「熱源」を読む(感想)

熱源
川越宗一著(2019年)
文芸春秋
第162回直木賞受賞作。
樺太(サハリン)を舞台に、1880年代後半から日露戦争開戦による日本軍の島への侵攻を経てその後にいたる時代を背景に、樺太生まれのアイヌ、ヤヨマネクフ(日本名山辺安之助)と、ロシアの流刑囚ブロニスワフ・ピウスツキの二人の男の生涯(の一部)を描く。物語のはじめと終わり(エピローグとプロローグ的な部分)は太平洋戦争終戦時となっていて、本筋の話とは時代が隔たっている。
ヤヨマネクフは、一族とともに樺太から北海道へ移住し、石狩川近くの対雁(ツイシカリ)村で暮らすが、コレラで妻を亡くし、故郷の樺太へ戻ってくる。ブロニスワフはポーランド人だが、生まれたときにすでに祖国はなく、リトアニアで育ち、ロシアの大学在学中に革命運動家による皇帝暗殺計画に関わり、流刑囚として樺太に送られる。
ヤヨマネクフは漁師として身を立て集落の頭領となり、1910~12年に白瀬矗(のぶ)陸軍中尉が率いた日本人による南極探検隊に犬橇の専門家として参加する。ブロニスワフは、流刑囚のときに島の原住民族オロッコ(ニグブン)と交流をもったことから異民族の文化を研究するようになり民俗学者となる。二人は実在の人物である。
他に実在の人物として、ヤヨマネクフの2人の友人、南極探検隊にともに加わったシシラトカ(日本名花守信吉)、日本人の父とアイヌの母を持ち教師となった千徳太郎治、アイヌの村に視察に訪れる西郷従道(つぐみち。西郷隆盛の弟)、言語学者金田一京助大隈重信白瀬矗南極探検隊隊長、アレクサンドル・ウリヤノフ(ブロニスワフの大学の先輩で革命思想家)、ユゼフ・ピウスツキ(ポーランド建国の父、ブロニスワフの弟)らが登場する。
アイヌについては、北海道に旅行したときに木彫りのペンダントや頭に巻く独特のデザインの鉢巻きを買ったことや、「知床旅情」の歌詞の「羅臼の村」とか「ピリカが笑う」とか、「コタンの口笛」という小説があったなということくらいしか思い浮かばず(「ゴールデンカムイ」は見ていない)、その文化や歴史については、初めて知ることが多かった。アイヌが「人」で、コタンが「村」の意味だとか、五弦琴(トンコリ)という楽器や熊送り(イヨマンテ)の儀式、そして成人女性が口の周りに入れる刺青のことなど、とても興味深く読んだ。
ロシア革命ポーランドの歴史なども世界史や映画で知る程度の知識しかなかったので、勉強になった。
ヤヨマネクフもブロスニワフも、大国により故国を侵略され奪われ、征服した国への同化を強要される。常に自分は何者かと自問し拠り処を求めるという点で二人は似ている。
二人の男と、それとけっこうな量を割いてアイヌの少女イペカラの様子が語られていくが、話も時代もぶつ切りに飛ぶ。歴史を追っているからそうなるのだろうが、このさきこの話はどこへいくのだろうと思ったり、終盤で南極探検が出てきて驚いたりした。知らなかった歴史を知る喜びは得られるのだが、雑誌や新聞の連載記事や歴史探訪のドキュメントの再現ドラマ部分を見ているようで、あまり小説を読んでいるという感じはしなかった。読んでいて、アイヌの女性の刺青や南極探検隊の面々の写真が見たくなって検索したが、本にそうした写真が載っていないのが欲求不満になるような内容だ。
登場人物表にはヤヨマネクフが一番始めに載っているが、彼の登場はとぎれとぎれで最後まで異民族の男として描かれている。作者の視線は樺太では常によそ者であるブロニスワフとともにあるようだ。日本の文化についてアイヌ目線で異文化のものを見たような描写がたびたびあるが(畳の描写など)、それがどうも表面的に思えてしまい、わたしとしては、もう少しがんばってもっと深いところでヤヨマネクフに寄り添ってほしかったように思う。タイトルの「熱源」という言葉にしても、これをキーワードに一本筋を通したいというのが作者の意図なのだろうが、言葉が上滑りしているようで、心にずんとくる「熱」の手ごたえは得られなかったのが正直なところだ。

<登場人物>
ヤヨマネクフ(山辺安之助)
シシラトカ(花守信吉) ヤヨマネクフの友人。
千徳太郎治 ヤヨマネクフの友人。和人の父とアイヌの母の間に生まれる。
キサラスイ アイヌの少女、後ヤヨマネクフの妻。
チコビロー 対雁(ツイシカリ)村のアイヌの頭領。
バフンケ 樺太、アイ村の頭領。
イペカラ バフンケの養女。
チュフサンマ バフンケの姪。
ブロニスワフ(ブロニシ)・ピウスツキ ポーランド人。
アレクサンドル・ウリヤノフ ブロニスワフの大学の先輩で革命思想家。レーニンの兄。
レフ・シュテルンベルグ サハリンに住む民族学者。テロ組織「人民の意志」の残党。
ヴァツワフ・コヴァルスキ 学者。ユゼフの仲間。
ユゼフ・ピウスツキ ブロニスワフの弟。ポーランド共和国建国の父、初代国家元首
金田一京助 東京帝大生(後に助教授)。アイヌ語の研究家。
白瀬矗(のぶ) 陸軍中尉。南極探検隊隊長。(南極探検は1910~12年に実施)
クルニコワ ソビエト軍伍長。

 

【第162回 直木賞受賞作】熱源 (文春e-book)

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