映画「レ・ミゼラブル」を見る

ついに映画「レ・ミゼラブル」見に行きました。
よかったという方には申し訳ないんですが、わたしとしては、ものすごい感動までは行き着かなかったという感じです。たいへん興味深くはあって、なんかいろいろ考えさせられました。


レ・ミゼラブル LES MISERABLES
2012年 イギリス 158分
監督:トム・フーパー
原作:小説「レ・ミゼラブルヴィクトル・ユゴー
   ミュージカル「レ・ミゼラブル」クロード=ミシェル・シェーンベルク
出演:ジャン・バルジャンヒュー・ジャックマン)、ジャベール警部(ラッセル・クロウ)、ファンテーヌ(アン・ハサウェイ)、コゼット(イザベル・アレン(少女時代)/アマンダ・セイフライド)、マリウス(エディ・レッドメイン)、マダム・テナルディエ(ヘレナ・ボナム・カーター)、テナルディエ(サシャ・バロン・コーエン)、エボニーヌ(サマンサ・バークス)、アンジョルラス(アーロン・トヴェイト)、ガブローシュ(ダニエル・ハトルストーン)、司教(コルム・ウィルキンソン)、軍士官(ハドリー・フレイザー


★ねたばれというか、具体的な内容に触れてます。
フランスの世界名作文学を原作とする舞台ミュージカルを映画化。
19世紀のフランス。1本のパンを盗んだ罪で19年間の囚人生活を送ったジャン・バルジャンは、仮出獄後も危険人物として監視され続けていた。一宿一飯の恩を受けた教会で盗みを働いた彼だったが、司教の寛容な愛に感動し、姿をくらまし、別の人物として人生をやり直す。やがて、地元の名士となるが、しかし、彼を執拗に追うジャベール警部と再会、警部はジャン・バルジャンの正体に気付き始める。一方で、ジャンは不幸のどん底で亡くなった女性ファンティーヌに幼い娘コゼットを託され、彼女を引き取り娘として育てる決心をする。成長したコゼットは、若者マリウスと恋に落ちるが、彼は仲間の学生らとともに革命を企てていた。


ミュージカルとは、ふつうにお芝居があって、感極まったところで登場人物が歌い踊り出すというイメージがあったのだが、この映画ではずうっと歌いっぱなしである。
シェルブールの雨傘」という映画があってずっと歌いっぱなしだったが、あれは恋に浮かれ別れに嘆く若い二人の話だからずっと気持ちが高揚しているのもうなづけるし、つくりもコンパクトなのでついて行けた。が、本作は、長大な人間ドラマである。
この歌による話の進行に乗れるかどうかで、評価は変わってくると思われる。


船を人力で引きあげさせられる冒頭の囚人たちの歌、旗を持ってこいと言われて重たそうな支柱ごと旗を運んで力持ちぶりを発揮しながら身の上を嘆くジャン・バルジャン。このあたりのつかみはよかった。
のだが、ジャン・バルジャンの身の上話、ファンティーヌの身の上話、ジャベール警部の執念、いかがわしいホテルの小悪党テナルディエ夫妻の愉快な悪事自慢、コゼットとマリウスの恋、片思いの女の子エボニーヌの切ない胸のうちなど、次々に畳みかけられ、饒舌を通り越した過剰な情報提供の嵐に、どうにもたじたじとなってしまった。
歌はセリフではなく、状況説明であり、心情暴露である。みんながみんな、何の溜めもなく、思ったことをそのまま口にしてさらけ出す。一方的に自分の言いたい事を訴える場面が多い。舞台ならきっとそれが迫力があっていいのだろうが、映画の場合どうなのか。
歌は心の声なのかとも思ったが、聞いて反応する人もいるので、他の人にも聞こえているのだろうが、歴然とした対話以外はどうもみんなあまり人の話(歌)は聞いていないようだ。
ジャベールとジャンの対決シーンは、それが活かされている。ジャンの正体を知って詰め寄るジャベールと逃れようとするジャン。敵対する二人の男が、相手の言葉を聞く耳持たず、それぞれ違う歌を歌って心情をぶちまけながら、戦う。この相手とのかみ合わなさがよかった。
(執念の刑事の元祖のようなジャベール警部は、幼少のころ「ああ無情」という邦訳のついた児童文学全集で読んだ時から印象深いキャラクターである。今回はラッセル・クロウが好演、高所の淵を歩くのもいい。)
人々はしかし、革命前夜の「ワン・デイ・モア(One Day More)」、「民衆の歌(The People's Song)」でついに唱和する。革命は人の心をひとつにするということか。
で、そのあと、初めて沈黙が訪れる。戦闘の後、広場に並べられた若者たちの死体を前に、ジャベールは文字通り言葉を失くす。続く下水道のシーンも静かだ。ジャンは負傷したマリウスを抱え、汚物まみれになって脱出を図る。ここも歌ってる場合じゃないということか。
最後はあの世での「民衆の歌」の大合唱。さすがにじんと来る。気持ちは高ぶるのにそこはかとなく悲しいエンディングである。