高橋洋監督による映画「恐怖」を見る

恐怖
2010年 日本 94分
監督・脚本:高橋洋
出演:太田みゆき(中村ゆり)、太田かおり(藤井美菜)、間宮悦子(片平なぎさ)、雅美(長宗我部陽子)、服部(斉藤陽一郎)、久恵(吉野公佳)、本島(日下部そう)、平沢刑事(高野長英)、理恵子(波多野桃子)、和志(郭智博)、拓巳(松嶋亮太
★ねたばれあり!!★


戦前に満州で行われた脳実験の記録フィルム。幼い姉妹みゆきとかおりは、ある夜、自宅で両親が映写していたそのフィルムから発せられる謎の白い光を見てしまう。
17年後、医者のたまごとなったみゆきは、自殺サイトを通して集まった4人の若者たちとともに、練炭集団自殺に加わる。が、計画の首謀者服部は、女医間宮悦子の部下であり、彼女が行う違法の脳実験の被験者を確保するため、自殺志願者たちを集めていたのだった。
悦子は、病院に運ばれてきた被験者の一人が、長いこと会っていなかった娘のみゆきであることに気づく。が、娘であることなどお構いなしに、彼女は実験を進める。みゆきたちは、死んだと思い込まされ、悦子の手によって開頭手術を施される。シルビウス裂と呼ばれる脳の部分に電気を通され、さらに不気味な金属物を埋め込まれる。悦子によれば、これにより、彼らは、常人には見えないものが見えるようになり、霊的進化を遂げるという。男2人は実験途中で息絶え、みゆきは、自分のほかに生き残った理恵子をつれて、病院を脱走し、姿を消す。
やがて妹のかおりがみゆきのアパートを訪れる。彼女は、みゆきの恋人本島や刑事平沢とともに失踪した姉の行方を追い始める。
と、ここら辺までが普通に見ていて、普通に理解できる部分である。集団練炭自殺がたんたんと行われる様子も、頭を切り開いて脳をむき出しにする手術の様子も、実験のために自殺サイトを利用するという企ても十分怖い。
しかし、やがて話は坂を転がるようにわけがわからなくなっていく。

古い白黒の記録フィルム、脳実験、幽体離脱、失踪した姉を捜す妹、娘たちは太田なのに何故か間宮という姓を持つ狂気の科学者(片平なぎさが怪演!)、処女受胎、肉を貪り食う妊婦、映像の中からこちらを見る人々、白い光に白い霧、といった、もろもろのものが次々に登場してきて、そこはかとない怖さを醸し出す。
のだが、見えないものとはなんなのか示されることはない。あれだけ不気味な脳手術をしながら、見えないものが見えるとさんざん盛り上げときながら、幽体離脱した自分の姿が見えるだけということはあるまいに、彼らが見ているものとして示されるのは、宙に浮いた己の姿のみである。頻繁に出てくる白い光の正体もわからない。
最後の集団自殺者発見シーンがさらに意味不明である。

ということで、以下は、私の勝手な解釈となります。死者の夢というのも、白い光と核爆発というのも、私の想像や連想です。
ねたばれもしまくりです。

ラストは夢落ちという解釈はとりあえず避けたい。監督は「パラレルワールドと思ってくれてよい」と言ったそうだが、できればそれも避けたい。「思ってくれてよい」というちょっと回りくどい言いようが気になるし、パラレルワールドという言葉はSFっぽくてあまり監督になじまないように思う。
で、どうにか思いついたのは、ラストシーンの方が夢だという逆夢落ちパターンである。死者たちが思い描く、自分が死んだ後はこんな感じになるんだろうなという夢の世界、きれいな死に顔のまま発見され警察に収容され、やがて身内に訃報が届くという、平穏な遺体の行く末である。しかし、「恐怖」の現実は、彼らの夢の世界にまでも干渉し、服部の頭部には亀裂が走ってしまったのだった。という塩梅である。
そんでもって、白い光である。
常に近くに在るのに常人には見えない世界ということでパラレルワールドという言葉が出てくるのだと思うが、ホラー映画においては「あの世」「霊界」と考えるのがもっともすんなり行く気がする。が、ここで悦子が娘に繰り返し語ったという吸血鬼の話が引っ掛かってくる。吸血鬼にはあの世がない、ただ消えるだけ、だから人間と違って吸血鬼の死に様は潔いという話だったように思うが、これは、つまりだから人間にはあの世があるということになるのか、それとも逆に吸血鬼と同様、実は人間にもあの世はないということになるのか。曖昧だ。
白い光と高橋監督ということで、私が思い当たるのは、「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」で、彼がラストのインディとマリオンの結婚式シーンで、教会の窓の外に見たような気がしたと言った白い光である(おそらく、彼のほかは誰も見ていない)。彼によれば、それは、同映画前半に出てきた核実験の光なんじゃないかという。となると、白い光とは、核爆発の光、引いては死の光に重ならないか。
ということを考えあわせると、脳手術を受けた人たちが見えるものとは、すべてが死滅した世界ということにならないかしら。しかもそれは、何千年何億年も先の未来の話ではなく、常人には見えないけれども、この世界と平行して常にそこらへんに存在する世界なのである。そう考えると、漸くちょっとぞっとしてくる。白い霧は、その世界のほんの一部が理恵子の胎内から流れ出してきたということか。(この悦子を襲った白い霧は、ジョン・カーペンターの「パラダイム」を思い出させる。同様に得体の知れない怖さを全編に漂わせつつ、結局なんのことやらわけがわからんという映画だった。何かを伝えようとしているが意味不明のビデオの画面もやけに怖かった覚えがある。)
ということで、よほど想像力がないと、こわさが実感できない映画に仕上がっていると思った。このもどかしさは、何十年も昔、初めて江戸川乱歩の「鏡地獄」を読んだときに抱いた思いに似ている。さんざん雰囲気を盛り上げておいて、最後、すべての恐怖は読者の想像力に委ねられる。球形の鏡の内側がどれほど恐ろしいものなのか遂に到達できずじまいだったが、私の乏しい想像力はあのころからほとんど進化していないようで、今回も、見えないけどそこらへんにある世界がどれほど恐ろしいものなのか、「恐怖」にたどり着くことはできないのだった。

<追記8/14>
高橋監督の話によれば、パラレルワールドというよりは、「現実がいくつもある」という言い方が一番ピタッとくるということです。

恐怖 [DVD]

恐怖 [DVD]

  • 発売日: 2010/12/22
  • メディア: DVD