映画「ザ・マジックアワー」を見た

三谷幸喜脚本・監督による映画「ザ・マジックアワー」を見た。
ギャングが牛耳る守加護(しゅかご)の街。ボス天塩(西田敏行)の愛人マリ(深津絵理)に手を出したナイトクラブの支配人備後(妻夫木聡)は、幻の殺し屋「デラ富樫」を連れてくることを条件に死の制裁から逃れる。
デラ富樫は、誰も顔を見たことのない凄腕の殺し屋。備後は、5日間という期限内で彼を見つけることは不可能と悟り、売れないアクション俳優村田大樹(佐藤浩市)にありもしないギャング映画への出演話を持ちかけて、彼をデラ富樫に仕立てようとする。
多少の不信感を抱きつつも、備後に言われるままにギャングの衣装を身にまとい、アドリブの台詞で殺し屋になりきる村田。知らぬが仏とばかりに、本物のギャング相手にゴム製の拳銃でにらみをきかせ、港の銃撃戦では実弾の飛び交う中、喜々としてヒーローを演じる。佐藤浩市ファンにはうれしいシーンが目白押しだ。
彼の他にも、妻夫木、西田、ギャングの若頭役の寺島進、ナイトクラブのスタッフで撮影隊スタッフにもなりきる伊吹吾郎、村田のマネージャー役の小日向文世、ホテルの女主人の戸田恵子らが好演、映画を裏で支えるスタッフ役の面々のイキイキとした職人ぶりは気持ちよく、そこかしこでちょっとだけ登場する俳優たちの顔ぶれはゴージャスだ。挿入される「昔」の映画(「カサブランカ」あるいは「夜霧よ今夜もありがとう」風)や市川昆監督の撮影現場(「黒い十人の女」風)も楽しい。
書き割りをバックに語られる「マジック・アワー」のうんちくや、「役者は揃った。」「カットと言っていいのはこの人だけだ!」といった台詞や、伊吹吾郎が叫ぶ「撤収!」などは、絶妙この上ない。
が、それらはあくまで細部だ。物語全体を支える基盤は、ゆるい感じがする。三谷幸喜脚本とくれば、緻密でしっかりした骨組みを期待してしまうのだが、今回は、あまり突き詰めていないように思える。
美しいセットの中で繰り広げられる映画の中のような話(で実際も映画)。だからといって、あいまいなまま進めていいということにはならないだろう。セットの街を「映画の中の街みたい。」と綾瀬はるかに言わせ、村田を騙す上でどう考えても無理のある設定については「だまし通せるわけないじゃない。」と何回も深津に言わせ、挿入映画についても「ひどい映画。」と深津に批判させる。観客の先手を取るようなこれらの台詞は、しかしユーモアというよりは、言い訳じみていて潔くないとわたしは思った。
ということで、気の利いた細部はたしかに愉快でわくわくするのだが、それぞれが断片に留まり、たとえばジグゾーパズルのピースのように、ひとつひとつが全体の絵の中での役割を果たしてきっちり噛み合う、といった具合にはなっていないので、そうしたことから来る恍惚感は得られなかった。何度となく笑い転げながらも、三谷なだけに、あえてそう言いたくなるのだった。