映画「ゴジラ-1.0」を見る(感想)

ゴジラ-1.0
2023年 日本 配給:東宝 125分
監督・脚本・VFX山崎貴
出演:敷島浩一(神木隆之介)、大石典子(浜辺美波)、水島四郎(新生丸乗組員。山田裕貴)、橘宗作(海軍航空隊整備兵。青木崇高)、野田健治(新生丸乗組員。元海軍の技術士官。吉岡秀隆)、太田澄子(安藤サクラ)、秋津清治(特設掃海艇・新生丸艇長。佐々木蔵之介)、堀田辰雄(駆逐艦雪風」の元艦長。田中美央)、斎藤忠征(遠藤雄弥)、板垣昭夫(東洋バルーン者係長。飯田基祐)、明子(永谷咲笑)

 

★注意! ネタバレしてます★

 

 

またゴジラかと思ったのだが、「シン・ゴジラ」(2016)がもう7年も前だと気づいて驚く。「永遠のゼロ」(2013)はさらにそれより前になる。(歳を取るとそういうことばかりだ。)
タイトルの「-1.0」は、「敗戦後焦土と化してゼロになった日本にさらに追い打ちをかけるような打撃が」、あるいは「1作目のゴジラよりさらに時を遡った設定の時代のゴジラ」といったような意味があるとかないとかいうことだが、どうもピンとこないというのが正直なところだ。小数点1位なのもよくわからない。
自衛隊がないから、例のテーマは流れない。伊福部の音楽は、中盤ゴジラの足音とともに流れる「チャラララ~」の一節と、そして、クライマックスのわだつみ作戦の時に流れる満を持してのゴジラのテーマ曲(「ゴジラがくる」と勝手に呼んでます)だが、これが盛り上がる。
音楽だけでなく、わだつみ作戦はこれぞゴジラ映画という醍醐味に満ちていてよかった。沿岸の海に立つゴジラに対し、空からは戦闘機「震電」が飛び回って攻撃し、そして海上には、ゴジラフロンガスをつけたワイヤをまきつけるため駆逐艦数隻が逆回りにゴジラの足元を周回する。すれ違う時にちょっと位置が重なって駆逐艦同士が接触したりするのも細かく気が利いている。
震電は、終戦間近に開発されつつあった試作品しかない戦闘機だそうだ。主翼とプロペラが後ろについていて、素人目にも通常の戦闘機とは真逆の変わった形をしていることがわかる。
操縦桿を握るのは特攻隊の生き残りの若者敷島浩一。生き残ったと言っても飛行機の故障とかではなく、怖くて自ら外れてしまったのだ。しかもその際着陸した大戸島守備隊基地では、ゴジラに襲われ、攻撃をためらったため駐屯していた整備兵のほとんどが死亡し、唯一生き残った整備兵(橘)に責められるという二重の責め苦を負うこととなるのだが、特攻仲間に対する負い目はほとんど描かれない。この敷島に共感できるかどうかが、ドラマ部分の評価の分かれ目のようだ。作り手は、特攻隊の生き残りの気持ちというと若い世代には理解しづらいだろうが、自分だけ生き残った罪悪感とすれば共感しやすいと思ったのかもしれない。「永遠のゼロ」で終始違和感を覚えた特攻兵に比べればわかりやすいのではと私は思った。
橘が震電を整備し、敷島に赤いT字のレバーの説明をしたとき、ひょっとして、これは爆弾が飛び出すとともに、操縦席も飛び出すのではないかと予感した。それはちょっと外れて脱出装置を使うかどうかは敷島の判断に委ねられたのだが、攻撃されたらお終いの戦闘機しか作ってこなかった日本の整備兵が操縦席ごと飛び出す脱出装置を機体に組み込むのは、斬新だ。しかも仲間を死なせたということで敷島を恨んでいたはずなのに、生きろという方に考えが向くあたりもいま風だ。それはそれで明るい気持ちになるからいいかなと思った。

 

godzilla-movie2023.toho.co.jp

「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」の本を読んで映画を見る(感想)

「キラー・オブ・ザ・フラワームーン」の感想

<本>
花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生
Killers of the Flower Moon  The Osage Murders and the Birth of the FBI
デイヴィッド・グラン著(2017)
倉田真木訳 早川書房(2018)
<映画>
キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン KILLERS OF THE FLOWER MOON
2023年 アメリカ 206分
監督:マーティン・スコセッシ
原作:デイヴィッド・グラン「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」
出演:アーネスト・バークハート(レオナルド・デカプリオ)、モリーバークハート(リリー・グラッドストーン)、
ジーモリーの母。タントゥ・カーディナル)、アナ・ブラウン(カーラ・ジェイド・マイヤーズ)、リタ(ジャネイ・コリンズ)、ミニー(ジリアン・ディオン)、ビル・スミス(リタの夫。ジェイソン・イズベル)、
ヘンリー・ローン(ウィリアム・ベルー)、ポール・レッドイーグル(エヴェレット・ウォーラー)、ボニーキャッスル種族長(アンセイ・レッドコーン)
ビル・ヘイル(ロバート・デ・ニーロ)、バイロンバークハート(スコット・シェファード)
ジェームズ・ショーン(医師。スティーヴ・ウィッティング)、デヴィッド・ショーン(医師。スティーヴ・ルートマン)、ブラッキー・トンプソン(トミー・シュルツ)、ヘンリー・グラマー(密造酒の元締め・元ロディオスター。スタージル・シンプソン)、ジョン・ラムジー(ティ・ミッチェル)、ケルシー・モリソン(ルイス・キャンセルミ)、エイシー・カービー(ピート・ヨーン)
トム・ホワイト(ジェシー・プレモンス)、ジョン・レン(タタンカ・ミーンズ)、ジョン・バーガー(捜査官。パット・ヒーリー)、バーンズ(探偵。ゲイリー・バサラバ)、
ピーター・リーワード(検察官。ジョン・リスゴー)、W・S・ハミルトン(ヘイル側弁護士。ブレンダン・フレイザー

ネタバレ注意!

もろにネタバレしてます。映画をこれから見る人はそうでもないですが、映画を見てなくてこれから本を読む人は特に注意してください。本の方はミステリ仕立てです。以下の感想文では、いきなり犯人をばらしてます!

 

 

 

 

本を読んで映画を見た。
映画を見る前に本を読み始めたが、読み終えないうちに上映が始まったので、読んでいる途中で映画を見て、そのあと本を最後まで読んだ。本の内容について説明してから、映画の感想を書く。

2018年に早川書房から単行本が出たときは、「花殺し月の殺人 インディアン連続怪死事件とFBIの誕生」というタイトルだったが、映画公開が決まって文庫化されたときは映画に合わせ、「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン オセージ族連続怪死事件とFBIの誕生」というタイトルに変更された。最初のタイトルの方が好きなので、単行本を買った。
本書は、1920年5月に、アメリカ、オクラホマ州で起こった2件のオセージ族のインディアン殺人事件に端を発する連続怪死事件の謎を追うノンフィクションである。「花殺し月」とは、オセージの言葉で「5月」を示す。草原で丈の高い植物が生長することによってそれまで咲いていた小さな草花が枯れてしまう月という意味だそうだ。
先住民族であるオセージ族は、かつては広大な地域にわたって暮らしていたが、アメリカ政府によって土地を追われ、最終的にオクラホマ州の一画を居住地とした。ところがその地で豊富な石油が産出され、オセージ族はその利権を得て最も裕福な先住民族となる。が、白人たちはその利権を狙い、あの手この手で彼らの富を奪おうとする。
白人の実業家ビル・ヘイルは甥のアーネスト・バークハートをオセージ族の女性モリーと結婚させ、彼女に一族の利権が集中するよう、彼女の親や姉妹を銃殺や毒殺や爆殺によって次々に殺害する。この事件についての真相究明が本書のメインとなっているが、それ以外にもオセージ族の持つ石油の利権を巡る殺人事件は、オセージ族だけでなく白人の弁護士なども含め、何件にも及び、未解決のままのものも多いということだ。
また、政府は、インディアンは巨額の財産を管理する能力がない無能力者だから財産を管理する後見人が必要だということで、オセージ族の人々は必ず白人の後見人を付け、その承認を得ないと自分のお金を使えないという、偏見に満ちた制度をつくった。そのため、後見人により搾取された額も計り知れないという。映画ではモリーがしばしば後見人を訪ね、その都度自分の名と「無能力者です」と告げるシーンがあるが、この後見人制度についての説明ががないので、本を読んでないと意味がよくわからないかもしれない。
一連の事件究明のため、政府の捜査局本部(FBIという名はまだない)の長官となったフーバーは、オクラホマに特別捜査官を派遣するが、これもオセージ族の請願に応えたというよりは捜査局刷新のためのモデルケースにしたかったという思いが強かったからだそうで、映画のラストにあるFBI宣伝のためのラジオ番組のシーンは原作の本にも出てくる。
本は、3部に分かれ、クロニクル1「狙われた女」では、オセージ族の置かれた状況とモリーの周辺で起こった殺人事件の様子が説明される。クロニクル2「証拠重視の男」では、フーバーの指令により、捜査官トム・ホワイトが登場、事件の真相を追うが、証拠隠滅やデマの拡散など真相を闇に葬るための山のような画策が施されていて捜査は困難を極める。それでもなんとかして真相を突き止めようとするホワイトの捜査をたどることによって、ヘイルとアーネストが犯人として浮かび上がってくるのだが、映画では最初からヘイルとアーネストのたくらみが明かされている。(私は、ちょうど、ここらへんまで読んでから映画を見たので、いきなり犯人のネタバレされてがっかり、という目に合わずに済んだ。)
クロニクル3「記者」では、著者のグランが登場。ヘイルらによる犯罪以外の事件の真相を知るため、現代のオクラホマを訪れ、事件の被害者の子孫に会って取材をする様子が描かれる。

以上のように、本では時系列順に事件を追って謎が究明されていくが、映画では、前述の通り、復員して叔父を頼ってきたアーネストを、ヘイルが自分の企みに巻き込もうとし、モリーとの結婚を促すところから始まる。
本にはない、モリーとアーネストの出会い、結婚、子どもたちの誕生がほのぼのと描かれる一方で、モリーの姉アナ、母リジー、妹リタとその夫ビル・スミス、妹ミニーが次々に殺されていく。
デカプリオは、当初考えられていた正義の味方の捜査官の役でなく、女好きで不甲斐ない男、妻のモリーと子供たちを愛しながらも義母や義姉妹の殺人計画に加担する、二面性を持つ男アーネストを、とことん突き詰めて演じている。彼のアーネストをたっぷりと見られるのが、この映画の主なみどころではないだろうか。デ・ニーロの悪ボスぶりはデ・ニーロなのでこれくらいやるだろうという感じ、モリーやアナやリジーやヘンリー・ローンなどのオセージ族の人々、ヘイルに使われるブラッキーラムジー、モリソンら実行犯らを演じる俳優たちもよかった。
が、衝撃的な爆破シーンはあるものの、ほかの場面は大方たんたんと描かれ、筋立てにはあまり起伏がないので、3時間越えは長かった。映画を1本見たというよりは、連続ドラマを4、5話続けて見たような印象だ。
舞台はオクラホマだが、西部劇の雰囲気はあまり感じられない。冒頭の石油掘削機がぽつぽつと点在する荒野の風景を除けば、町と室内のシーンが多く、牧場は柵で囲まれて多数の牛馬がひしめいているし、西部の野外の広々とした空間を感じさせる画面はあまり出てこない。空撮はあるが、空から荒野を見下ろすのは西部劇っぽくない。トム・ホワイトについても、原作では、父親が西部の保安官兼死刑執行人であったことや本人も元テキサスレンジャーで生粋の西部男であることが詳しく語られるが、映画では彼の素性についてはあまり触れられない。モリーが「帽子をかぶった男」が来る夢を見たというところがあり、これはつまりスーツにソフト帽の都会の捜査官ではなく、ステットソン(カウボーイハット)をかぶった西部男を意味するのだが、それについてもあまり説明はない。映画全体を通して、どうもあえて西部劇的な描写を避けているのではないかと思えるのだった。

 

kotfm-movie.jp

↓こちらは文庫本。単行本の方は、amazonのサイトで検索すれば出てくる。

 

 

 

 

映画「ミッション:インポッシブル デッド・レコニング PART ONE」を見る(感想)

ミッション:インポッシブル デッド・レコニング PART ONE
MISSION: IMPOSSIBLE - DEAD RECKONING - PART ONE

2023年 アメリカ 164分
監督:クリストファー・マッカリー
出演:イーサン・ハント(IMFエージェント。トム・クルーズ)、ルーサー・スティケル(IMFコンピュータ技術者。ヴィング・レイムス)、ベンジー・ダン(IMFテクニカルフィールドエージェント。サイモン・ペッグ)、イルサ・ファウスト(元M16エージェント。レベッカ・ファーガソン
アラナ・ミツソポリス/ホワイト・ウィドウ(闇市場の武器仲買人。ヴァネッサ・カービー)、グレース(ヘイリー・アトウェル)、パリス(フランスの暗殺者。ポム・クレメンティエフ)、ガブリエル(イーサイ・モラレス)、ユージーン・キトレッジ(IMF元ディレクターで現CIA長官。ヘンリー・ツェーニー)、ジャスパー・ブリッグス(CIAエージェント。シェー・ウィガム)、ドガ(CIAエージェント。グレッグ・ターザン・デイヴィス)

シリーズ第7作。160分を超える長尺でしかもパート・ワンだというので、ちょっと二の足を踏んだのだが、見てよかった。楽しかった。
アクションに次ぐアクションでそれぞれのシーンがいちいち長い。砂漠の騎馬での追っかけ、延々と続くカーチェイス、ベニスでの路上の格闘、クライマックスはオリエント急行での列車アクションでこれがまた長いことこの上ない。のだが、いろいろな趣向があって飽きずにわくわくして見られる。たとえばカーチェイスのシーンも、途中で車を変えて、しかもイーサンと女泥棒のグレースが手錠でつながれていて、並びの関係から最初グレースがハンドルを握るが運転がすごく下手でイーサンが変わるも手錠につながれている手が窓側だからすごく運転しづらいシチュエーションとなる、といった塩梅だ。
腕利きなはずなのに、女泥棒に何度も逃げられ、オリエント急行の屋根に飛び移るのに失敗してガラス窓を突き破って車両にパラシュートごと突っ込むなど、適度に間抜けでユーモアがあるところがイーサンとこのシリーズの魅力だったことを思い出した。
敵はAI、イーサンの仲間のルーサーとベンジーもITを駆使して戦うが、そのくせみんなが狙う獲物は、二重十字架型の鍵というとてもアナログな「もの」なのもいい。鍵の秘密は、ラストになってイーサンらに明かされ、ここでやっと冒頭のロシアの潜水艦セヴァストポリの事件につながる。次回は深海に沈む潜水艦を巡る戦いにという期待を抱かせて終わるので、えーまだ続くのかよといううんざり感が払拭され、まんまと続きが見たいと思った。忘れないうちにやってくれるといいのだが。

missionimpossible.jp

映画「バービー」を見る(感想)

バービー BARBIE

2023年 アメリカ 114分
監督:グレタ・ガーウィグ
出演:バービー(定型。マーゴット・ロビー)、ケン(ライアン・ゴズリング)、グロリア(アメリカ・フェーラ)、サーシャ(アリアナ・グリーンブラット)、アラン(マイケル・セラ)、
バービーたち:へんてこバービー(ケイト・マッキノン)、大統領バービー(イッサ・レイ)、物理学者バービー(エマ・マッキー)、医者バービー(ハリ・ネフ)、最高裁判事バービー(アナ・クルーズ・ケイン)、作家バービー(アレクサンドラ・シップ)、弁護士バービー(シャロンルーニー)、外交官バービー(二コラ・コークラン)、報道記者バービー(リトゥ・アルヤ)、マーメイドバービー(デュア・リパ)、ミッジ/妊婦バービー(エメラルド・フェネル)
ケンたち:(シム・リウ、スコット・エヴァンス、キングスリー・ベン=アデイル、チュティ・ガトウ、)、ルース(バービーの生みの親。リー・パールマン)、マテル社CEO(ウィル・フェレル)、マテル社幹部(ジェイミー・デメトリウ)、インターン(コナー・スウィンデルズ)
ナレーション(ヘレン・ミレン

極彩色のおしゃれなファンタジー・コメディと思ったら、ジェンダー問題にまっこうから取り組んだ映画でもある。
プロローグは、「2001年宇宙の旅」のパロディになっていて、モノリス化したバービーが登場。(実は「2001年」は、冒頭だけ見て見るのを断念したことがあって、そのあと2度目の挑戦で全部見たけど、世間の評価とは逆にそんなには好きではなく、でもパロディにされることが多いので、ネタ元がわかるから見といてよかったと思う。)
定型のバービーは、多様な才能を持つバービーたちやボーイフレンドたちと、ピンク色のバービーランドでおもしろおかしく暮らしていたが、ある日、彼女の身体に異変が。持ち主である人間の影響によるものだという物知りのへんてこバービーのアドバイスで、バービーは乗り物を乗り継いでケンとともに現実世界へ。そこはバービーランドとは真逆の男中心の世界で、バービーは男たちからは好色な目で見られ、少女たちからは嫌われる。バービーの持ち主は、マテル社の秘書のグロリアとその娘のサーシャだった。問題解決のため、バービーは母娘を連れてバービーランドへ戻るが。
バービーの付属品扱いをされていたケンは、現実世界の男社会を見て自我に目覚め、バービーランドをケンの王国にしようとする。が、男社会の男たちもまた悩める存在という視点があるので、マッチョぶる男たちをおもしろおかしく描くことへの遠慮が感じられ、バービーたちの作戦にまんまとひっかかった男たちが同士討ちとなる、そのへんの展開が痛快でもなく、かといって悲壮でもなく、みていてなんだか中途半端に感じた。男をやたら非難してけちょんけちょんに攻撃する女性映画とは一線を画すと思うが、後半は地味な感じがした。
バービーの発売元マテル社のCEOと幹部たちが愉快なおじさんたちとして描かれているところに、マテル社の、引いてはアメリカ社会の度量の大きさを感じた。
マーゴット・ロビーは魅力的で、多様なデザインのバービーたちがたくさん登場してくるのも、手の込んだつくりのバービーランドも楽しかった。ラストのクレジットで映画に出てきたバービーたちの実際の商品が示されるのが親切でうれしかった。

 

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映画「君たちはどう生きるか」を見る(感想)

君たちはどう生きるか

2023年 日本 124分
監督・原作・脚本:宮崎駿
音楽:久石譲
主題歌:「地球儀」米津玄師
出演(声):牧真人(まひと。山時聡真)、牧正一(真人の父。木村拓哉)、久子(真人の母。木村佳乃)、夏子(真人の継母、久子の妹。木村佳乃)、ヒミ(あいみょん)、
アオサギ菅田将暉)、キリコ(柴咲コウ)、老ペリカン小林薫)、異世界の殿様・大叔父(日野正平)、インコの王(国村隼)、老婆のキリコ(大竹しのぶ)、ほかの老婆たち(竹下景子滝沢カレン阿川佐和子風吹ジュン

★ネタバレあります! 注意!!★

派手な宣伝は一切せず、突然の公開が話題となった宮崎駿監督の新作。
唯一の前情報のポスターが示す通り、鳥がたくさん出てくる映画だった。タイトルの本のことはちょっとだけ出てくる。
太平洋戦争中、空襲による病院の炎上で母を亡くした少年真人は、田舎で工場を営むことになった父とともに、母の生まれ故郷に疎開する。真人は母の妹で新しい母となる夏子に迎えられる。
地元の旧家であるらしい母の実家はとても広い敷地に何棟も建物があるお屋敷で、七人の小人のような七人の婆やが真人の面倒をみてくれるのだった。婆やたちは、湯ばあばやトトロに出てきたおばあさんなどこれまで見たことのある老婆がいっぱいという感じだ(キリコ婆さんだけが面長でちょっと容姿がちがっている)。
真人は森の中で謎めいた塔を見つけるが、そこは異世界への入口となっていた。つわりで苦しむ夏子が憑かれたように塔の奥に姿を消す。彼女を追って、また、死んだ母が生きているという怪しげなアオサギの誘いに乗って、真人は「下の世界」に入り込み、そこで不思議な者たちと出会う。老婆と同じキリコという名の船頭、塔の創造者で世界の王となっている大叔父、火をあやつる力を持つ少女ヒミ、インコの王様と軍隊、ペリカンたち、これから生まれてくるこどもたちの元となるわらわら(すみっこたちを思い出す)など。
少女でなく少年が主人公である。母を亡くし、継母となる叔母に複雑な思いを抱く少年が、不思議な世界で冒険をする。失った母を求める話の主人公は男の子が多いような気がする、「鋼の錬金術師」もごく最近の「ザ・フラッシュ」も死んだ母をよみがえらせようとするのは男(の子)だ。
老婆やカエルや魚やたばこや和洋折衷の建物や森や丘や草原や風や波などこれまで宮崎作品で目にしたことがあるイメージが次々と怒涛のように押し寄せてくる。見慣れたものばかりで目新しさに欠けるという感想も聞くが、これだけ集まると壮観だ。
夏子というやけに色っぽい大人の女性が出てきたと思っていたら後半になってヒミが出てきてやっぱりこういう美少女は出てくるのかと思いつつもちょっとガクッとなり(これは「紅の豚」で感じたのと同じ「ガクッ」だ)、しかも着ているのはメイドみたいな服だと思ったら、夫はアリスだという。この映画は少年版不思議の国のアリスなのだと。夫によれば真人はヒミの登場によって踏ん切りをつけて夏子を受け入れられるようになったのだというが、でも私は、ヒミの登場とその正体を知ってちょっと引いてしまった。母親が自分と同年代の少女となってそれもエプロンドレスを身にまとったアリスのいでたちで現れ、いっしょに冒険をするという発想は、斬新というよりはどうにも不気味だ。
鳥がたくさん出てきて楽しいが、飛行機は出てこない。唯一、出てくるのが、風防である。真人の父正一が経営する工場では戦闘機を作っているらしく、お屋敷に大量の風防が運ばれてきて、また運び出されていく。戦闘機の一部である涙滴型全方位風防(ゼロ戦展示を見に行って覚えた)というものだと思うが、これによって戦闘機のイメージが喚起され、戦時中の話であることが改めて示される。
アオサギの弱点が「風切りの七番」で真人がその羽を使った矢を使うのもちょっと作者の飛行機好きを思わせた。

 

ジブリのHPだけど、ここに映画の情報はほぼない

www.ghibli.jp

↓キャストのリストはこちらで

ciatr.jp

 

映画「ザ・フラッシュ」を見る(感想)

ザ・フラッシュ THE FLASH

2023年 アメリカ 144分
監督:アンディ・ムスキエティ
出演:バリー・アレン/フラッシュ(エズラ・ミラー、少年時代:イアン・ロー)、アルフレッド(ジェレミー・アイアンズ)、ワンダーウーマンガル・ガドット)、アーサー・カリー/アクアマン(ジェイソン・モア)、ブルース・ウェイン/バットマンベン・アフレックマイケル・キートンアダム・ウェストジョージ・クルーニー)、カーラ・ゾー=エル/スーパー・ガール(サッシャ・ガジェ、ヘレン・スレイター)、スーパーマンクリストファー・リーヴ、ジョージ・リーヴス、ニコラス・ケイジ、)、ゾッド将軍(マイケル・シャノン
ヘンリー・アレン(バリーの父。ロン・リヴィングストン)、ノラ・アレン(バリーの母。マリベル・ベルドゥ)、アイリス・ウェスト(カーシー・クレモンズ)

 

★ネタバレしてます!! 注意!!★

 

 

ジャスティスリーグ」は見ていないので、バットマンと同じ系列のアメコミのヒーローらしいということだけしか知らないで見た。
超高速で移動できるフラッシュは光より早いので、時を超えることができるという理屈なのか、「エブエブ」など昨今大流行のマルチバースがここでも登場。せわしなく、騒々しく、カラフルで、わけがわかんなくなる超時空越えSFアクションだ。
フラッシュの正体はバリーという一見ぱっとしない心優し気な青年である。彼は、バットマンの弟分みたいな感じで、危機に陥った人々を助ける。冒頭の、崩壊する病院のビルから落下する赤ちゃん集団と助産婦さんを救助するシーンは、危機とほんわかさが入り混じっていておもしろかった。最初の世界でのバットマンは、ベン・アフレック演じるごつい感じのバットマンである。
バリーの母は何者かに殺され、父親が容疑者として逮捕され、裁判が間近に迫っていた。
バリーは母親を救いたいという超個人的な理由から時空を超えて、母が殺される日にタイムリープする。彼は、殺される前の母と逮捕される前の父と、大学生のちゃらい自分に出会う。
が、彼が母の死を回避しようとしてスーパーマーケットで缶詰を一個買い物かごに入れたためか、世界は変化し、スーパーマンの最強の敵ゾッド将軍が登場、地球を滅亡させようとする。
人類の危機を救うため、バリーはスーパーマンを探すが、その世界にスーパーマンはいなかった。
バットマンのブルースは老人となりすでに引退していたが、やがてバリーに協力することに。このバットマンマイケル・キートンで、彼の登場により、映画はぐっと引き締まったように感じられた。
スーパーガールも登場。金髪ロングヘアのイメージのある彼女は、この世界では黒髪のショートヘア、どこか悲壮感を漂わせる美少女である。
バリーは、能力を得た若い自分も引き連れ、つまり二人のフラッシュ、バットマン、スーパーガールのチームがゾッド将軍率いる悪の軍団と対決することに。
母の死を食い止めるため、若いバリーは何度も同じタイムリープを繰り返し、やがて世界はバランスをくずす。マルチバースなので、極彩色でよくわからない時空間に歴代のヒーローたちが姿を見せるなど、アーカイブの映像を出しまくって、作り手はやりたい放題である。
母の死は変えられないが、バリーがスーパーマーケットの缶詰の缶の位置をずらすことで父の容疑をはらすことには成功する(買い忘れた缶をかごに入れるのはNGだが、棚を移動するのはOKらしい)。棚の高い位置に手をのばして監視カメラに顔がしっかり映ったことで、父のアリバイが成立したのだ。
ということで、野放図に広げられた風呂敷はなんとなく畳まれたような気にさせられ、物語は終了となるのだが、世界はちょっとだけ変わっていて、ブルース(バットマン)はジョージ・クルーニーになっているのだった。という解釈でいいのだろうか。

 

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映画「インディ・ジョーンズと運命のダイヤル」を見る(感想)

インディ・ジョーンズと運命のダイヤル INDIANA JONES AND THE DIAL OF DESTINY
2023年 アメリカ 154分
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作総指揮:スティーヴン・スピルバーグジョージ・ルーカス
音楽:ジョン・ウィリアムズ
出演:インディ・ジョーンズハリソン・フォード)、ヘレナ・ショー(フィービー・ウォーラー=ブリッジ)、バズ/バジル・ショー(トビー・ジョーンズ)、テディ(イーサン・イシドール)、
レナルド(潜水士。アントニオ・バンデラス)、サラー(エジプトの発掘家。ジョン・リス=デイヴィス)、
ユルゲン・フォラー(科学者。元ナチスマッツ・ミケルセン)、クレーバー(フォラーの部下の殺し屋。ボイド・ホルブルック)、メイソン(CIA捜査員。ショーネット・レネー・ウィルソン)、
アルキメデス(ナーサル・メマルツィア)、マリオン(カレン・アレン

 

★ネタバレあり!!! 注意!!!★

 

インディ・ジョーンズのシリーズ5作目。
80歳を目前に控えたハリソン・フォードが老いてなお冒険野郎の魂を持ち続けるヒーローを好演している。なんだかんだ言っても、インディがシンボルの帽子と鞭を身に着けて、あのテーマ音楽がなると、自然とわくわくしてしまう。
4作目の「クリスタル・スカルの王国」において異星人宇宙SFの体をなした本シリーズは、5作目ではさらに時間ネタSFとなってインディ・ジョーンズは時を超える。
ラストのベタなタイムトラベルだけでなく、冒頭は第二次世界大戦中の1944年、若い(といっても中年)インディがナチスとお宝の争奪戦を繰り広げるシーンで始まり、本筋はアポロ11号月面着陸のニュースに沸き立つ1969年が舞台となる。そう遠くない歴史的出来事のあった年に回帰する時代設定となっていて、第二次世界大戦はさすがに親の世代だが、月面着陸のときは小学生だったので私にとっては個人的にもなつかしい。
1944年、ナチスが手に入れた「ロンギヌスの槍」目当てにドイツ軍に潜入して捕らえられたインディは、槍とは別のお宝「アンティキティラのダイヤル」の半欠けを手に入れる。
それから25年後、全米が人類月面着陸のニュースで沸き立つ中、大学教授を退いたインディの元に、かつて考古学者仲間だったバズの娘ヘレナがやってきて、例のダイヤルを巡る話を持ち掛ける。
同じくして、元ナチスの科学者フォラーもダイヤルの行方を追っていた。アメリカのロケット学者となっていた彼は、CIA捜査官メイソンらの協力を得て、インディからダイヤルを奪おうと執拗な攻撃をしかけてくるのだった。
次から次へとあの手この手で追いつ追われつの追っかけシーンが続く。陸海空の乗り物を駆使したシーンの連続は007シリーズを思わせるが、最初の1944年のシーンでは疾走する列車の中と屋根の上での攻防、つづく1969年になって最初の見せ場では、馬に乗ったインディが、月面着陸を祝うパレードで賑わう都会の大通りを駆け巡るという、西部劇っぽくてなんともうれしいアクションを見せてくれる。
ダイヤルは、古代ギリシャの賢者アルキメデスが考案した時空の計算機ともいうべきものだった。その矢が指し示す先は時空の谷、1939年に戻ろうとしたフォラーだったが、彼らが行きついたのは、紀元前212年のエーゲ海シチリア島で、ギリシャ側がローマ軍の攻撃を受けているシラクサ包囲戦の真っ最中だった(アルキメデスが、ダイヤルを手にして「ユリイカ!」と言うのは可笑しい)。
ここで、インディが考古学者として至福の思いを抱く様子がなんともよい。状況の異常さ危険さを忘れて、書物や遺物だけて推し量っていた古代の歴史的事実を目の当たりにして感激するインディ。ここに残る!と言って若者を困らせる頑固な老人と化すのが、憎めなかった。

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