西部劇の女たち

(2018年1月発行 ウエスタン・ユニオン会報「WESTERN UNION EXPRESS 39号」掲載)

先日、『ドリーム』という映画を観た。冷戦下にある米ソの宇宙開発合戦において、アメリカ初の有人宇宙飛行を達成したマーキュリー計画。その裏で差別を受けながらも偉業に貢献した計算係の黒人女性キャサリンタラジ・P・ヘンソン)たちの奮闘を描いた物語である。宇宙飛行士たちが初めてNASAを訪れるシーン、職員一同は飛行機から降りたつ彼らを列をつくって出迎える。キャサリンたちは列の一番端っこに追いやられている。宇宙飛行士の1人ジョン・グレン(グレン・パウエル)は、中央で迎えるお偉方に挨拶をしたあと、端っこの彼女たちの方にも足を運んで声をかける。このとき、声を掛けられた当人の黒人女性たちも、周囲にいる白人たちも、揃ってびっくりする。でも、偏見を持たないナイスガイのジョンは、そんな反応にはとことん無頓着、気さくな態度で彼女たちとの会話を続けるのだった。
このシーンを見たとき、この感じ、どこかで目にしたと思った。『駅馬車』の中継所で、リンゴー(ジョン・ウェイン)が、娼婦のダラス(クレア・トレヴァ)に声をかけるシーンである。ダラス本人も周囲の乗客も「こんなわたし(女)に声をかけるなんて」といっせいに驚くが、リンゴーはいたって無邪気である。西部劇の心意気はこんなところにも残っていたと勝手に感慨に耽ったのであるが、西部劇において娼婦や水商売の女性は頻繁に出てくるものの、学校の先生とか牧場主の娘とか妻とか堅気の女性と対比され、身分的に歩が悪い。『荒野の決闘』でも『真昼の決闘』でも、ヒーローの心を捉えるのは淑女の方である。私から見ると、クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)よりチワワ(リンダ・ダーネル)、エミー(グレース・ケリー)よりヘレン(ケティ・フラド)の方に人間的な魅力を感じるのだが、男の人にとってはどうもそうではないらしい。『駅馬車』にもルーシー(ルイズ・プラット)という将校の奥様が出てくるが、この映画では、珍しく、ダラスに軍配が上がっている。
で、女ガンマンはというと、身体にぴっちりの服を着せられて、セクシーでコミカルな役回りのものがほとんど。作り手は颯爽としてかっこいい女を見せる気はないなと軽くがっかりすることしばしばである。『女ガンマン 皆殺しのメロディ』はコメディではないが、主役のハニーを演じるラクエル・ウェルチは、裸体の上にポンチョだけのコスチュームで現れるという強烈なセックスアピールぶり。高校生のころ、父親ときまずい思いをしながらテレビ放映に挑んだ私の期待をはぐらかしてくれた。(いえ、だからつまらなかったというのでなく、思っていたのとは違ったということです。)そういう意味では、『クイック&デッド』は、初めて比較的ゆったりとした服を着た女ガンマンが登場し、お姉さんの魅力で小僧のデカプリオを誘い、さらに決闘を前に苦悩するという、女の身でガンマンであるというエレン(レディ)の役をシャロン・ストーンがちゃんと演じて、溜飲を下げてくれた。
荒野の決闘』などに見られる西部の荒くれ男に東部の淑女という構図は、日本でいえば東男に京女といったところか。日米で東西が逆になっているのがおもしろい。『アラスカ魂』では、東部どころかフランスから来た女性ミシェル(キャプシーヌ)がサム(ジョン・ウェイン)より1枚も2枚も上手の男女の駆け引きをして、デュークに雄叫びを上げさせる。『腰抜け二挺拳銃』もコメディで、カラミティ・ジェーン(ジェーン・ラッセル)の下着姿の二丁拳銃はやっぱりセクシーさが狙いなんだろうけど、それだけでなくてかっこいいから好きだ。彼女とピーター(ボブ・ホープ)のカップルは、西部女に東部男である。こりゃ逆さまだと思ったのだが、『大いなる西部』もそう。気取った東部男のジム・マッケイ(グレゴリー・ペック)は、西部の牧場主の娘パット・テリル(キャロル・ベイカー)と婚約して西部にやってきて、やがて彼女とは決裂するが、やはり西部女のジュリー(ジーン・シモンズ)に惹かれていく。二人とも堅気の女性である。
そうしたことを思うと、女性を主役に据えた西部劇『ジェーン』はなかなか新鮮だった。ジェーン(ナタリー・ポートマン)は、恋するうら若き娘から父のいない子の母となり、娼婦に堕ち、そして妻となる。商売女か堅気の女かという単純な分類ができない身の上であり、銃は撃つけど凄腕というわけでもない。自分を窮地から救ってくれた夫ハモンドノア・エメリッヒ)を守るため、かつての恋人ダン(ジョエル・エドガートン)に救いを求める。ダンとは愛想がつきて別れたのでなく、戦争で生き別れになった仲、お互いの誤解も解けたうえで、二人はともに戦うことに。なんとも女冥利につきる話である。画面が暗く、クライマックスの銃撃戦が夜という無茶な設定だったこともあり(撮影も夜)、西部劇としての盛り上がりに欠けてしまったのが、たいへん惜しかった。