映画「シェイプ・オブ・ウォーター」を見る(感想)

シェイプ・オブ・ウォーター THE SHAPE OF WATER
2017年 アメリカ 124分
監督:ギレルモ・デル・トロ
出演:イライザ(サリー・ホーキンス)、半魚人(ダグ・ジョーンズ)、ストリックランド(マイケル・シャノン)、ジャイルズ(リチャード・ジェンキンス)、ゼルダオクタヴィア・スペンサー)、ホフステトラー博士(マイケル・スタールバーグ)、

囚われの半魚人と、口のきけない孤独な女性イライザの恋。
国の秘密機関である研究所に、密かに謎の水棲生物が輸送されてくる。夜間勤務の掃除婦イライザは、青く光る鱗に全身を覆われた半魚人の姿を目にし、「彼」に心引かれていく。
当局による半魚人の生体解剖を阻止するため、イライザらは半魚人救出を計画し、ソ連のスパイは半魚人暗殺を計画する、二つの企てが同じ夜に決行され、さらにその企てに研究所の警備担当官が気づいてしまい、果たしてイライザは半魚人を脱出させることができるのか!?というサスペンスが盛り上がるあたり、わくわくする。ソ連のスパイの介入によって事態がひたすらイライザと半魚人に優位に動いていくのが、うまくいきすぎると思いつつも気持ちがいい。それまでひたすら憎々し気なふるまいを見せていた警備担当官ストリックランドの買ったばかりの新車がぐしゃっとつぶされるのが痛快だった。
ゲイの画家ジャイルズ、イライザの同僚の黒人女性ゼルダ、家庭人の一面を見せつつもやはり一身に憎まれ役を負うストリックランドと、脇の人々がなかなか面白い。
イライザの首の傷跡がついた理由については最後まで明かされないが、彼女が切り落とされたストリックランドの指をいとも平然と拾って紙袋に入れたり、半魚人を間近に見ても動じなかったりする様子から、むごいことや異常な状況に慣れている、これまでいろいろ辛い目に遭ってきた人なのだなということが窺え、それゆえ異形の者を受け入れて幸せそうになっていくのが、なんか切なくてよかった。
半魚人はもっと暴れるのかと思ったら、そんなに暴れなかった。暴れる半魚人、薄幸なヒロイン、二人の悲恋! というハードな感じかと思ったら、割と能天気な展開なのもよかった。

映画「15時17分、パリ行き」を見る(感想)

*1521945914*[映画・TV]映画「15時17分、パリ行き」を見る(感想)

15時17分、パリ行き  THE 15:17 TO PARIS
2018年 アメリカ 94分
監督:クリント・イーストウッド
出演:スペンサー・ストーン(本人)、アンソニー・サドラー(本人)、アレク・スカラトス(本人)、ヘイディ(アレクの母。ジェナ・フィッシャー)、ジョイス(スペンサーの母。ジュディ・グリア)、校長(トーマス・レノン)、マーク・ムーガリアン(本人)、イザベル・リサチャー・ムーガリアン(本人)、アヨブ(犯人。レイ・コラサーニ)

実話を数多く映画化してきたイーストウッドが、実際に事件に関わった人物本人をキャストに起用して映画化。
2015年、オランダのアムステルダムからフランスのパリに向かう高速列車内において、銃乱射事件が起こった。乗り合わせたアメリカの若者3人が犯人を取り押さえ、大惨事になるのを阻止した。その3人の若者と、犯人に撃たれて九死に一生を得た乗客の男性とその妻などを事件の当事者本人が演じる。
パリへ向かう高速列車。車内のトイレから銃を持った男が出てきて、廊下にいた乗客の男性の首を撃つ。車内はパニック状態となり、観光旅行に来て電車に乗っていたスペンサー、アレク、アンソニーの3人も、座席の陰に身を隠す。が、スペンサーは犯人に突進し、アレクが加勢して犯人を取り押さえる。犯人捕獲後は、アンソニーと乗客の医師も加わって撃たれた乗客の救命活動に努め、乗客は一命をとりとめる。
列車に乗り込む乗客たちの様子から始まり、時間を追って事件の経過が描かれるのかと思いきや、事件は一瞬で収束する。では映画では他に何が描かれているのかというと、三人の若者の少年時代から現在にいたるまでである。学校生活になじめず校長室に呼び出しを食らってばかりいた彼ら3人の出会いと別れ、そしてそのあとは主にスペンサーに的を絞って、彼のこれまでの人生を追う。彼はあこがれのアメリカ空軍に入ったが、第一志望のパラシュート救出隊には合格できず、ポルトガルで衛生兵としての訓練を受けている。アレクは軍人だった父の血を引いて、オレゴン州兵となり、アフガニスタンに派遣されている。アンソニーについてはあまり詳しく描かれないが、大学生か大学出の民間人である。スペンサーとアンソニーはイタリアを旅行して、ドイツでアレクと合流、3人はアムステルダムで狂乱の夜を過ごした後、パリを目指す。
ラストのパレードが実際のニュースかなんかの映像だろうというのは分かるが、フランスのフランソワ・オランド大統領による表彰はどっちなのかわかりにくく、検索すると、どうやらあれは実際の大統領の映像と別撮りの映像をうまくつなげているらしい。
ずっとぱっとしなかった若者が、英雄になる瞬間をとらえた映画なのだろうが、なんだか不思議なものを見た思いがした。
イーストウッドというと、とにかく突き詰める人というイメージがある。演技とは何か、フィクションとは何か、とことん追及してたどり着いた境地なのだろうか。
イタリアの運河を行く観光船に乗って旅先で知り合った女の子と自撮りに興じるアンソニーとスペンサーの楽し気な様子が割と延々と映される。別にさほど退屈ではなく楽し気でいいなと思うのだが、でもこれって若者が観光してるだけだよなあとも思い、なんだか実験映画みたいだとも思った。

映画「スリー・ビルボード」を見る(感想)

スリー・ビルボード THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI
2017年 イギリス/アメリカ 116分
監督:マーティン・マクドナー
出演:ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)、ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)、ディクソン(警官。サム・ロックウェル)、アン・ウィロビー(署長の妻。アビー・コーニッシュ)、ロビー・ヘイズ(ミルドレッドの息子。ルーカス・ヘッジズ)、アンジェラ・ヘイズ(ミルドレッドの娘。キャスリン・ニュートン)、チャーリー(ミルドレッドの元夫。ジョン・ホークス)、ペネロープ(チャーリーの恋人。サマラ・ウィーヴィング)、レッド・ウェルビー(広告店長。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)、パメラ(ケリー・コンドン)、ジェームズ(バーの店主。ピーター・ディンクレイジ)、ディクソンのママ(サンディ・マーティン)、アバークロンビー(ウィロビーの後任。クラーク・ピータース)

★内容についていろいろ書いています!

アメリカ、ミズーリ州の田舎町エビングを舞台に描かれる人間模様。
ミルドレッド・ヘイズは、町の広告店に依頼して、人も車もほとんど通らない道路端にある古い3つの看板に広告を出す。それは、娘を殺した犯人の捜査について一向に進捗のない町の警察を批難するものだった。ミルドレッドの娘アンジェラは、その道路端で強姦され殺されたのだった。名指しで糾弾されたウィロビー署長は真摯にミルドレッドに事情を説明しようとするが、暴力的で差別主義者のディクソン巡査はミルドレッドの行為に腹を立てる。
この映画については、予測不能の展開などと言われているが、どんなふうかというとこんな感じだ。
看板にでかでかと出したくなるほど捜査をちゃんとしてくれない警察署長とは、一体どんな悪徳警官なのかと思いきや、ごくまっとうな男が登場、「ある決闘」での悪ボスぶりとは一転、ハレルソンが演じる警察署長は頼りになりそうな、家族思いの警察署長で、癌で余命いくばくもないというのに冷静で落ち着いている。(自分が癌を患っていることを町の人たちのほとんどが知っていることを彼だけが知らない、というのが田舎っぽい。)
ミルドレッドがその死を悲しんでいるアンジェラは、割とヤンキーな娘で、母娘の中はあまりよくなかったようである。最後に出かけるとき、母と娘は激しい口喧嘩をし、車を使いたいというアンジェラに対してミルドレッドは歩いて帰れといい、アンジェラは「レイプされても知らないからね!」という捨てセリフを残していたのだった。 
署長は癌が進行する前に自ら命を絶つ。尊敬する署長を失ったディクソンは暴走し、広告店のレッドを襲って大怪我を負わせる。なんだか救いがなくなってきたなと思っていると、実にしっかりした黒人の新署長が赴任してくる。
看板を焼かれたミルドレッドは、ディクソンの仕業と思いこみ、火炎瓶で警察署を焼き打ちにする。署内には誰もいないことを確かめるため何度も電話をかける。誰も出ないが、じつはディクソンがいる。ディクソンはウィルビーが自分に遺した手紙を読んで感激していたため、電話に出るどころではなかったのだ。だが、誰もいないことを確認したと思ったミルドレッドは、火炎瓶を投げまくって警察署を燃やし、ディクソンは重度の火傷を負う。
重傷のディクソンは、病室で自分が暴行を加えたレッドと同室になる。包帯でぐるぐる巻きにされていて顔が見えないため、自分に暴行した張本人とも知らず、レッドは不自由な体でそばにやってきて、ディクソンに水を差しだしてくれるのだった。
退院したディクソンは、ある日パブで自慢そうにレイプ殺人の話をしている男を見つけ、彼こそがアンジェラ殺しの犯人だと確信する。犯人が見つかるとしたら、酒場で酔った犯人が犯行について口を滑らせるような場合だと、ウィロビーの手紙に書いてあった通りのことが起こるのである。ミルドレッドもその知らせを受けるが、しかし、後で人違いだっだことがわかる。
というわけで、暗い先行きが見えては覆り、好転しそうだと思うと当てが外れ、物語は一筋縄では進まない。が、一貫して、地味だけどエキセントリックな人たちのなんともやりきれない話である。
なのになんでこうも後味が悪くないのか。ミルドレッドは、決して好感を抱きたくなるようなおばさんではないのに、なぜあんなにかっこよく見えるのか。いやなやつっぽさを全面に出して登場したディクソンがなんでだんだん憎めなくなってきてしまうのか。
それはつまり彼らがいいわけも泣き言も言わないからではないだろうか。彼らは、ただ、自分はこうなったからこうやるんだということで行動し、「わたしってこんなにかわいそう」といった自己憐憫のかけらも見せない。
たとえば、ミルドレッドは、自分が車を使わせてやらなかったせいでアンジェラが殺されてしまったし、看板を焼いたのは実は自分の元夫のチャーリーなのにディクソンが犯人だと思って警察署を焼いてしまい、しかも中に人がいないことを電話で確認したにも関わらずディクソンがいて火傷を負わせてしまった。でもそのことをミルドレッドは口にしない。「あのときアンジェラに車を貸しておけばよかった」とか「看板を燃やした犯人はディクソンに間違いないと思った。チャーリーだとは思わなった。」とか「警察署に人がいるとは思わなかった、だって、何度も確認したんだから。」とか「私のせいじゃない」あるいは「全部私のせいだ」と言わない。ただ、画面で状況がわかりやすく淡々と示され、そのことがどのような思いとなって彼女の中にあるのか、それについては、観る者の想像に委ねられている。これは観る者にとってはとても手ごたえの感じられることで、ありがたい。
後になって、ミルドレッドは、ディクソンに「警察署に火をつけたのはわたしだ」とだけ告げ、ディクソンは「他にだれがいる」といったような返事を返す。そうしたあっさりとした会話がしぶい。

映画「ダークタワー」を見る(感想)

ダークタワー THE DARK TOWER
2017年 アメリカ 95分
監督:ニコライ:アーセル
原作:スティーヴン・キングダークタワー
出演:ガンスリンガー/ローランド・デスチェイン(イドリス・エルバ)、黒衣の男/ウォルター・オディム(マシュー・マコノヒー)、ジェイク・チェンバース(トム・テイラー)、アラ(クローディア・キム)

異次元世界のヒーローと現代の超能力少年が世界を壊そうとする幻術使いの男と戦うSFファンタジーアクション。
中間世界と呼ばれる異次元空間にダークタワーという黒い塔があって、世界を支えている。塔を破壊しようとする男ウォルターと塔を守る使命を持つ男ローランドとの戦いに、根本世界(現代)の超能力を持った少年ジェイクが巻き込まれる。
ローランドは、最後のガンスリンガーである。ガンスリンガーとは、塔を守る使命を帯びた騎士のようなものらしく、剣の代わりに銃を武器とする。アーサー王の剣エクスカリバーから作った拳銃、旧式の45口径リボルバーを何丁も身に着けていて、すばらしい銃撃の技を見せる。早撃ちもさることながら、瞬時にして弾を込める技がすごい。
対するウォルターは、幻術を使う。彼が一言命じれば、人は自分の意志に反して、人を殺し、自分を殺す。(だが、ローランドにはこの幻術が効かない。)彼は、超能力を持った子どもを拉致してきて、その力を利用して塔を破壊しようともくろんでいる。
ジェイクは、現代のニューヨークで暮らす少年だが、夜ごとに中間世界の夢を見ていた。彼が精神に異常をきたしていると考える母と継父は、施設に預けようとする。しかし、迎えに来た二人の男女は、施設のスタッフを装ったウォルターの部下であった。
彼を中間世界に拉致しようとする彼らの手を振り切ったジェイクだったが、異世界間移動ができるポータルの場所をつきとめ、中間世界へ入る。荒野でジェイクは、ローランドに出会う。圧倒的な勢いを振るうウォルターに父を殺され、最後のガンスリンガーとなったローランドは、塔を守るという使命がもはや達成不可能であると諦め、ただ復讐のためだけに生きているのだった。
スティーブン・キングの同名の原作も読んでみようかなと思ったら、全7巻、文庫本では2巻目以降は上下巻あるいは上中下巻からなるという壮大な物語だと知って、読む気力が失せてしまった。そのようなものを映画はたった95分のシンプルな活劇にしちゃったもんだから、原作ファンには評判がよくないようだ。
しかし、わたしとしては、ガンマンと少年が知り合い、ふたりで悪いやつをやっつけるという話になっているのが、すっきりとしてわかりやすく、おもしろかった。母を失ったジェイクが、復讐のみに駆られるローランドをいさめるところなど泣かせる。空き缶を並べて、ローランドがジェイクに銃の撃ち方を教えるシーンもなつかしくていい。ローランドが唱える「我々は手で撃たない。心で撃つ。」云々のガンスリンガーの信条も、フォースとか、東洋武術とかを思わせるようで興味深かった。

映画「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」を見る(感想)

スター・ウォーズ 最後のジェダイ STAR WARS: THE LAST JEDI
2017年 アメリカ 152分
監督・脚本:ライアン・ジョンソン
出演:ルーク・スカイウォーカーマーク・ハミル)、レイア・オーガナ(キャリー・フィッシャー)、レイ(デイジー・リドリー)、フィン(ジョン・ボイエガ)、ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)、ローズ・ティコ(ケリー・マリー・トラン)、ペイジ・ティコ(ヴェロニカ・グゥ(ゴー・タイン・バン))、アクバー提督(ティム・ローズ)、アミリン・ホルドー中将(ローラ・ダーン)、チューバッカ(ヨーナス・スオタモ)、BB8、R2D2(ジミー・ヴィー)、C−3PO(アンソニー・ダニエルズ)、ヨーダ(声:フランク・オズ)、
スノークアンディ・サーキス)、カイロ・レン(アダム・ドライヴァー)、ハックス将軍(ドーナル・グリーソン)、キャプテン・ファズマ(グウェンドリン・クリスティ)、DJ(ベニチオ・デル・トロ)、マズ・カナタ(ルピタ・ニョンゴ)、ポーグ

★ネタバレしてます!

ファースト・オーダーとレジスタンスの間で激しい攻防が繰り広げられる一方、レイは、辺境の惑星に隠棲するルーク・スカイウォーカーを訪ねる。でも、ルークはレイの話に耳を傾けようとはしない。
猛攻を受けたレジスタンスの宇宙船は大破し、レイアは宇宙空間に放り出されるが、奇跡の生還を果たす。とはいうものの、任務を続ける状態にはなく、ホルドー中将が一時的にそのあとを継いで指揮官となる。しかし、なすすべもなく逃げる一方のホルドーのやり方に業をにやしたダメロンは、フィンらと敵艦の追跡を遅らすための作戦を考え、フィンと技師のローズを敵艦に潜入させる。
レイは、辺境の惑星にいながらにして、敵艦のカイロ・レンと“交信”し、敵のボス、スノークに相対する。(カイロ・レンはなかなかよい。)
話が交錯し、登場人物が入り乱れる。場面場面のアクションはみごとで飽きない。でも、長すぎる。もうちょっとすっきりしてわかりやすい方が、好みである。感想がぶつ切りでしか出てこない。
フィンらの作戦が中途半端に終わるので欲求不満に陥る。これまでアクション映画において、脱出であれ救出であれ奪還であれ、いったんスタートした作戦が最後の段階まで行かなかったことが、どのくらいあったろうか。いろいろ邪魔が入っても結局は達成されるか、あるいはやった!と思ったら最後の最後で邪魔が入るとかはあっても、途中で立ち消えになることはあまりないと思う。
BB8は、前作ではかわいいだけだったが、今回は活躍する。
レイアの後を継ぐホルドーは、一見使えないやつと思わせといて実は、という展開なのだが、そして仲間を石の惑星に逃すため自らが犠牲になるのだが、それなのになぜかわたしは好感がもてなかった。ずっと夜会用のようなドレス姿なのもその一因かもしれない。
このホルドーの玉砕は「宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」(1978年の方)のラストを、石の惑星でレジスタンスの基地を狙うファースト・オーダーの巨大砲のエネルギー充填の様子は波動砲を思い出させ、「ヤマト」っぽいところがあると思った。
この巨大砲にフィンが突っ込もうとするので、え、また玉砕?と思ったら、ローズが止めたのでよかった。
石の惑星が、地表は真っ白だけど、ちょっとえぐると赤い砂(石粒)の層になっていて、戦闘での動きがあるたびに赤い軌跡がついたり飛翔が上がったりするのは、きれいでおもしろかった。
ルークの登場には胸が高鳴ったし、無敵ぶりも痛快で、ものすごい技を使ったのだが、結局あそこから一歩も出てないのは残念だった。
レイの両親がただの人で、フォースの使い手が血筋に関係なさそうなのがよかった。次作で、実は両親は別にいる、とかっていう話にならないといい。
DJは、次回で表返りそうなキャラである。

西部劇の女たち

(2018年1月発行 ウエスタン・ユニオン会報「WESTERN UNION EXPRESS 39号」掲載)

先日、『ドリーム』という映画を観た。冷戦下にある米ソの宇宙開発合戦において、アメリカ初の有人宇宙飛行を達成したマーキュリー計画。その裏で差別を受けながらも偉業に貢献した計算係の黒人女性キャサリンタラジ・P・ヘンソン)たちの奮闘を描いた物語である。宇宙飛行士たちが初めてNASAを訪れるシーン、職員一同は飛行機から降りたつ彼らを列をつくって出迎える。キャサリンたちは列の一番端っこに追いやられている。宇宙飛行士の1人ジョン・グレン(グレン・パウエル)は、中央で迎えるお偉方に挨拶をしたあと、端っこの彼女たちの方にも足を運んで声をかける。このとき、声を掛けられた当人の黒人女性たちも、周囲にいる白人たちも、揃ってびっくりする。でも、偏見を持たないナイスガイのジョンは、そんな反応にはとことん無頓着、気さくな態度で彼女たちとの会話を続けるのだった。
このシーンを見たとき、この感じ、どこかで目にしたと思った。『駅馬車』の中継所で、リンゴー(ジョン・ウェイン)が、娼婦のダラス(クレア・トレヴァ)に声をかけるシーンである。ダラス本人も周囲の乗客も「こんなわたし(女)に声をかけるなんて」といっせいに驚くが、リンゴーはいたって無邪気である。西部劇の心意気はこんなところにも残っていたと勝手に感慨に耽ったのであるが、西部劇において娼婦や水商売の女性は頻繁に出てくるものの、学校の先生とか牧場主の娘とか妻とか堅気の女性と対比され、身分的に歩が悪い。『荒野の決闘』でも『真昼の決闘』でも、ヒーローの心を捉えるのは淑女の方である。私から見ると、クレメンタイン(キャシー・ダウンズ)よりチワワ(リンダ・ダーネル)、エミー(グレース・ケリー)よりヘレン(ケティ・フラド)の方に人間的な魅力を感じるのだが、男の人にとってはどうもそうではないらしい。『駅馬車』にもルーシー(ルイズ・プラット)という将校の奥様が出てくるが、この映画では、珍しく、ダラスに軍配が上がっている。
で、女ガンマンはというと、身体にぴっちりの服を着せられて、セクシーでコミカルな役回りのものがほとんど。作り手は颯爽としてかっこいい女を見せる気はないなと軽くがっかりすることしばしばである。『女ガンマン 皆殺しのメロディ』はコメディではないが、主役のハニーを演じるラクエル・ウェルチは、裸体の上にポンチョだけのコスチュームで現れるという強烈なセックスアピールぶり。高校生のころ、父親ときまずい思いをしながらテレビ放映に挑んだ私の期待をはぐらかしてくれた。(いえ、だからつまらなかったというのでなく、思っていたのとは違ったということです。)そういう意味では、『クイック&デッド』は、初めて比較的ゆったりとした服を着た女ガンマンが登場し、お姉さんの魅力で小僧のデカプリオを誘い、さらに決闘を前に苦悩するという、女の身でガンマンであるというエレン(レディ)の役をシャロン・ストーンがちゃんと演じて、溜飲を下げてくれた。
荒野の決闘』などに見られる西部の荒くれ男に東部の淑女という構図は、日本でいえば東男に京女といったところか。日米で東西が逆になっているのがおもしろい。『アラスカ魂』では、東部どころかフランスから来た女性ミシェル(キャプシーヌ)がサム(ジョン・ウェイン)より1枚も2枚も上手の男女の駆け引きをして、デュークに雄叫びを上げさせる。『腰抜け二挺拳銃』もコメディで、カラミティ・ジェーン(ジェーン・ラッセル)の下着姿の二丁拳銃はやっぱりセクシーさが狙いなんだろうけど、それだけでなくてかっこいいから好きだ。彼女とピーター(ボブ・ホープ)のカップルは、西部女に東部男である。こりゃ逆さまだと思ったのだが、『大いなる西部』もそう。気取った東部男のジム・マッケイ(グレゴリー・ペック)は、西部の牧場主の娘パット・テリル(キャロル・ベイカー)と婚約して西部にやってきて、やがて彼女とは決裂するが、やはり西部女のジュリー(ジーン・シモンズ)に惹かれていく。二人とも堅気の女性である。
そうしたことを思うと、女性を主役に据えた西部劇『ジェーン』はなかなか新鮮だった。ジェーン(ナタリー・ポートマン)は、恋するうら若き娘から父のいない子の母となり、娼婦に堕ち、そして妻となる。商売女か堅気の女かという単純な分類ができない身の上であり、銃は撃つけど凄腕というわけでもない。自分を窮地から救ってくれた夫ハモンドノア・エメリッヒ)を守るため、かつての恋人ダン(ジョエル・エドガートン)に救いを求める。ダンとは愛想がつきて別れたのでなく、戦争で生き別れになった仲、お互いの誤解も解けたうえで、二人はともに戦うことに。なんとも女冥利につきる話である。画面が暗く、クライマックスの銃撃戦が夜という無茶な設定だったこともあり(撮影も夜)、西部劇としての盛り上がりに欠けてしまったのが、たいへん惜しかった。

「ブレードランナー2049」と「ブレードランナー」(感想)

ブレードランナー2049 BLADE RUNNER 2049
2017年 アメリカ 163分
監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ
出演:K(ライアン・ゴズリング)、リック・デッカードハリソン・フォード)、ジョイ(アナ・デ・アルマス)、マリエット(マッケンジー・デイヴィス)、ラヴ(ウォレス社勤務のレプリカントシルヴィア・フークス)、アナ・ステリン(記憶デザイナー。カルラ・ユーリ)、ジョシ警部補/マダム(Kの上司。ロビン・ライト)、サッパー(農夫・旧型レプリカントの逃亡者。デイヴ・バウティスタ)、ニアンダー・ウォレス(ジャレッド・レトー)、フレイザ(レプリカント解放同盟リーダー。ヒアム・アッバス)、ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)、レイチェル(ショーン・ヤング

★ねたばれあり!!★

35年ぶりの続編は、設定としては30年後の世界である。
主人公は、新型レプリカントのK。Kは記号で、名前はない。彼は、旧式のレプリカントを狩るブレードランナーで、LAPDロサンジェルス市警)の警官である。
彼が解任した(射殺した)レプリカントのサッパーの住まいから女性レプリカント(実はレイチェル)の遺骨がみつかり、彼女が妊娠・出産していたことが判明する。
本来生殖能力のないはずのレプリカントの子どもの存在は世の秩序を乱すとして、Kの上司のジョシ警部補は子どもをみつけて抹殺するようKに命じる。一方、レプリカント不足からその生殖を考えるレプリカント製造元ウォレス社の代表ウォレスは、研究のため、子どもを見つけてつれてくるよう、会社幹部の女性レプリカント、ラヴに命じる。
レプリカントは成人の状態で作られるため、子どものころの記憶は記憶デザイナーによって作られた物が移植されているのだが、Kは、子どもを捜すうち、自分の子ども時代の記憶が作り物ではなく、本当にあったできごとだったことを知る。自分がレイチェルの産んだ子どもだと思った彼は、子どもの父であるデッカードに会いに行く。デッカードは、放射能濃度が高く無人と化したラスベガスのカジノで隠遁生活を送っていた。
ネオンサインが映える、雨の止まないロサンジェルスの街の風景や、女レプリカントであるラヴの非情さと戦闘能力の高さなどが前作を思わせる。老人となったガフ(役者さんも同じ)が出てきて折り紙を見せるのもなつかしかった。
前作でデッカードレプリカントのレイチェルと恋に落ちるが、Kは、AI搭載のフォノグラムの美女ジョイが恋人である。Kを愛するジョイは、まるでドラマに出てくる幽霊のように、生身の女性の身体に同化して、Kと交わりたいという望みを叶える。彼女とKとのやりとりは十代の恋人同士のようにぎこちなくて切ない。
設定が込み入っていて、映画を見ただけではよくわからない。前作を見ていないとわかりにくいし、検索して確認しないとあいまいなことも多い。さらに検索してもわからないことがあって困る。例えば、木でできた馬の玩具の記憶はだれがなんのためにKに植え付けたのか、結局はっきり示されない。いろいろわからない部分があるのはハードボイルドにはよくあることなのだが、この場合はなんだかまあいいやと思えず、釈然としない感じが残った。
殺伐とした世界を主人公の男が物憂げに行く様子は、前作の雰囲気が引き継がれているように感じられてよかったが、進み具合はゆっくりだ。自分の出自を求めてさまようKに共感できるかどうか。ゴズリングは悪くなかったが、当事者になってしまっているので、どうにもウェットだ。わたしは、前作は、主人公が傍観者として、関わった者たちの生きざまを目にしてやりきれない思いに浸るというチャンドラー的ハードボイルドの哀感が味わえるところがよかったので、そういう意味ではちょっと違った。コアなファンの間では、デッカードレプリカントであるという説があるらしいが、わたしは、だから、デッカードレプリカントでなくていいと思う方である。

ブレードランナー  BLADE RUNNER
1982年 アメリカ 117分
監督:リドリー・スコット
原作:フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか?
出演:リック・デッカードハリソン・フォード)、レーチェル(ショーン・ヤング)、ガフ(エドワード・ジェームズ・オルモス)、ロイ・バティールトガー・ハウアー)、プリス(ダリル・ハンナ)、リオン・コワルスキー(ブライオン・ジェームズ)、ゾーラ(ジョアンナ・キャシディ)、セバスチャン(ウィリアム・サンダーソン)、エルドン・タイレルジョー・ターケル)、ハンニバル・チュウ(眼球製作者。ジェームズ・ホン)、ホールデンモーガン・ポール)

1982年に、公開前に渋谷パンテオンの試写でみた。たいへん気に入ったが、当時はあまり話題にならず。
私としては、映像美とか、レプリカントアイデンティティーとかいうことより、雰囲気のあるハードボイルドだから好きだった。雨の降り続く近未来のロサンジェルスの、けばけばしくも暗く沈んだ雰囲気、孤独で物静かなデッカード、やたら強い女レプリカントのプリス、デッカードを助け雨の中でうつむきつつ逝くロイ、折り紙を残すガフ、といったものがそれぞれよかった。ラストのデッカードのナレーションもハードボイルドならではで好きだった。1992年のディレクターズカット(116分)は見ていない。