな回答をくれた。

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シネマート新宿の展示



 

話題の映画「パラサイト」を受賞前に見る(感想)

パラサイト 半地下の家族 PARASITE
2019年 韓国  132分
監督:ポン・ジュノ
出演:キム・ギテク(父。ソン・ガンホ)、キム・ギウ(息子(兄)。チェ・ウシク)、キム・ギジョン(娘(妹)。パク・ソダム)、チュンスク(母。チャン・ヘジン)
パク・ドンイク(IT企業の社長。イ・ソンギュン)、パク・ヨンギョ(パクの妻。チョ・ヨジョン)、パク・ダヘ(パクの娘(姉)。チョン・ジソ)、パク・ダソン(パクの息子(弟)。チョン・ヒョンジュン)
ムングァン(家政婦。イ・ジョンウン)、グンセ(ムングァンの夫。パク・ミョンフン)
ミニョク(ギウの友人の大学生。パク・ソジュン)

★決定的なことは書いてませんが、映画の内容に触れています!★

アカデミー受賞発表直前に見る。
韓国映画は、ほとんど見たことがなく、「シュリ」グエムル」に続いて3本目くらい。切ないはずなのになんとも愉快でとぼけた感じの家族の描き方が「グエムル」に似ているなと思ったら、同じ監督だった。
息子ギウが豪邸に住むIT企業の社長パクの娘ダヘの家庭教師になったのをきっかけに、妹のギジョンは小学生の息子ダソンの絵の教師兼セラピーに、父ギテクはパクの運転手に、母チュンスクは家政婦にと、お互いの関係を隠して、一家全員が金持ちの家に「寄生」していく前半から、彼らの悪だくみで不当に追い出された元家政婦ムングァンの乱入による意外な展開、大波乱、そしてエピローグへと、めちゃくちゃそうだが、実はかっちりした作りになっている。
スマホの送信ボタンが、まるで銃のような武器代わりになるところが可笑しかった。韓国でも、北朝鮮の女性アナウンサーの物まねが受けることがわかって新鮮だった。
ダソンが幽霊を見たこととインディアンとキャンプにかぶれていることとモールス信号を知っていることはなんらかの展開につながるのかと思ったが、なにもなかった。
大雨のシーンはすごかった。迫力があった。
ギウが山水景石の岩を持ち歩くのがよかった。
半地下の家の劣悪な住環境が画面からは今一つ伝わってこないのがちょっと残念だった。
最後にひとこと。最後のカットはない方がいいというのが家人の意見で、わたしもない方が間違いなくいい、余韻が全然ちがうとは思うが、ないとあれをあのまま受け取られるかもしれないという危惧からああしたのではないかと思うし、実際、そうしたらあれをあのまま受け取る観客は多いのではないかと思うのだがどうだろう。

映画「リチャード・ジュエル」を見る(感想)

リチャード・ジュエル RICHARD JEWELL

2019年 アメリカ 131分

監督:クリント・イーストウッド

出演:リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)、ワトソン・ブライアント(サム・ロックウェル)、ボビ・ジュエル(キャシー・ベイツ)、ナディア(ニナ・アリアンダ)、トム・ショウ(FBI捜査官。ジョン・ハム)、キャシー・スクラッグス(記者。オリヴィア・ワイルド

★注意!映画の内容についてバラしてます!★

1996年、アトランタ・オリンピック会期中に野外コンサート会場で起こった爆弾テロ事件を題材とする、実話に基づいたドラマ。

コンサート会場の警備員リチャード・ジュエルは、コンサートの夜、ベンチの下にある不審なリュックに気づく。中には爆弾がしかけられており、爆弾を発見して多くの人々の命を救った彼は、一躍ヒーローとしてマスコミの脚光を浴びる。が、FBIは、捜査の過程で第一発見者の彼を容疑者として疑い始める。逮捕前にも関わらず、そのことを知った新聞記者のスラッグスは、彼を容疑者とする特ダネ記事を書く。ヒーローから一転、犯罪者とみなされたリチャードは、マスコミの一斉攻撃を受け、全国民の非難の的となる。いっしょに暮らす母と、以前の職場で顔見知りとなった弁護士のワトソンが、彼の無実を信じ、味方となる。ワトソンだけでなく、老いた母のボビがリチャードを助けるため、大きな役割を果たすこととなる。

英雄から糾弾される側になってしまった男の窮地というと、「ハドソン川の奇跡」と同じ設定であるが、あの映画の主役の機長は、社会的地位も人望もある人だったのに対し、リチャードはどうも分が悪い。彼は、警察官にあこがれ、独学で法律を勉強し、一時期郡だか州だかの保安官補を務めたこともあり、オリンピックの前は大学の警備員をしていたが、学生に対する過剰な態度が原因で解雇されてしまったのだった。彼なりに強い正義感を持っているのだが、世間とうまく折り合えない、一生懸命なんだけど困った人という感じだ。やたら銃器をため込んでいる銃器オタクで、見た目もとても太っていて鈍重そうである。この人に感情移入できるだろうかとちょっと不安になるような人である。それが見ているうちに、肩入れしていってしまうからさすがだ。リチャードは、自分を陥れようとしているFBI捜査官に対してさえ、あこがれと羨望の念を抱いていて、そういうところはなかなか複雑だ。ワトソンがいないところで彼らに乗せられて犯人の言葉をそのまま言って録音することに応じてしまうところなど、かなりはらはらした。FBIのやつらにへこへこするなとワトソンに喝を入れられ、強気に出るラストの取り調べのシーンは、クライマックスとしては、かなり地味なのに、痛快である。

立派な警官にあこがれる不器用なやつということで、リチャードと体形はちがうが「スリー・ビルボード」に出てきたちょっと過激な警官のことを思い出した。思いが空回りして変な方向を向いてしまうところが似ていると感じたのかもしれない。役者の顔もあまりはっきりとは覚えていなかったのだが、後からその役をやったのが今回ワトソンを演じたサム・ロックウェルだと知ってちょっと不思議な気がした。今回は、孤立無援のリチャードを助ける、冷静で一本筋の通ったベテラン弁護士を気持ちよさそうに演じていてよかった。

映画「フォードvsフェラーリ」を見る(感想)

フォードvsフェラーリ FORD V FERRARI LE MANS '66

2019年 アメリカ 153分
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:キャロル・シェルビー(マット・デイモン)、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)、
モリー・マイルズ(カトリーナ・バルフ)、ピーター・マイルズ(ノア・ジュープ)、フィル・レミントン(レイ・マッキン)、
リー・アイアコッカジョン・バーンサル)、ヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)、レオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)、エンツィオ・フェラーリ(レモ・ジローネ)

表題通り、ル・マン24時間レースの常勝車フェラーリにフォードが挑戦して、見事優勝を果たすまでの顛末を実話に基づいて描く。レースのことも車のこともほとんど何も知らないが、楽しめた。

1960年代後半。ル・マンで優勝経験のある唯一のアメリカ人レーサー、キャロル・シェルビーは、心臓疾患のため引退し、スポーツカーの製造会社を運営していた。ある日、フェラーリ社の買収に失敗したフォード社から、ル・マンで優勝できる車を造ってほしいという依頼がくる。シェルビーは、かねてより気になっていたイギリス人ドライバー、ケン・マイルズに声をかけ、二人はともにフォード車でのル・マン優勝を目指す。

引退を余儀なくされ裏方に回ったかつての花形レーサーのシェルビーと、ドライバーとしても技師としても際立つ能力を持ちながら人づきあいが苦手で性格に問題のあるケン・マイルズの、二人のぶつかりあいと友情だけでなく、フェラーリの創業者エンツォに田舎者呼ばわりされて激昂奮起するヘンリー・フォード二世や、その下で辣腕を振るうアイアコッカ(後のフォード社社長)、シェルビーの会社のスタッフたちなど、働く男たちの意地が随所に見られる。久々の、壮快な男騒ぎの映画である。

腕はたつけど人として問題があるやつが上層部と対立するも理解者に助けられるという構図はよく見られるが、映画の中では嫌われ者という設定でも、観客はたいていそいつに共感するものである。クリスチャン・ベールが演じるケン・マイルズもその部類で、ちまたでもベールの演技は絶賛の嵐である。しかし、それでも敢えて言えば、わたしは、あの癖のある演技には終始なじめなかった。そこだけが残念である。

シェルビーとマイルズが家の前の植え込みで殴り合いをしたあと、コーラの瓶で乾杯をして仲直りをするという、アメリカ映画らしい粗野で能天気なシーンがある。マイルズの妻のモリーは、椅子を出してきてすわりくつろいだ様子で男たちの殴り合いが終わるのを待っている。こんなようなシーンは、昔はいくらでもあったものだが、今のご時世において、どう受け止められるのか気になった。それでざっとネットのレビューなどを見てみたのだが、若い映画好きの人たちにも概ね好評を得ているようである。女性からはモリーが称賛されている。であれば、アメリカ映画は、こういうシーンをもっと作って、見せて、西部劇から続くアメリカ映画におけるからっとした男気の文化をいい感じで継承していってほしい。いまならまだ間に合うかもしれない。

ほかにも、試乗中に起こった炎上事故の直後にマイルズの息子のピーターがシェルビーの仕事仲間のフィルにレーサーの事故死について尋ねるシーン、レース前夜にシェルビーとマイルズがサーキットで話すシーン、フォード車の指示に逆らうメッセージをレース中のマイルズに伝えるためボードを持ってシェルビーがずんずんとスタンドを歩いていくシーンなど、気が利いていて気持ちのよいシーンがたくさんあった。