映画「フォードvsフェラーリ」を見る(感想)

フォードvsフェラーリ FORD V FERRARI LE MANS '66

2019年 アメリカ 153分
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:キャロル・シェルビー(マット・デイモン)、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)、
モリー・マイルズ(カトリーナ・バルフ)、ピーター・マイルズ(ノア・ジュープ)、フィル・レミントン(レイ・マッキン)、
リー・アイアコッカジョン・バーンサル)、ヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)、レオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)、エンツィオ・フェラーリ(レモ・ジローネ)

表題通り、ル・マン24時間レースの常勝車フェラーリにフォードが挑戦して、見事優勝を果たすまでの顛末を実話に基づいて描く。レースのことも車のこともほとんど何も知らないが、楽しめた。

1960年代後半。ル・マンで優勝経験のある唯一のアメリカ人レーサー、キャロル・シェルビーは、心臓疾患のため引退し、スポーツカーの製造会社を運営していた。ある日、フェラーリ社の買収に失敗したフォード社から、ル・マンで優勝できる車を造ってほしいという依頼がくる。シェルビーは、かねてより気になっていたイギリス人ドライバー、ケン・マイルズに声をかけ、二人はともにフォード車でのル・マン優勝を目指す。

引退を余儀なくされ裏方に回ったかつての花形レーサーのシェルビーと、ドライバーとしても技師としても際立つ能力を持ちながら人づきあいが苦手で性格に問題のあるケン・マイルズの、二人のぶつかりあいと友情だけでなく、フェラーリの創業者エンツォに田舎者呼ばわりされて激昂奮起するヘンリー・フォード二世や、その下で辣腕を振るうアイアコッカ(後のフォード社社長)、シェルビーの会社のスタッフたちなど、働く男たちの意地が随所に見られる。久々の、壮快な男騒ぎの映画である。

腕はたつけど人として問題があるやつが上層部と対立するも理解者に助けられるという構図はよく見られるが、映画の中では嫌われ者という設定でも、観客はたいていそいつに共感するものである。クリスチャン・ベールが演じるケン・マイルズもその部類で、ちまたでもベールの演技は絶賛の嵐である。しかし、それでも敢えて言えば、わたしは、あの癖のある演技には終始なじめなかった。そこだけが残念である。

シェルビーとマイルズが家の前の植え込みで殴り合いをしたあと、コーラの瓶で乾杯をして仲直りをするという、アメリカ映画らしい粗野で能天気なシーンがある。マイルズの妻のモリーは、椅子を出してきてすわりくつろいだ様子で男たちの殴り合いが終わるのを待っている。こんなようなシーンは、昔はいくらでもあったものだが、今のご時世において、どう受け止められるのか気になった。それでざっとネットのレビューなどを見てみたのだが、若い映画好きの人たちにも概ね好評を得ているようである。女性からはモリーが称賛されている。であれば、アメリカ映画は、こういうシーンをもっと作って、見せて、西部劇から続くアメリカ映画におけるからっとした男気の文化をいい感じで継承していってほしい。いまならまだ間に合うかもしれない。

ほかにも、試乗中に起こった炎上事故の直後にマイルズの息子のピーターがシェルビーの仕事仲間のフィルにレーサーの事故死について尋ねるシーン、レース前夜にシェルビーとマイルズがサーキットで話すシーン、フォード車の指示に逆らうメッセージをレース中のマイルズに伝えるためボードを持ってシェルビーがずんずんとスタンドを歩いていくシーンなど、気が利いていて気持ちのよいシーンがたくさんあった。