電脳小説「ヒッキーヒッキーシェイク」を読む(感想)

ヒッキーヒッキーシェイク

津原泰水著(2016年)
ハヤカワ文庫(2019年)

★ネタバレしてます★

(10/28 一部更新)

アマゾンでお勧めされて衝動買い。文庫化に当たって出版社側といざこざがあったらしいけど、それは置いておく。不思議なテイストの小説。

ひきこもりカウンセラーの竺原の声掛けにより、4人の引きこもりが共同してある電脳プロジェクトに取り組む。プロジェクトの目的は、「不気味の谷を越える」こと。

自ら詐欺師と称する竺原は、うさん臭さがぷんぷんとする50代の男。彼が声をかけるヒッキー(ひきこもり)たちは、タイム、パセリ、セージ、ローズマリーと呼び名をつけられる。このハーブの名称の羅列を見れば、竺原と同年代で、条件反射的にサイモン&ガーファンクルの「スカボロ・フェア」のメロディが頭をよぎる者は少なからずいるはずだ。そして、追い打ちをかけるかのように、同曲の歌詞が章の終わりごとに引用される。

パセリ(乗雲寺芹香)は、18~19歳のハーフの女の子で美術の才能がある。西洋人の落語家という有名人を父に持ったため、西洋人の容貌をしていてかなりの美少女らしいが、中身は日本人で英語も全く話せず、容貌と中身のギャップに悩んでいる。セージ(刺塚聖司)は大人の男で、学会で研究発表をしたこともある高学歴の技術者。実家の敷地に建てられたちょっと風変わりな建物に一人で住んでいる。タイム(苫戸井洋祐)は中学生の男の子で音楽に興味がありベースを弾き、パソコンで作曲もする。竺原いわく、タイムが「一番大人だが、症状は一番やばく」て、人に見えるものが見えず、見えないものが見えたりする。ローズマリーは、ロックスミスと呼ばれるハッカー中のハッカーで、最後まで性別も氏名も不明。卓越したネット技術?を持つ。

不気味の谷を越える」とは、「人間を創る」ことで、つまり、CGで人をつくっても細かいところにこだわるほどに人ではない「不気味さ」が生じてしまう、その不気味さを感じさせないリアルな人間を創る、ということらしい。

それが最初のプロジェクトで彼らは「アゲハ」という美少女の創造に取り組む。

続いて、第二段は、竺原の故郷の町に小さな象のようなUMA(謎の生物)「ユーファント」が出現するという話をでっちあげる。この計画は過疎化が進む村の地域おこしへと発展していく。

ところが、「アゲハ」から「ウォルラス」という有害なサイトへ誘導する仕掛けが何者かによってしくまれる。そのサイトの映像を見た者は体調を崩し、吐き気と頭痛に襲われる。コンピュータウィルスではなく、リアルに人体に感染するウィルスである。

犯人は「ジェリーフィッシュ」と名乗る者だとわかる。竺原とヒッキーたちは、「ウォルラス」による感染を阻止するため、ジェリーフィッシュが関心を持ちそうな「ロボットアニメ」を作ってネットに上げ、彼をおびき寄せる作戦に出る。

電脳世界のことはよくわからないので、なんだかあまりよく実感のわかないふわふわした感じでしか読めない小説なのだが、すいすいと読みやすくはある。

「ヒッキー」たちのそれぞれの事情と、プロジェクトに関わることがきっかけとなってちょっとずつ外の世界に向き合っていこうとする様子が描かれていくのが、なかなかよく、引きこもりという言葉から連想される閉塞感とは反対に、不気味の谷、渓谷に出現する小さな象と言ったイメージが、そこはかとない解放感を感じさせる。(「不気味の谷」とはネット世界では知られる用語らしいが、初めてそれを知った者としての字面からのイメージである)。

竺原という、どうみてもうっとうしそうな中年男にあまり嫌悪感を覚えないのも不思議だ。が、物語のふわふわ感を強めているのは、「アゲハ」でも「ユーファント」でもなく、この竺原のとらえどころのなさと、ローズマリーの存在である。神出鬼没の伝説のハッカーが登場することで、物語は一気にマンガ的になり、荒唐無稽さを増す。

竺原の言動の真意が明らかになっていくにつれて、うさん臭ささはなくなっていくが、彼の事情の暴露は、途中から予想できなくもなく、夢の世界から地に足のついた現実世界に戻されたような気にもなり、もう少し奇想天外な展開になってほしかったようにも思う。

 

ヒッキーヒッキーシェイク (ハヤカワ文庫JA)