映画「ゴールデン・リバー」を見る(感想)

ゴールデン・リバー THE SISTERS BROTHERS

2018年 フランス・スペイン・ルーマニア・ベルギー・アメリカ  120分

監督:ジャック・オーディアール

原作:パトリック・デウィット「シスターズ・ブラザーズ」

出演:イーライ・シスターズ(ジョン・C・ライリー)、チャーリー・シスターズ(ホアキン・フェニックス)、ジョン・モリスジェイク・ギレンホール)、ハーマン・カーミット・ウォーム(リズ・アーメッド)、メイフィールド(レベッカ・ルート)、提督(ルトガー・ハウアー)、ミセス・シスターズ(キャロル・ケイン)

★ネタバレというか、ラストの展開など、内容に触れているので、見ていない人は注意!

1851年、アメリカ。

「提督」と呼ばれるボスの命令で、殺し屋兄弟シスターズ・ブラザースのチャーリーとイーライは、ハーマン・カーミット・ウォームという名の男を追うことに。弟のチャーリーは人を殺すことにためらいがない危険な男だが、兄のイーライは温厚で殺し屋稼業から足を洗いたいと思っている。

二人は、オレゴンからアメリカ大陸を横断して、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアを目指す。その間、チャーリーは飲んだくれ、イーライは毒クモに刺されたり、馬が熊に襲われたりと災難続き。女ボス、メイフィールドが牛耳る町では、彼女の手下に襲われるが、返り討ちにする。イーライは見事な銃撃をして見せ、実はかなりの銃の使い手であることを示す。

兄弟は、やっとたどり着いたサンフランシスコで、「提督」が放った連絡係モリスに会おうとするが、モリスは提督を裏切ってウォームとともに金を採りに行ってしまった後だった。二人を追う兄弟も、科学者を自称するウォームの発明した、金をたちどころに見つけられる秘薬の存在を知り、仲間に加わる。4人は力を合わせて金を手に入れるが、劇薬はウォームとモリスの命を奪い、チャーリーも右腕を失う。(邦題の「ゴールデン・リバー」は、秘薬によって夜の川底に浮かび上がる、きらきら光る金を指す。)

兄弟は、提督との対決を決心し、オレゴンの屋敷に向かうが、そこでは提督の葬式が営まれているのだった。対決をする必要もなくなり、兄弟は、母の住む故郷に帰る。

原作の西部小説は、大衆娯楽小説的なテーマを扱いながらも、オフビートな中にそこはかとなく文学臭さの漂う作品だったが、映画の方も、西部劇でありながら、活劇というよりは、人間ドラマとしてスマートに決まっている。

シスターズ・ブラザースという名前からして人を喰った感じだが、邦題よりはこちらの方が好きだ。チャーリーの暴力性をさんざん見せながら、じつはイーライの方が凄腕ガンマンだったり、ウォームがモリスにユートピアのような町をつくりたいという夢を語ったり、やっとウォームを見つけたと思ったら兄弟二人して仲間に加わったり、うまくいったと思ったらことのほか悲惨な結果になったり、いざ提督と対決と乗り込んだら提督はすでに死んでいたり、そして、ラストは二人して親孝行なことに故郷の家に帰ったりと、展開は右かと思えば左、左かと思えば右と、はぐらかしの連続である。気が利いているといえば気が利いているのかもしれないが、あざといと言えばあざといような気もする。でも、こうゆうのが好きな人は好きだろう。わたしは、このはぐらかし戦法は特にいいとも悪いとも思わないが、最後に実家に戻って、兄弟の母のシスターズ夫人が出てくるのはよかったと思う。

小説ほど軽妙洒脱ではなく、地に足のついた映画という感じ。地味だけど、ほぼおっさんしかでてこないけど、おもしろかった。なによりイーライ始め4人の男たちに好感が持てたのはうれしかった。

銃声がすごい、迫力があるという評価があるようで、たしかにすごい音だが、わたしはどうも花火のように聞こえてしまってしっくりこなかった。

 

<映画と原作小説の違い>

原作を読んだのは何年か前なので、細部は忘れてしまったが、覚えている範囲内で、映画と原作の違いをあげる。

・原作では、破壊的なチャーリーは兄、温厚なイーライは弟と、映画と逆になっている。(映画がなぜ兄とを弟を逆の設定にしたか定かではないが、あまり年齢序列にこだわらないアメリカでは、キャストの顔に合わせて変えたのかもしれない。)

・小説では、イーライは虫歯がひどくなって顔が腫れる。診てもらった歯医者に歯ブラシを勧められる。そのあと、クモに足を刺される。映画では、寝ている間にクモが口の中に入って顔が腫れる。

・小説では、メイフィールドは男で、兄弟にコテンパンにやられるが殺されることはなく、負けてすっからかんになった後でも今後について取引を持ちかけるという商魂たくましい様子を見せる。映画ではこわもての女ボスだが、兄弟に殺されてしまう。

・映画で、イーライが町のぬかるんだ道に渡した板の上を歩くが、小説では、知り合った女性といい感じになっていっしょにぬかるみの板を渡って歩くちょっとロマンチックなシーンになっている。

・小説では、最後は提督と対決する。このとき、イーライは、普段は温厚だが、一度切れたらチャーリーよりも手に負えなくなるという危険な一面を見せる。映画では、提督との対決は肩透かしに終わる。

原作「シスターズ・ブラザーズ」の感想
https://michi-rh.hatenablog.com/entry/20140823/1408766167

映画「ある町の高い煙突」を見る(感想)

ある町の高い煙突

2019年 日本 エレファントハウス=Kムーヴ 130分

監督:松村克弥

原作:新田次郎「ある町の高い煙突」

出演:関根三郎[関右馬充](井出麻渡)、関根兵馬(三郎の義理の祖父。仲代達矢)、関根恒吉(伊嵜充則)、ふみ(関根家女中頭。小林綾子)、深作覚司(入四間村村長。六平直政)、平林左衛門(篠原篤)、孫作(左衛門の弟。城之内正明)

加屋淳平[角弥太郎](日立鉱山庶務係。渡辺大)、加屋千穂(淳平の妹。小島梨里杏)、木原吉之助[久原房之助](日立鉱山開業者。吉川晃司)、大平浪三[小平浪平](日立鉱山水力発電所所長。石井正則)、如月良之輔(日立鉱山診療所医師。渡辺裕之)、八尾定吉日立鉱山補償係。蛍雪次郎)、志村教授(政府御用学者。大和田伸也)、権藤(日立鉱山株主。斎藤洋介)

私は茨城県日立市の出身である。「大雄院(だいおういん)の煙突」は、子どものころからよく目にした。日立市街へ出て山の方を見れば、いつも山の斜面に直立していて、そこにあるのが当たり前のものだった。煙突の絵を焼き付けた「東洋一」という名の瓦煎餅があって、私はそれで「東洋一」という物言いを知ったものだ。東京に住むようになってだいぶ経った1993年、「大煙突がぽっきり折れた」というニュースを見た。久々に大煙突のことを思い出すとともに、ことのほかショックだったことを覚えている。

日立に「だいおういん」という地名はないのに、なぜか煙突とセットになって使われていた。どういう字を書くかも知らなかった。今になって調べて、初めて大雄院という古いお寺の跡地に、日立鉱山の精錬所が建てられたのだと知った。

前置きが長くなったが、この映画は、明治の終わりから大正にかけて、煙害対策のために、企業(日立鉱山)と地元住民(入四間村の農家)がすったもんだのあげくに協働して大煙突を建てる話である(煙突の始動は1915年)。新田次郎の小説にもなったので、全国的に有名な話かと思ったら、どうやらそうでもないようだ。ご当地映画のようになっているが、地元住民と企業との協働による公害対策というテーマは一般的なものであり、その先駆けと言える大煙突建設は当時ならではのアナログな手法も含めて興味深い題材だと思うので、この映画でその歴史的事実が多くの人の知るところとなればと思う。

小説はだいぶ前に読んだので細かい部分は覚えていないのだが、精錬所が出す亜硫酸ガスを含んだ煙によって田畑に大きな被害を受けた農家の人たちのため、旧家の青年(映画では関根三郎)が進学をあきらめて村の代表として鉱山会社と交渉を行い、会社側もそれに応じて、ただ補償金を払うだけでなく、煙害を失くすための策を講じるようになっていき、ついに世界一の(当時)大煙突を立てるという大筋は映画と同じだ。合間に、主人公と結核の女性(映画では知恵)との恋などが差しはさまれる。

映画では(小説でもあったのかもしれないが)、そうした交渉の前に、死に瀕した村の長老の往診に鉱山会社の診療所の医師が駆けつけたり(渡辺裕之演じる医者がしぶい)、土砂崩れにあった鉱山会社の施設に青年隊が救助に向かったりなどと両者のやりとりがあった。

三郎は、入四間村の代表として村の衆と鉱山会社の間に立って奮闘するが、交渉を重ねるにつれて鉱山会社の庶務係加屋淳平と親しくなっていく。対立関係の中で芽生える友情がなかなかいい。

村の若者たちが猟銃を持って会社に殴り込んだり、煙道により被害がさらに大きくなって孫作が三郎に八つ当たりしたりする暴力的な場面や、総力挙げての大煙突の工事現場の場面など、男たちが躍動するシーンは面白く見たが、合間にさしはさまれる、三郎と加屋の妹知恵との出会いやデートもどきのシーンは正直だいぶ気恥ずかしかった。(知恵が結核で茅ケ崎の病院に入院し、一目会おうと三郎がはるばる訪ねて行って、海岸の散歩の際に二人が距離を隔てて再会と最後の別れをするシーンは、これはこれでよかった。)

鉱山会社の煙害対策は、むかで煙道、あほ煙突という苦い経験を経て大煙突にたどり着く。

国策に逆らう大工事のため、開業者の木原が政府を説得して、承認を得る。映画では、木原(吉川晃司)はただ鉱山会社のオフィスで背中を見せ黙して語らずの男だったが、吉川晃司演じる木原が政府を説得する様は、見たかったように思う。

ちなみに、水力発電所所長で有能な電気技師として登場する大平浪平は、日立製作所の創業者(小平浪平)である。また、今でも日立の山に咲く桜はほぼ山桜で、これは煙害に強い桜を移植したことの名残りだという。

公式HP https://www.takaientotsu.jp/

 

映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を見る(感想)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ  GODZILLA: KING OF THE MONSTERS

2019年 アメリカ 132分

監督:マイケル・ドハティ

音楽:ベアー・マクレアリー

出演:マーク・ラッセル(カイル・チャンドラー)、エマ・ラッセル(ヴェラ・ファミーガ)、マディソン・ラッセル(ミリー・ボビー・ブラウン)、芹沢猪四郎(渡辺謙)、アイリーン・チェン/リン・チェン(チャン・ツィイー)、スタントン(ブラッドリー・ウィットフィード)、ヴィヴィアン・グレアム(サリー・ホーキンス)、アラン・ジョナ(チャールズ・ダンス

ゴジラ、キングキドラ、モスララドン

キングコング、ムートー、ベヒモス、シラ、メトシェラ

GODZILLA ゴジラ」から5年後。

キングコング 髑髏島の巨神」でも出てきた特務機関モナークは、すごい組織になっていて、世界各地に基地を設置し軍隊並みの兵器を備え、怪獣たちを見守っている。

怪獣と交信する装置「オルカ」を開発中の科学者エマは、娘のマディソンとともにモナークの基地がある中国雲南省に居住し、モスラの孵化を見守っていたが、ある日、オルカを狙う環境テロリストのジョナらによって拉致され南極に連れていかれる。そこにはモンスターゼロと呼ばれる3つ首龍の怪獣(キングキドラ)が眠っていた。他にも、バミューダ海峡にあるモナークの基地「キャッスル・ブラボー」で芹沢博士らがゴジラを見守り、メキシコの火山島イスラ・デ・マーラの活火山にはラドンが眠っているのだった。

GODZILLA ゴジラ」でもそうだったのだが、どうもこのシリーズのゴジラものではドラマ部分で眠くなってしまい、その間にいろいろ話が進んで細かい設定を知らないまま終わってしまう(チャン・ツイィーが双子役という設定なども見逃してしまった)。

怪獣たちが登場する画面は、それぞれの目覚めのシーンでも、格闘シーンでも、豪華絢爛で凝っていて、たいへん見ごたえがあって、これこそまっとうな意味での目の保養という感じがした。映画というよりは、動く怪獣絵図を鑑賞しているようだった。

芹沢博士の渡辺謙は前作に引き続き、「ゴ・ズィーラ」ではなく「ゴジラ」と発音し、オキシジェン・デストロイヤーを持って突っ込む。

エンドロールでは、ゴジラのテーマ曲もモスラの歌も流れるし、最後に出る献辞は、2017年に亡くなった坂野義光氏と中島春雄氏両名へ捧げるものだった(坂野氏は「ゴジラ対へドラ」(1971)の監督で「GODZILLA ゴジラ」のエグゼクティブプロデューサー、中島氏は初代ゴジラスーツアクターだそう)。原点への敬意やこだわりが随所に見られ、ディープなファンにとってはありがたいのだろう。

私はそこまでではないのだが、それにしても、この歳になっても怪獣を見るとわくわくする。ゴジラが咆哮してあの背びれを見せて海に潜った後に巨大な尾が振り上げられて水面をバッシャーンとたたいて去る様に高揚する。子どものころの怪獣体験が染みついているのか、私が割と爬虫類好きだからなのか、それとも人にはそういうものを好む性質が備わっているのか、不思議な気がする。

関連作品(モンスターバース作品):「GODZILLA ゴジラ」(2014)、「キングコング 髑髏島の巨神」(2017)

※モンスターバース (MonsterVerse) とは、アメリカのレジェンダリー・ピクチャーズが日本の東宝と提携して製作し、ワーナー・ブラザースが配給する、怪獣映画のシェアード・ユニバース作品のこと。さらに、シェアード・ユニバースとは、「共有された世界観」の意味で、小説や映画などのフィクションにおいて、複数の著者が同一の世界設定や登場人物を共有して創作する作品のことをいうらしい。

映画「キングコング 髑髏島の巨神」を見る(感想)

キングコング 髑髏島の巨神 KONG: SKULL ISLAND

2017年 アメリカ 117分

監督:ジョーダン・ヴォート=ロバーツ

脚本:ダン・ギルロイ、マックス・ボレンスタイン

出演:ジェームズ・コンラッド(元SAS大尉。トム・ヒドルストン)、プレストン・パッカード大佐(米陸軍ヘリコプター部隊スカイデビルズ指揮官。サミュエル・L・ジャクソン)、ビル・ランダ(モナークMONARCHの地質学者。ジョン・グッドマン)、ヒューストン・ブルックス(地質学者。コーリー・ホーキンズ)、メイソン・ウィーバー(カメラマン。ブリー・ラーソン)、サン(生物学者ジン・ティエン)、ヴィクター・ニーブス(衛星ランドサット現地調査団責任者。ジョン・オーティス)、ギブソン(ランドサット衛星調査員。マーク・エヴァン・ジャクソン)、ジャック・チャップマン少佐(トビー・ケベル)、コール大尉(シェー・ウィガム)、ミルズ兵曹長(ジェイソン・ミッチェル)、スリフコ兵曹長トーマス・マン)、レルス上等兵(ユージン・コルデロ)、ハンク・マーロウ中尉(米軍パイロット。ジョン・C・ライリー)グンペイ・イカリ(MIYAVI)、イーウィス族、アル・ウィリス上院議員(リチャード・ジェンキンス)

コング、スカル・クローラー(巨大トカゲ)、バンブー・スパイダー(巨大蜘蛛)、スケル・バッファロー(巨大水牛)、リバー・デビル(巨大たこ)、サイコ・バルチャー(翼竜)、スポア・マンティス(巨大昆虫)

 

「キング・オブ・モンスター ゴジラ」を見る前に、テレビ放映の録画で見る。

1944年、太平洋戦争時、戦闘中にとある島に墜落した米軍パイロットと日本軍パイロット。激しく戦う二人の前に巨大なゴリラが姿を現す。

というオープニングから、タイトルクレジットを経て、一気に30年後のベトナム戦争終結時の1973年へ。国の特別研究機関モナークの科学者ランダとブルックスはウィリス上院議員から禁断の孤島髑髏島での調査の承認をとりつける。元特殊部隊のコンラッドをリーダーに、モナークの学者たちと戦場カメラマンのウィーバーNASAの衛星調査員らからなる調査団が、パッカード大佐率いる軍の護衛を伴って島を目指す。一行は常に島を取り巻く激しい嵐を抜けて髑髏島に到着する。地質の研究のため(実は巨大生物をおびき寄せるため)、ヘリ部隊スカイデビルズによる爆撃を開始するや否やキングコングが姿を現し、暴れまくってヘリ部隊を叩きのめす。

映画はここまで一気呵成に進み、最初からぐいぐい引っ張られる。

調査隊は、ヘリを大破され、仲間を殺され、仲間とはぐれ、惨憺たる目に遭い、到着してすぐ撤退を余儀なくされる。彼らは、島に棲む巨大生物の出現に怯え、攻撃をかわしながら、迎えがやってくる北の岬を目指す。途中、太平洋戦争中に不時着し、先住民イーウィス族とともに30年間島で暮らしてきた米軍中尉マーロウと会う。マーロウは、コングは島の守り神であること、真の敵は地下にいる大型トカゲのスカル・クローラーであることを調査団に話して聞かす。が、部下の復讐に燃えるパッカード大佐は、コング退治に執着するのだった。

最初から最後まで、見せ場続きの勢いに乗った映画だ。

主役のはずのコンラッドはかなり控えめ、女性カメラマンのウィーバーの方が目立つが彼女もさほど大活躍というわけではない。意地になりどんどん孤立していくパッカード大佐がサミュエル・L・ジャクソンが演じていることもあって際立つが、調査隊内の面々はいずれも横並びという感じで、それぞれに好感が持て、いざこざもわかりやすくストレートに描かれてじゃまくさくない。

なにより主役はコング、敵はトカゲ、それで見ていて飽きないのだから、モンスター映画の王道だと思った。

 

 

「拳銃使いの娘」を読む(感想)

拳銃使いの娘 SHE RIDES SHOTGUN
ジョーダン・ハーパー著
鈴木恵訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ(2019)

★ネタバレあり! 注意!!★

 

邦題がいい。
原題も意味がわかるといい。"ride shotgun"は、本書の解説によるとアメリカの俗語で「助手席に乗る」という意味だそうだが、英辞郎web版には、その意味は3番目で、1番「用心棒として駅馬車の御者の横に銃を持って座る」、2番「警護する」と出ている。西部開拓時代に源を発する言い回しのようで興味深い。
11歳の少女ポリーは、母エイヴィスと義父トムとともに暮らしていた。実の父ネイトは、犯罪者で刑務所に入っていたが、ある日の放課後、突然彼女の前に現れる。
ネイトは、刑務所で服役中に、凶悪なギャング集団アーリアン・スティールのボス、クレイジー・クレッグの弟に襲われ反撃して殺してしまう。クレッグは、刑務所からネイトとその家族の処刑命令を出し、命令はあっという間に娑婆の仲間たちに広がる。釈放されたネイトはエイヴィスとトムが自宅で殺されているのを発見し、ポリーを守るため、学校を訪れたのだった。
ポリーはなんの説明もないまま犯罪者の父に連れられ、車で逃亡の旅に出る。座るのは助手席である。
最初から最後まで逃亡と略奪と戦いのバイオレンス・ハード・アクションである。ネイトもポリーも、途中から加わるシャーロットもなかなかよく、激しい暴力と銃撃が続く展開は、小説を読んでいるというよりは、劇画か映画を見ているようだ。
ネイトは、犯罪の横行する環境で育ち、暴力を振るうことにも振るわれることにも慣れている。銃の扱いに長けていることが、ポリーの目を通して示される。(ポリーは、ネイトが拳銃のシリンダーをくるくるっと回してからぱしっと閉じるのを見て、銃のコレクターだった義父のトムが銃を「信用ならない生き物を相手にするみたいなやり方」で扱うのとは全然違うと思うのだった。)ネイトは、自分とポリーが生き延びるために逃げるだけでなく反撃に出るが、やがてポリーのために命をかけるようになっていく。ポリーは、最初のうちはほとんどしゃべらない。人とのコミュニケーションができずに自分の中にいろいろなものをため込んでいる少女で、ぬいぐるみのクマを自分で動かして話し相手としている。強力で武骨な父とともにいるうちに、小さな火種からだんだんと炎が燃え上がってくるように、うちに秘めた力を表してくる。
2人をおいかけるアジア系の男前の刑事パクや、悪徳保安官ハウザー、アーリアン・スティールとは別のギャング集団ラ・エメのボスのボクセルなどもキャラが立っている。
ネイトとクレッグが直接対決するのでなく、ボクセルの望む相手を倒すことと引き換えに、刑務所にいるクレッグの殺害を依頼する、というやり方が斬新だ。
このところ、「ブルーバード、ブルーバード」(アッティカ・ロック著)など、どちらかというと暗めで、知的な心理描写や人間関係のもつれを描いた小説を読んだ後だったので、四の五の言わず、ストレートに地獄へまっしぐら!って感じの本作は、かなり痛い描写も多かったが、勢いがあって痛快だった。

 

拳銃使いの娘 (ハヤカワ・ミステリ1939)

拳銃使いの娘 (ハヤカワ・ミステリ1939)

 

 

「テンプル騎士団」(佐藤賢一著)を読む(感想)

テンプル騎士団 
佐藤賢一著(2018年)  集英社新書
テンプル騎士団という名は、いろいろな映画や小説にちらほらと出てくるらしい。著者は、映画「スター・ウォーズ」のジェダイの騎士を、テンプル騎士団と重ね合わせる。(私は、ハメットの小説「マルタの鷹」に出てくるお宝マルタの鷹像を持っていた団体だだと思ってこの本を手に取ったのだが、これは勘違いで、マルタの鷹を作らせたのは16世紀のセント・ジョン・ホスピタル騎士団で「騎士団」しか合っていなかった。)
テンプル騎士団は、1120年に結成され1307年に姿を消したが、十字軍遠征の時代にヨーロッパにおいて絶大な勢力を誇った騎士団だったそうだ。
元々はエルサレムへの巡礼路の警備、巡礼者の保護という目的で結成された有志による自警団のようなものだったらしい。設立は、1119~1120年とされ、設立時の騎士はたった9人、従者などを入れて100人程度のもので、紋章は二人の発起人ユーグ・ドゥ・バイヤンとゴドフルワ・ドゥ・サントメールが一頭の馬に二人乗りしているという風変わりなものだった。有志でやっているから、お金がなく、見かねた聖職者や王侯貴族が住居や食べ物を与えたという。
それが、1127年のトロワ会議と呼ばれる教会会議(高位の聖職者、貴族など世俗の有力者たちによる会議)で、騎士たちは修道士に叙任され、「キリストとソロモン神殿の貧しき戦士たち」という騎士団員による修道会が結成された。それまでは熱心なキリスト教信者でしかなかった団員たちは、以後、騎士であると同時に修道士でもあるという、他にない身分を得る。同時期に、聖ヨハネ騎士団が、同じ東方エルサレムに誕生する。こちらは、十字軍遠征や巡礼の傷病者の治療看護をする修道会「エルサレムの聖ヨハネ病院修道会」だったものが、武装化して騎士団になった。どちらも騎士で修道士だが、テンプルは騎士が修道士に、聖ヨハネは修道士が騎士となったという逆の経緯が興味深い。
本書は、冒頭、パリに残る「タンプル」の地名の説明をひとしきりした後、テンプル騎士団事件という衝撃的な事件の発生について記し、そのあとに続けて、騎士団の起源から、十字軍の遠征とともに彼らが徐々に大きな力を得ていく様子を解説していく。
テンプル騎士団は、封建制度に基づくヨーロッパ諸国にはなかった常備軍として軍事力を発揮し、領地を得て農業を営むとともに強力な警備力を活かして運輸業や金融業にも乗り出して経済力を伸ばし、どの国家にも属さない超国家的な一大組織となっていった。その結果、戦争好きのフランス王フィリップ4世に疎んじられ、彼が仕掛けた1307年のテンプル騎士団事件によって壊滅する。
歴史解説書なので、列記される地名とか人名とか、ヨーロッパ史に詳しくない身にはピンとこないところもあるが、200年ほどの間の騎士団の栄枯盛衰がダイナミックに描かれていて、おもしろかった。
フランスでは壊滅状態になったが、他の国では生き残った騎士がけっこういてちりぢりになったという。時代冒険小説でヒーローや強い助っ人役にぴったりのシチュエーションにある人たちという感じだ。そのあたりでも「スター・ウォーズ」のジェダイの騎士と重なるのかと思った。

 

テンプル騎士団 (集英社新書)

テンプル騎士団 (集英社新書)

 

 

記録映画「サッドヒルを掘り返せ」を見る(感想)

サッドヒルを掘り返せ SAD HILL UNEARTHED

2017年 スペイン 86分
監督:ギルレモ・デ・オリベイラ
出演:
<「続・夕陽のガンマン」スタッフ>
セルジオ・レオーネ(監督)、エンニオ・モリコーネ(作曲家)、クリント・イーストウッド(ブロンディ)、エウヘニオ・アラビソ(編集者)、セルジオ・サルヴァティ(撮影助手)、カルロ・レバ(美術助手)、スペイン軍の兵士たち

<「続・夕陽のガンマン」のファン>
アレックス・デ・ラ・イグレシア(映画監督)、ジェームズ・ヘットフィールド(ヘヴィメタバンド「メタリカ」のボーカル)、ジョー・ダンテ(映画監督)、クリストファー・フレイリング(映画研究家)、カナダのファン2人組

<サッドヒル文化連盟のメンバー  Asociacion Cultural Sad Hill>
ダヴィッド・アルバ(バー経営者。*車で30分。)、ディエゴ・モンテロ(宝くじ売り、地元の恐竜発掘チーム員。*近くの村。)、セルジオ・ガルシア(ホステル経営者。アマチュア劇団員。*車で30分。)、ヨセバ・デル・ヴァレ(教師。祖父がエキストラで出演。父が本事業活動初日に他界。*車で2時間)*は各人の住まい、あるいは住まいからサッドヒルまでの所要時間など

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シネマカリテ新宿のロビーにあったオブジェ


セルジオ・レオーネ監督による1966年のマカロニ・ウエスタン(イタリア製の西部劇映画)「続・夕陽のガンマン」のファンたちが立ち上げたオープンセット再現事業の経緯とそこで行われた撮影50周年記念イベントの様子を、映画関係者などのインタビューを交えて描いたドキュメンタリー。

タイトルの「サッドヒル」とは、映画のクライマックスの舞台となる墓地の名称。中央に円形の石畳の広場があり、その周辺に同心円状に何千もの墓標(十字架)が立ち並ぶ。その墓のひとつに、20万ドルの黄金が埋められていて、3人の男(クリント・イーストウッドリー・ヴァン・クリーフイーライ・ウォラック)が争奪戦を繰り広げ、最後は円形広場で3人が三角形をなす形に向かい合って立つ、有名な三角決闘の場面となる。

サッドヒルのオープンセットが造られたのは、スペイン北部ブルゴス郊外のミランディージャ渓谷。撮影から50年が経ち、円形広場は20センチの土に埋もれ、雑草が茂っていた。タイトルは、その土を取り除いて石を敷き詰めた広場を掘り起こす作業を指す。比較的近くに住む映画のファンの男たち4人が「サッドヒル墓地」の再現を目指し、サッドヒル文化連盟を立ち上げ、ネットで世界中のファンに呼びかけ、墓地に建てる墓を売って資金を集める(墓の持ち主は、墓標に名前を書いてもらえるのだ)。各国からファンが鋤や鍬を持って集まりながらも、作業量は膨大で難航する。が、ついに広場に石の表面が現われ、周囲に2000もの墓標が立てられ、「サッドヒル墓地」が再現される。

事業の経過を追う中に、ヘヴィメタバンド「メタリカ」のジェームズ・ヘットフィールドや映画監督のジョー・ダンテや映画研究家など著名人のファンや、映画に関わった様々な人々のインタビューが挿しはさまれる。モリコーネの登場もうれしいが、レオーネ監督がスパゲティを食べながら映画について語るところでは非常に希少なものを見る思いがした。橋の爆破や墓地の建設に駆り出されたフランコ政権下のスペイン軍兵士だった老人も二人出てきて当時について語る。そんな中、不意にイーストウッドが現れる。この現れ方はよかった。

ファンの情熱は伝わってくるし、関係者の話も聞けて興味深かったが、しかし、ドキュメント映画としてはどうももったいない感じが残る。「ファンの情熱」「映画愛」がよかったというレビューがネットに寄せられているが(フィルマークスなど)、そこには「そのよさはわたしにはわからないけどね」という思いも隠されているように思えないではない。このドキュメンタリーを見ても「続・夕陽のガンマン」のよさはよくわからない。「名作」であることや、モリコーネの音楽が素晴らしいことは伝わるが、映画の内容についての説明や引用は少ない。橋の爆破シーンがあったことと最後の決闘シーンがちょこっと紹介されるだけである。元々は、サッドヒル事業のことを知ったオリベイラ監督が、YOUTUBEに流そうかというくらいの気持ちで現場に映像を撮りに行ったそうで、基本的にはわかる人にわかればいいという姿勢だ。でも、ドキュメンタリー映画として作品にする以上は、ただ讃えるだけでなく、もうちょっと「続・夕陽のガンマン」がどんな映画で、どういうところが人を魅了するのかについて示してほしかったように思う(三人三様の男たちの魅力とか、イーストウッドとウォラックの危うくも愉快な関係とか、橋の爆破についてもアル中の大尉の存在とか爆破に至るまでの経緯とかがいいのだし、ほかにもいろいろある)。

ところで、メタリカのことは全く知らなかったが、なんの予備知識もなくライブに行ってオープニングにいきなり大音響で「黄金のエクスタシー」がかかって、墓場を走り回るイーライ・ウォラックの映像がスクリーンに映し出されたら、(わたしだったら)さぞかし盛り上がるだろう。でも、最後のクレジットでずっとメタリカの曲が流れるのはいかがなものか。メタリカのファンはうれしいだろうが、ここはいったんヘットフィールドの顔を立てつつも、やっぱりモリコーネで締めるのが筋だろうと思う。