元プロ野球審判による本「誰も知らないプロ野球「審判」というお仕事」と日本シリーズ第2戦

「誰も知らないプロ野球「審判」というお仕事」
篠宮愼一著(2009年) 祥伝社

1982年から1997年までの16年間、セントラルリーグで審判を務めた著者が、プロ野球審判の仕事と球場で接した選手たちについて語る。審判の目を通してみるプロ野球という目線が実に新鮮だった。 <以下敬称略>
前半は、審判の仕事について。
審判は、球審と3人の塁審の4人で試合を捌く。選手はイニングの交代でベンチに入って休む時間があるが、審判は試合中ずっと球場に出ずっぱりで、トイレにも行けない。注目はされないが、ずうっと人目にさらされているので、服装や立ち姿にも気を使う。長打が出ると、塁審は、野手をよけながら、打球を追って全力疾走する。正確な判定が要求され、微妙な判定にはヤジが飛び、大事になると記者会見が開かれる。誤審やチーム名の言い間違いには処分が下される。考えてみれば当然のことなのだが、改めて聞くとつくづく大変な仕事だと思った。
審判にはプロ野球の選手にはなれなかったけど、それでも野球と関わりたい野球好きな人がなる。
審判は、シーズンが近づくと、体のトレーニングはもちろん、カラオケボックスなどで発声の練習もする。
審判は単年契約。試合がどれだけ長引いても手当は変わらないので、早い試合展開を望む。また、雨でノーゲームになるとただ働きになる。
審判は選手との個人的な付き合いを避けるが、ヤクルト時代の高津投手は審判全員に年賀状を出していた。
セ・リーグ審判対パ・リーグ審判で年に一度軟式野球の試合をする。
といった知られざる話が読める。

ところで、審判の判定に対する抗議についてだが、アメリカは自由の国なので、抗議など日常茶飯事なんだろうと勝手に思っていたら、どうやらそうではないらしい。アメリカでは審判が大きな権限を持っていて、組合もあるそうだ。抗議しても無駄なので、アメリカの監督や選手はあまり抗議をしないらしい。
日本でも、抗議はしていけないことになっているらしいが、実際はそうではない。審判に対してもっとリスぺクトを、と著者は一貫して訴えている。

後半は、いろいろな選手のことが書かれていてまた興味深い。
古田捕手の独特の捕球方法や、審判泣かせの広島の達川捕手、阪神の木戸捕手など、百戦錬磨のプロの捕手とのやりとりがおもしろい。
(広島の達川捕手は、清原和博著「男道」にも出てきた。私が野球を見るようになったのは、ここ最近なので、ちょっと前の選手でもほとんど知らないのだが、達川という人は、どうやら広島弁でべらべら喋って打者や審判を攪乱する、かなり癖のある捕手だったらしいことが窺える。)
落合が抗議するでもなくぼそりと言った「篠、ボール半分低いぞ。」というひと言がぐさりと来たとか、イチローが、審判の判定に合わせてストライクゾーンを変えてしまうとか、大物打者とのエピソードも読み応えがあった。


ちょうどこの本を読んでいる最中に、日本シリーズ日本ハム対巨人の第2戦があった。
テレビ朝日の放映で解説をしたのは、清原和博新庄剛志両元選手。二人のやりとりは、前日の野村元監督の濃厚な解説とは対照的で、どちらかというとバラエティ番組のトークのようだったが、これはこれで楽しかった。
試合では、日ハムのダルビッシュが本調子でなないながらもエースの風格を見せて好投。日ハムが、3回裏に巨人先発の内海から4点を奪って先制する。4回表には、亀井が2ランで2点を返す。
4−2で迎えた6回表。再び亀井がヒットを放って出塁。が、1塁から2塁への走塁の際、充分間に合ったにもかかわらず、ベースから足が離れてしまう。塁審はこれを見逃さず、アウトを宣告。これを見て、清原と新庄が、「審判、誰だ。」「真鍋さんじゃないですか。」「そうだ、真鍋さんだ。」「さすがですね。」「よく見てるなあ。」といった会話を交わしていた。
おお、あれが真鍋審判かと思った。この本でも名前が出てくる審判である。(ちょっとかわいそうなエピソードなのだが。)
それと、やはり、このときの亀井のヒットについて。インコースの球をすかさず肘を引いて打っていたのを見て清原が、「あれはなかなか打てる球じゃないです。肘を畳んでね。高等技術ですよ。」と褒めていたのだが、この本の中で、著者が清原選手について、アウトコースは得意だけど、インコースの球を腕を畳んで打つのが苦手だったようだ、と書いていたのを思い出した。両者の言うことが合致していることを発見して、ちょっとうれしかった。
(試合は、4−3で日ハムが勝つ。1対1で東京ドームでの3連戦を迎えることに。)

誰も知らない プロ野球「審判」というお仕事

誰も知らない プロ野球「審判」というお仕事