映画「ヴィジット」を見る(感想)

ヴィジット THE VISIT
2015年 アメリカ 94分
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
出演:ベッカ(オリヴィア・デヨング)、タイラー/自称Tダイヤモンド(エド・オクセンボウルド)、祖母(ディアナ・ダナガン)、祖父(ピーター・マクロビー)、ママ(キャスリン・ハーン)
15歳のベッカと13歳のタイラーの姉弟は、一週間の休暇を過ごすため、ペンシルバニア州の田舎町にある祖父母の家にやってくる。彼らの母は若い時駆け落ちして家を出て実家と音信不通になっていたため、姉弟は祖父母に会うのはこれが初めてだった。でも、やさしげな祖父母は二人の孫を温かく迎え入れてくれるのだった。
映像製作に凝っているベッカは、この機会に母と家族のドキュメンタリーを撮ろうと思い立ち、終始ビデオカメラを回し、映像を撮り続ける。
祖父は、年寄りは早く寝るから夜9時半以降は寝室にいるようにと孫たちに告げる。しかし、二人は、深夜、階下にいる祖母の異様な行動を目撃してしまう。その後、老夫婦は、孫たちの前で数々の奇行を見せるのだが、祖父は祖母を、祖母は祖父を気遣い、奇行は病気や歳を取ったせいだと互いを弁護するのだった。
一方、タイラーは手を洗わないと気がすまない潔癖症で、ベッカは鏡を見ようとせず自分が撮った映像でしか自分の姿を見ることができない。祖父母がそれぞれ相手のことを説明したように、姉弟もそれぞれ画面の中で相手のことを説明し、そしてそれは、父に棄てられたことで二人が心に傷を負っているからなのかなとも思われてくる。
物語はずっとベッカのカメラのレンズ越しに映し出される。いわゆる一人称カメラ(近頃はPOVというらしい)というやつで、母親を始め、ベッカ本人やタイラー、祖父母のインタビューを交え、ベッカがレンズを通して見ているものが映されていく。ベッカが動いているときは画面も移動し、フィックスになると床に置かれるのであおり気味の画面となる。これが幾分息苦しくなくもないのだが、やがて限りなく客観に近い夜空のショットや遠景の場面が入ったり、据え置きの位置も高めになったりして、見やすくなってくる。
シャマラン監督の描く「不穏な空気」は健在である。大仰な盛り上げ方の割に真相はしょぼいというのもお馴染みな展開でうれしい。こんな書き方をすると、YAHOOのレビューなどでぼろくそ言われようが私はシャマランのよさをわかっているからねと言いたがっているように思われるかもしれないが、私は監督を「作家」と呼んだり、「手法」で映画を見たりする方ではなく、独特の「不穏な空気」が見たい、味わいたいだけで、シャマラン監督の映画はそれが楽しみということを、娯楽映画ファンとして言いたいのである。
ホラー映画的に怖がらせ脅かせる場面では、何度となく劇場で笑いが起こったが、これはつまりマンガ「バクマン」でいうところのいわゆる「シリアスなギャグ」とでもいうか、作り手はふざけているわけではなく、真面目にやってこその笑いであり、ホラー映画とはそういうものではないかと思われる。
「ハプニング」では環境問題を取り上げていると言われたが、今回は「高齢者問題」を取り上げていると言えなくもない。おむつの件など不快な人には不快この上ないだろうが、しかし、排泄の問題は人間の生理において否が応にも付きまとうものであり、そこには老いに対するブラックなユーモアとともにそこはかとなない悲しさが垣間見えなくもない。
顔面に最悪のものを(彼にとっては特に)押しつけられたタイラーが、立ち直ったぽい感じで最後にラップでまとめる姿に「子どもはたくましい」と可笑しくも心強く思うのだった。