映画「運び屋」を見る(感想)

運び屋 THE MULE

2018年 アメリカ 116分

監督:クリント・イーストウッド

出演:アール・ストーン/タタ(クリント・イーストウッド)、

フリオ(イグナシオ・セリッチオ)、サル(ポール・リンカーン・アレイォ)、レイトン(アンディ・ガルシア

メアリ(アールの元妻。ダイアン・ウィースト)、アイリス(アールの娘。アリソン・イーストウッド)、ジニー(アールの孫娘。タイッサ・ファーミガ)、

コリン・ベイツ(麻薬取締局(DEA)捜査官。ブラッドリー・クーパー)、トレヴィーノ(同。マイケル・ペーニャ)、ベイツらの上司(ローレンス・フィッシュバーン

実在した90歳の麻薬の運び屋に着想を得て、88歳のイーストウッドが監督・主演。

アール・ストーンは、たった1日しか開花しないデイリリーというユリに魅せられその栽培にいそしんで園芸家として脚光をあびていたが、家庭を顧みず、別れた妻や娘とは疎遠になっていた。やがてインターネットの普及により、商売は落ち目、家も土地も手放すことになってしまった彼は、結婚を控えた孫娘の婚約パーティに出ようとして、娘のアイリスに冷たく追い返されてしまう。が、そのときパーティに来ていたメキシコ系の男から仕事を紹介される。それは、トラックで、ある荷物を運ぶ仕事だった。やばそうな仕事だと悟りつつも、大金が手に入るため、アールは「運び屋」としての仕事を重ねていく。

アールは、90歳の老人だが、機転が利いて軽口をたたくのがうまく、若いころは男前でさぞかしもてたろうと思わせる。外に出て人と会うのが好きで、家庭に落ち着くことなんて考えもしなかったような雰囲気がぷんぷんとする。地味そうな奥さんはつらい思いをしたろうし、それを見ていた娘が嫌うのも、直接被害にあっていない孫娘だけが慕っているのも、容易に合点がいく。

古いぼろぼろのトラックから、ピカピカの黒いトラックへと買い替え、アールはブツを運ぶ。アメリカ中西部に広がる荒野の中の一本道を悠々と走り、カーラジオから流れる歌を口ずさむ。

監視役としてアールのトラックの後を追うメキシカン・マフィアの二人、フリオとサルが、マイクを通して車に流れてくる曲とアールの歌声を聞かされるはめになるのが愉快だ。二人は気ままなアールに振り回され続けるが、やばくなったときはアールの機転に助けられる。フリオとアールは徐々に心を通わせていく。

一方、DEA(麻薬取締局)の捜査官ベイツは、正体不明の運び屋「タタ」(スペイン語で「老人」の意)を追っていた。彼とアールが、モーテル近くの店で朝食を取りながら言葉を交わすところも、逮捕時に再会するところもとてもよい。

アールは、フリオやベイツに対しついアドバイスしてしまうのだが、説教くさくなくていい。こうしたアールと男たちとのやりとりこそ、アメリカ映画の、立場の違う、男と男の交情(恋愛感情のことではない)というものだ。思えばこういうのが好きでアメリカ映画を好きになったのだが、最近はこういうシーンをあまり見なくなったような気がする。