シャマラン監督の映画「エアベンダー」を見る

エアベンダー The Last Airbender
2010年 アメリカ 103分
監督:M・ナイト・シャマラン
オリジナル・アニメ・シリーズ:「アバター 伝説の少年アン」AVATAR: THE LAST AIRBENDER(アメリカ ニコロデオン 2005年〜)
出演:アン(ノア・リンガー)、カタラ(ニコラ・ペルツ)、サカ(ジャクソン・ラズボーン)、ズーコ王子(デヴ・パテル)、アイロ(ショーン・トープ)、ジャオ司令官(アーシフ・マンドヴィ)、オザイ王(クリフ・カーティス)、ユエ王女(セイチェル・ガブリエル)
気、水、土、火の国が存在する世界。それぞれの国には、それぞれのエレメントを操るベンダーと呼ばれる人々がいる。その中から4つのエレメントを司ることのできるアバターと呼ばれる者が代々どこかの国に生まれ、精霊と話し、世界の均衡を守る者として、人々から崇められていた。
しかし、アバターとして生まれた気の国の少年アンは、家族も持てずアバターとして生きることの重責に堪えきれない思いを抱き、修行中に脱走する。ほんのちょっと休むつもりで自ら氷の中に閉じ籠もるが、目覚めたのはなんと100年後だった。
アバター不在の間に、世界の均衡は崩れ、火の国の王が戦争を始め、気の国はほろび、土の国の多くは火の国の支配下に置かれていた。
アンは、南の水の国のベンダーの少女カタラとその兄サカによって発見され、彼らとともに、世界の均衡を取り戻す旅に出る。
修行半ばだったアンは、アバターであるにもかかわらず、4つのエレメントのうち、気を操ることしかできなかった。まずは、水を操る術を会得するため、北の水の国に向かう。が、恐れを知らない火の国の王は、北の水の国に棲む月と海の精霊を殺害することを思いつき、北の国の襲撃を企てるのだった。
という、異世界もの冒険ファンタジー
異能者たちの戦いやドラゴンや精霊や暴君や老師が出てくるのはああまたかという感じだが、登場人物にアジア系が多いことや、ベンダーたちがエレメントを操るときの動きが、カンフーのそれなのが新鮮だった。私事でなんなんだが、一年半前から健康太極拳を始めていて、それで思ったのだが、彼らの動きは、太極拳と同じようなものがあった。(カタラが水を操るときに、顔の前で手を交差させる動作など、二十四式に出てくる型とほぼ同じだ。) 気の国はいろいろな人種が混じっていそうだったが、火の国はインド系、土の国は中国系、水の国だけ西欧系という風に見受けられた。
父王から追放され、アバターを探して旅を続ける火の国の不遇の王子ズーコを「スラムドッグ・ミリオネア」のデヴ・パテルが好演。彼に付き添う叔父のアイロもしぶい。
私が見たのは、3Dではなく2Dだったが、SFXは見応えがあった。特に、水の国の人たちが操る水の塊はとてもきれいだった。
さて、ところで、シャマラン監督ならではの魅力はというと、本作ではそれはあまり感じられなかった。
「ハプニング」の時にも書いたが、私は、一世を風靡した「シックス・センス」はたしかにとてもよい作品だと思うが、むしろ、小規模で特定の地域で起こる現象を描いているうちに話を広げすぎて破綻してしまう「サイン」や「ハプニング」のようなシャマラン映画が好きだ。
一種独特の「空気」に魅了されるのである。空気を魅せる監督が、気を操る少年を主人公にした映画を撮るというのは、なるべくしてなったような気もするが、いかんせん、原作のストーリーに押されたか、尺に余裕がなかったか、これまで見られた、木々のざわめきや風などに込めて魅力を放っていた、シャマラン監督ならではの「気」が描かれていないように思えた。
三部作の一部ということで、アンは、まだこれから土と火の操り方を覚えなければならないし、父王のお気に入りであるズーコの妹がアバター捕獲を王に命じられたところで続くとなっているが、アンが子どもであるうちに完結するのか、ちょっと心配だ。

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