映画「スリー・ビルボード」を見る(感想)

スリー・ビルボード THREE BILLBOARDS OUTSIDE EBBING, MISSOURI
2017年 イギリス/アメリカ 116分
監督:マーティン・マクドナー
出演:ミルドレッド・ヘイズ(フランシス・マクドーマンド)、ウィロビー署長(ウディ・ハレルソン)、ディクソン(警官。サム・ロックウェル)、アン・ウィロビー(署長の妻。アビー・コーニッシュ)、ロビー・ヘイズ(ミルドレッドの息子。ルーカス・ヘッジズ)、アンジェラ・ヘイズ(ミルドレッドの娘。キャスリン・ニュートン)、チャーリー(ミルドレッドの元夫。ジョン・ホークス)、ペネロープ(チャーリーの恋人。サマラ・ウィーヴィング)、レッド・ウェルビー(広告店長。ケイレブ・ランドリー・ジョーンズ)、パメラ(ケリー・コンドン)、ジェームズ(バーの店主。ピーター・ディンクレイジ)、ディクソンのママ(サンディ・マーティン)、アバークロンビー(ウィロビーの後任。クラーク・ピータース)

★内容についていろいろ書いています!

アメリカ、ミズーリ州の田舎町エビングを舞台に描かれる人間模様。
ミルドレッド・ヘイズは、町の広告店に依頼して、人も車もほとんど通らない道路端にある古い3つの看板に広告を出す。それは、娘を殺した犯人の捜査について一向に進捗のない町の警察を批難するものだった。ミルドレッドの娘アンジェラは、その道路端で強姦され殺されたのだった。名指しで糾弾されたウィロビー署長は真摯にミルドレッドに事情を説明しようとするが、暴力的で差別主義者のディクソン巡査はミルドレッドの行為に腹を立てる。
この映画については、予測不能の展開などと言われているが、どんなふうかというとこんな感じだ。
看板にでかでかと出したくなるほど捜査をちゃんとしてくれない警察署長とは、一体どんな悪徳警官なのかと思いきや、ごくまっとうな男が登場、「ある決闘」での悪ボスぶりとは一転、ハレルソンが演じる警察署長は頼りになりそうな、家族思いの警察署長で、癌で余命いくばくもないというのに冷静で落ち着いている。(自分が癌を患っていることを町の人たちのほとんどが知っていることを彼だけが知らない、というのが田舎っぽい。)
ミルドレッドがその死を悲しんでいるアンジェラは、割とヤンキーな娘で、母娘の中はあまりよくなかったようである。最後に出かけるとき、母と娘は激しい口喧嘩をし、車を使いたいというアンジェラに対してミルドレッドは歩いて帰れといい、アンジェラは「レイプされても知らないからね!」という捨てセリフを残していたのだった。 
署長は癌が進行する前に自ら命を絶つ。尊敬する署長を失ったディクソンは暴走し、広告店のレッドを襲って大怪我を負わせる。なんだか救いがなくなってきたなと思っていると、実にしっかりした黒人の新署長が赴任してくる。
看板を焼かれたミルドレッドは、ディクソンの仕業と思いこみ、火炎瓶で警察署を焼き打ちにする。署内には誰もいないことを確かめるため何度も電話をかける。誰も出ないが、じつはディクソンがいる。ディクソンはウィルビーが自分に遺した手紙を読んで感激していたため、電話に出るどころではなかったのだ。だが、誰もいないことを確認したと思ったミルドレッドは、火炎瓶を投げまくって警察署を燃やし、ディクソンは重度の火傷を負う。
重傷のディクソンは、病室で自分が暴行を加えたレッドと同室になる。包帯でぐるぐる巻きにされていて顔が見えないため、自分に暴行した張本人とも知らず、レッドは不自由な体でそばにやってきて、ディクソンに水を差しだしてくれるのだった。
退院したディクソンは、ある日パブで自慢そうにレイプ殺人の話をしている男を見つけ、彼こそがアンジェラ殺しの犯人だと確信する。犯人が見つかるとしたら、酒場で酔った犯人が犯行について口を滑らせるような場合だと、ウィロビーの手紙に書いてあった通りのことが起こるのである。ミルドレッドもその知らせを受けるが、しかし、後で人違いだっだことがわかる。
というわけで、暗い先行きが見えては覆り、好転しそうだと思うと当てが外れ、物語は一筋縄では進まない。が、一貫して、地味だけどエキセントリックな人たちのなんともやりきれない話である。
なのになんでこうも後味が悪くないのか。ミルドレッドは、決して好感を抱きたくなるようなおばさんではないのに、なぜあんなにかっこよく見えるのか。いやなやつっぽさを全面に出して登場したディクソンがなんでだんだん憎めなくなってきてしまうのか。
それはつまり彼らがいいわけも泣き言も言わないからではないだろうか。彼らは、ただ、自分はこうなったからこうやるんだということで行動し、「わたしってこんなにかわいそう」といった自己憐憫のかけらも見せない。
たとえば、ミルドレッドは、自分が車を使わせてやらなかったせいでアンジェラが殺されてしまったし、看板を焼いたのは実は自分の元夫のチャーリーなのにディクソンが犯人だと思って警察署を焼いてしまい、しかも中に人がいないことを電話で確認したにも関わらずディクソンがいて火傷を負わせてしまった。でもそのことをミルドレッドは口にしない。「あのときアンジェラに車を貸しておけばよかった」とか「看板を燃やした犯人はディクソンに間違いないと思った。チャーリーだとは思わなった。」とか「警察署に人がいるとは思わなかった、だって、何度も確認したんだから。」とか「私のせいじゃない」あるいは「全部私のせいだ」と言わない。ただ、画面で状況がわかりやすく淡々と示され、そのことがどのような思いとなって彼女の中にあるのか、それについては、観る者の想像に委ねられている。これは観る者にとってはとても手ごたえの感じられることで、ありがたい。
後になって、ミルドレッドは、ディクソンに「警察署に火をつけたのはわたしだ」とだけ告げ、ディクソンは「他にだれがいる」といったような返事を返す。そうしたあっさりとした会話がしぶい。