映画「ゴジラ-1.0」を見る(感想)

ゴジラ-1.0
2023年 日本 配給:東宝 125分
監督・脚本・VFX山崎貴
出演:敷島浩一(神木隆之介)、大石典子(浜辺美波)、水島四郎(新生丸乗組員。山田裕貴)、橘宗作(海軍航空隊整備兵。青木崇高)、野田健治(新生丸乗組員。元海軍の技術士官。吉岡秀隆)、太田澄子(安藤サクラ)、秋津清治(特設掃海艇・新生丸艇長。佐々木蔵之介)、堀田辰雄(駆逐艦雪風」の元艦長。田中美央)、斎藤忠征(遠藤雄弥)、板垣昭夫(東洋バルーン者係長。飯田基祐)、明子(永谷咲笑)

 

★注意! ネタバレしてます★

 

 

またゴジラかと思ったのだが、「シン・ゴジラ」(2016)がもう7年も前だと気づいて驚く。「永遠のゼロ」(2013)はさらにそれより前になる。(歳を取るとそういうことばかりだ。)
タイトルの「-1.0」は、「敗戦後焦土と化してゼロになった日本にさらに追い打ちをかけるような打撃が」、あるいは「1作目のゴジラよりさらに時を遡った設定の時代のゴジラ」といったような意味があるとかないとかいうことだが、どうもピンとこないというのが正直なところだ。小数点1位なのもよくわからない。
自衛隊がないから、例のテーマは流れない。伊福部の音楽は、中盤ゴジラの足音とともに流れる「チャラララ~」の一節と、そして、クライマックスのわだつみ作戦の時に流れる満を持してのゴジラのテーマ曲(「ゴジラがくる」と勝手に呼んでます)だが、これが盛り上がる。
音楽だけでなく、わだつみ作戦はこれぞゴジラ映画という醍醐味に満ちていてよかった。沿岸の海に立つゴジラに対し、空からは戦闘機「震電」が飛び回って攻撃し、そして海上には、ゴジラフロンガスをつけたワイヤをまきつけるため駆逐艦数隻が逆回りにゴジラの足元を周回する。すれ違う時にちょっと位置が重なって駆逐艦同士が接触したりするのも細かく気が利いている。
震電は、終戦間近に開発されつつあった試作品しかない戦闘機だそうだ。主翼とプロペラが後ろについていて、素人目にも通常の戦闘機とは真逆の変わった形をしていることがわかる。
操縦桿を握るのは特攻隊の生き残りの若者敷島浩一。生き残ったと言っても飛行機の故障とかではなく、怖くて自ら外れてしまったのだ。しかもその際着陸した大戸島守備隊基地では、ゴジラに襲われ、攻撃をためらったため駐屯していた整備兵のほとんどが死亡し、唯一生き残った整備兵(橘)に責められるという二重の責め苦を負うこととなるのだが、特攻仲間に対する負い目はほとんど描かれない。この敷島に共感できるかどうかが、ドラマ部分の評価の分かれ目のようだ。作り手は、特攻隊の生き残りの気持ちというと若い世代には理解しづらいだろうが、自分だけ生き残った罪悪感とすれば共感しやすいと思ったのかもしれない。「永遠のゼロ」で終始違和感を覚えた特攻兵に比べればわかりやすいのではと私は思った。
橘が震電を整備し、敷島に赤いT字のレバーの説明をしたとき、ひょっとして、これは爆弾が飛び出すとともに、操縦席も飛び出すのではないかと予感した。それはちょっと外れて脱出装置を使うかどうかは敷島の判断に委ねられたのだが、攻撃されたらお終いの戦闘機しか作ってこなかった日本の整備兵が操縦席ごと飛び出す脱出装置を機体に組み込むのは、斬新だ。しかも仲間を死なせたということで敷島を恨んでいたはずなのに、生きろという方に考えが向くあたりもいま風だ。それはそれで明るい気持ちになるからいいかなと思った。

 

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