映画「荒野の誓い」を見る(感想)

荒野の誓い HOSTILES

2019年 アメリカ 135分

監督・脚本・製作:スコット・クーパー

出演:ジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベール)、ロザリー(ロザムンド・パイク)、
トーマス・メッツ曹長(ロリー・コクレイン)、ヘンリー・ウッドソン伍長(ジョナサン・メジャース)、キダー中尉(ジェシー・プレモンス)、デジャルダン上等兵ティモシー・シャラメ)、チャールズ・ウィルス軍曹(ベン・フォスター
イエローホーク(ウェス・ステューディ)、ブラック・ホーク(アダム・ビーチ)、エルク・ウーマン(クオリアンカ・キルヒャー)、リビング・ウーマン(タナヤ・ビーティ)、リトル・ベア(ザビエル・ホースチーフ)

★注意! ネタバレというか、犯人探しの話ではないけど、映画の内容に触れています!★

 

1892年、アメリカ西部。

インディアンとの戦いで武勲を挙げた騎兵隊大尉ジョー・ブロッカーは、刑務所の看守長をしていたが、ある日、服役中のシャイアン族の長イエローホークとその家族をモンタナ州居留地まで送り届けるよう命じられる。かつての敵を護送する任務に乗り気でなかったジョーだが、旅の途中でコマンチ族の激しい襲撃を受け、彼らと手を組まざるを得ない状況に置かれていく。

旅の最初の方で、一行は、コマンチ族に夫と子どもを殺され、家と牧場を失くした女性ロザリーを保護する。彼女はあまりの惨劇に放心状態にあった。

カスター将軍率いる第七騎兵隊の全滅からウッデンド・二―のインディアンの虐殺など、先住民と白人の移民との戦いで、アメリカ西部において憎しみの連鎖が続いていた時代の話だ。インディアンは、昔なつかしい西部劇全盛時代には悪役として描かれ、ベトナム戦争以後、インディアンに対する問題が取りざたされると西部劇の敵は他に移り、最近では、ガンマンがモンスター相手に戦う西部劇も珍しくない。というのが、一般的な見方だが、オールド・ウエスタンのころから、インディアンは白人の敵ばかりではなく、西部の地の案内役や相棒として登場する。インディアンは多種多様な種族に分かれ攻撃的な部族もあれば穏健な部族もあり、近くに住んでいる者同士には交流も生まれる。ほんの一部の例を言えば、ローン・レンジャーの相棒トントはインディアンだし、姪をさらったコマンチを憎む「捜索者」のイーサン(ジョン・ウェイン)の若い相棒マーティン(ジェフリー・ハンター)はインディアンと白人のハーフである。そうした複雑な事情を抱え、昨今の西部劇というか、西部を舞台とするドラマは、インディアンを腫れもののように扱うか(「先住民族」という、何も特定しない言葉が出てきたのもその流れではないだろうか)、そうした話題を避けてきたように思う。が、この映画はまっこうからその問題に取り組んでいる。

ロザリーを襲ったのはコマンチで、イエローホークらはシャイアンである。彼の妻エルク・ウーマンはなにかとロザリーを気づかい、ロザリーも少しずつショックから立ち直って心を開いていく。

が、男たちの恨みは大きい。ジョーは、イエローホークとの戦いで多くの友人を失った。騎兵隊の兵士たちもそれぞれに心の傷を抱えている。イエローホークらにとっては戦いをしかけてきたのは白人の方であり、彼らは自分たちの土地を守るために戦い、多くの同胞を失い、刑務所に収監されるという憂き目に遭いながらも、常に超然としている。

やがて、共通の敵を前に、対立していた男たちは協働していく。が、そう聞いて期待するような爽快感はない。ジョーは、恨み言を繰りながらもイエローホークに和解を申し出て、ついにその手を取って握手さえするが、彼の顔に笑みはない。また、イエローホークの方は終始一貫した態度で、ジョーの気持ちがどうであれそんなには関係ない様子である。

監督は、安易に楽観しない。物語はハードに暗い方へと向かっていく。配給側がウエスタン・ノワール第3弾と銘打っているように、トーンは終始陰鬱である。

最後は希望を持たせて終わるというが、ほんとうにあれが希望なのか。新しい人生を求めてロザリーだけがシカゴへ旅立ち、ジョーとリトル・ベアは西部に残り、二人でこれからの西部を生きる方がよかったとわたしは思う。

一行の旅は、ニューメキシコから、コロラド、ワイオミングを経てモンタナへ。森での夜のキャンプ・シーンも多く、西部の景色を楽しめたのがよかった。