「仁義なき戦い」活字版のようなハードボイルド小説「孤狼の血」を読む(感想)

孤狼の血
柚月裕子(ゆづきゆうこ)著(2015)
角川書店

★ネタバレ多少ありますので注意★ ラストのせりふばらしは白字にしてあるので、PCではドラッグすると読めますが、すみませんが、スマホでは読めないみたいです。

新聞広告で見かけ、黒川博行氏が評価していたので、黒川作品のようなハードボイルドかと思い、手に取った。
紹介文の昭和63年、広島という設定を見て、映画「仁義なき戦い」と同じだなと思ってはいたものの、最初のページで「頂上作戦みたいだな」と思い、以降、ページを繰るとともに、「なつかしい」広島弁が飛び交い(「どこのもんなら、おおっ」とか「ぶちのめしちゃれい」とか「やれんのう」とか)、どんどんどんどん「仁義なき戦い」の世界が活字で展開されていくので、びっくりした。

広島県呉原東署捜査二課暴力団班長大上章吾の班に、もと機動隊の新米刑事日岡秀一が配属されてくるところから物語は始まる。
大上らは、失踪した金融会社社員上早稲の行方を追っていた。その会社は地元暴力団加古村組のフロント企業で、やがて上早稲は加古村組の者たちによって拉致され殺されていたことが判明する。
一方、加古村組と尾谷組との間でいざこざが発生する。発砲事件や殺人事件が起こり、加古村組の上部組織五十子会が乗り出してくる。
尾谷組は神戸の明石組系なので衝突が続けば明石組も黙っていないだろうということで、このままいけば呉原市は激しい抗争の場と化すことが必至なのだった。
大上は、五十子や加古村と同じ仁正会系の暴力団瀧井組の組長瀧井銀次と旧知であり、また、尾谷組の若頭一之瀬守孝とも親しくしている。
そこで間に入って抗争を食い止めようとする。鳥取刑務所に服役中の尾谷を訪ねて一之瀬を思いとどまらせるよう話をつけ、上早稲殺しの件で加古村組を追及し、力を削ごうとする。が、それでも両陣営の衝突は止まらず、状況は悪化していく。大上は五十子を押さえるため、最後の手札を切って勝負に出る。
極道と交わり、違法行為を繰り返すやり方に疑問を抱きつつも、日岡はぐいぐいと大上に引っぱられていく。全編が日岡の目を通して語られるため、ラスト2回に渡る大上と五十子とのやりとりの様子は描かれない。

仁義なき戦い」好きにとっては、もうそれ前提でしか感想が語れない小説である。
盛り上がれば例の超有名なテーマ曲が頭の中で鳴り響くし、主役の大上章吾は、登場した時から菅原文太の容貌と声でしか読めなかった。
章吾という名前なので、字は違うけど、瀧井に「しょうちゃん」と呼ばれるし(映画にも神戸の明石組は登場し、そこの斬り込み隊長岩井信一(梅宮辰也)は広能昌三(菅原文太)のことを「しょうちゃん」と呼ぶのだ)、ラストの日岡のセリフ「嵯峨さん。俺が持っとるネタは、まだ仰山ありますがのう・・・。」は、「山守さん、弾はまだ残っちゅうがよ。」という、第1作ラストの有名なセリフとかぶらざるを得ない。
ということで、映画を見ていたときと同様、気張る男たちの広島極道弁の応酬に、血沸き肉躍る思いが味わえた。
死体の描写はひどく生々しく、物語はハードに進む。
日岡が大山にぞっこんになっていくのもいい(日岡の立場は、実はよく注意して読めばわかるように書かれている)。
が、敵は五十子とその配下の加古村組、同じ筋の瀧井はしかし大上の友人、敵対する尾谷組の一之瀬も大上側で、その構図は変わることがないため、「仁義なき戦い」のように敵味方の筋が入り乱れてぐじゃぐじゃになることはなく、「県警対組織暴力」のように心が通じあったかに見えても所詮警官とヤクザの間に友情は得られないといったような切ない展開もない。狂おしいような男と男の対立がなかったのが、個人的好みからいうとちょっと惜しいかもしれない。

関連本:「映画はやくざなり」
http://d.hatena.ne.jp/michi-rh/20110903/1315034858

映画:「孤狼の血
https://michi-rh.hatenablog.com/entry/20180607/1528379579