「清水次郎長−幕末維新と博徒の世界」を読む

清水次郎長−幕末維新と博徒の世界
高橋敏著(2010年) 岩波新書
次郎長の養子天田愚庵の著作「東海遊侠伝」をメインの資料として、清水の次郎長と維新前後の政情との関わりについて論じている稀少な一冊。前半は、次郎長の生い立ちと、一家を構えてからの抗争、仇敵黒駒の勝蔵との生涯に渡っての確執などについて説明し、後半は、幕末から明治維新にかけて、博徒がどのように政局に関わったかを資料に基づいて検証している。
勝蔵は、尊攘派の志士として官軍に加わるが、次郎長は、山岡鉄舟とのつながりからどちらかというと佐幕寄り、しかし基本的には中立を通す。幕府瓦解後の戊辰戦争において、博徒はその武力を評価され、あちこちの部隊に加わって参戦する。勝蔵が官軍として戦いながら後に逮捕され処刑の憂き目に会ったのとは対照的に、次郎長は駿府町差配役の浜松藩家老伏谷に登用され、やがて富士山南麓の開墾を依頼されるまでになる。裏街道の無宿者であった博徒の親分から、公に奉仕する地元の有力者へと転身を図るが、情勢が落ち着くや、新政府は博徒の一斉摘発を始め、次郎長も過去の罪状を理由に逮捕、投獄される。
その次郎長を救い出すため、養子愚庵によってしたためられたのが、次郎長の名を一躍有名にした「東海遊侠伝」であるという。1868年の清水港の咸臨丸事件で、湾に放置された幕軍兵士の死体を、駿府藩がどうすることもできずにいるときに、次郎長が独断で回収して弔い、侠気を見せたというエピソードがある。同作の最大の山場として描かれているというが、これには、戊辰戦争で家族を失った愚庵の強い思いが込められていると、筆者は言う。
次郎長が、山岡鉄舟を師と仰ぎながらも、かなり厚かましいお願いをしたときの拙い平仮名の手紙や、それに気持ちよく応じて同様の平仮名の返事を返した山岡との書簡のやりとりなども興味深く読んだ。

清水次郎長――幕末維新と博徒の世界 (岩波新書)

清水次郎長――幕末維新と博徒の世界 (岩波新書)