映画「ラスト・ムービー・スター」を見る(感想)

ラスト・ムービー・スター
THE LAST MOVIE STAR / DOG YEARS
2017年 アメリカ 公開ブロードウェイ 2019年 104分
監督・脚本:アダム・リフキン
出演:ヴィック・エドワーズ(バート・レイノルズ)、リル・マクドゥーガル(アリエル・ウィンター)、ダグ・マクドゥーガル(クラーク・デューク)、シェーン・マカヴォイ(エラー・コルトレーン)、スチュアート・マッカラー(アルジャレル・ノックス)、フェイス・コール(ニッキー・ブロンスキー)、ビヨルン(ジャストン・ストリート)、クラウディア・シュルマン(キャサリン・ノーラン)、ソニー(チェヴィー・チェイス
バート・レイノルズが、かつて映画スターだった老人ヴィク・エドワーズを演じる。
豪邸に一人で住むヴィクが、愛犬の死を悲しんでいたところに一通の招待状が届く。国際ナッシュビル映画祭で賞を授与するというもので、これまでの受賞者には、イーストウッドやデ・ニーロなど有名俳優の名前が並んでいた。最初は渋っていたヴィクだが、親友のソニーの勧めもあり、招待を受けることに。しかし、それは有名な「ナッシュビル映画祭」とは別の、映画ファンの若者たちが知り合いの経営するバーを会場にしてささやかに開いているめちゃくちゃマイナーで貧乏な映画祭だった。これまで受賞者たちに受賞の連絡はしたが、招待に応じた俳優は今まで一人もいないのだった。彼氏と電話で喧嘩ばかりしている若い女リルが運転手するゴミだらけの車に乗せられ、安ホテルに泊まらされ、バーの別室の狭い会場の急造スクリーンで彼が主演した古い映画が上映された。気分を害した彼は酔っぱらって暴言を吐き、つぶれる。
翌日、授賞式をすっぽかし、リルの運転で空港へ向かったヴィクは、途中で「ノックスビル」の行き先案内版を見つけた。ノックスビルは彼の生まれ故郷だった。ヴィクは、リルを運転手に故郷の町で思い出の場所巡りを始めるのだった。
リルは、ホラーな絵ばかり描く画家志望で鬱を患い常に薬を飲んでいて浮気性の彼氏に悩まされている。そんな彼女とかつての大スターのやりとりが可笑しい。ヴィクの生家やホテルなど、ところどころでヴィクが人々からスターを見る目で見られることに驚き、うれしそうになるリルはかわいい。ヴィクは、生涯で5度結婚しながら、自分が有名になる前に結婚した最初の妻だけを愛し、再会を望む。老人ホームで会った彼女はヴィクが誰かわからず、リルは二人を思い出の場所である波止場に連れて行く。このあたりの展開は割とふつうで特に新鮮味は感じなかったが、そのあと映画祭授賞式のシーンになったのはよかった。
老いた今のヴィクの傍らに、若いときのヴィクが、男盛りのバート・レイノルズその人の姿で出てきて会話をするのがよかった。若いバート、実に男くさくてセクシーだ。
ヴィクの大ファンでヴィクを尊敬しながらもお粗末な対応しかできない映画祭のオタクな若者たちにも好感が持てた。

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劇場内の看板(新宿シネマカリテ)



 

映画「荒野の誓い」を見る(感想)

荒野の誓い HOSTILES

2019年 アメリカ 135分

監督・脚本・製作:スコット・クーパー

出演:ジョー・ブロッカー大尉(クリスチャン・ベール)、ロザリー(ロザムンド・パイク)、
トーマス・メッツ曹長(ロリー・コクレイン)、ヘンリー・ウッドソン伍長(ジョナサン・メジャース)、キダー中尉(ジェシー・プレモンス)、デジャルダン上等兵ティモシー・シャラメ)、チャールズ・ウィルス軍曹(ベン・フォスター
イエローホーク(ウェス・ステューディ)、ブラック・ホーク(アダム・ビーチ)、エルク・ウーマン(クオリアンカ・キルヒャー)、リビング・ウーマン(タナヤ・ビーティ)、リトル・ベア(ザビエル・ホースチーフ)

★注意! ネタバレというか、犯人探しの話ではないけど、映画の内容に触れています!★

 

1892年、アメリカ西部。

インディアンとの戦いで武勲を挙げた騎兵隊大尉ジョー・ブロッカーは、刑務所の看守長をしていたが、ある日、服役中のシャイアン族の長イエローホークとその家族をモンタナ州居留地まで送り届けるよう命じられる。かつての敵を護送する任務に乗り気でなかったジョーだが、旅の途中でコマンチ族の激しい襲撃を受け、彼らと手を組まざるを得ない状況に置かれていく。

旅の最初の方で、一行は、コマンチ族に夫と子どもを殺され、家と牧場を失くした女性ロザリーを保護する。彼女はあまりの惨劇に放心状態にあった。

カスター将軍率いる第七騎兵隊の全滅からウッデンド・二―のインディアンの虐殺など、先住民と白人の移民との戦いで、アメリカ西部において憎しみの連鎖が続いていた時代の話だ。インディアンは、昔なつかしい西部劇全盛時代には悪役として描かれ、ベトナム戦争以後、インディアンに対する問題が取りざたされると西部劇の敵は他に移り、最近では、ガンマンがモンスター相手に戦う西部劇も珍しくない。というのが、一般的な見方だが、オールド・ウエスタンのころから、インディアンは白人の敵ばかりではなく、西部の地の案内役や相棒として登場する。インディアンは多種多様な種族に分かれ攻撃的な部族もあれば穏健な部族もあり、近くに住んでいる者同士には交流も生まれる。ほんの一部の例を言えば、ローン・レンジャーの相棒トントはインディアンだし、姪をさらったコマンチを憎む「捜索者」のイーサン(ジョン・ウェイン)の若い相棒マーティン(ジェフリー・ハンター)はインディアンと白人のハーフである。そうした複雑な事情を抱え、昨今の西部劇というか、西部を舞台とするドラマは、インディアンを腫れもののように扱うか(「先住民族」という、何も特定しない言葉が出てきたのもその流れではないだろうか)、そうした話題を避けてきたように思う。が、この映画はまっこうからその問題に取り組んでいる。

ロザリーを襲ったのはコマンチで、イエローホークらはシャイアンである。彼の妻エルク・ウーマンはなにかとロザリーを気づかい、ロザリーも少しずつショックから立ち直って心を開いていく。

が、男たちの恨みは大きい。ジョーは、イエローホークとの戦いで多くの友人を失った。騎兵隊の兵士たちもそれぞれに心の傷を抱えている。イエローホークらにとっては戦いをしかけてきたのは白人の方であり、彼らは自分たちの土地を守るために戦い、多くの同胞を失い、刑務所に収監されるという憂き目に遭いながらも、常に超然としている。

やがて、共通の敵を前に、対立していた男たちは協働していく。が、そう聞いて期待するような爽快感はない。ジョーは、恨み言を繰りながらもイエローホークに和解を申し出て、ついにその手を取って握手さえするが、彼の顔に笑みはない。また、イエローホークの方は終始一貫した態度で、ジョーの気持ちがどうであれそんなには関係ない様子である。

監督は、安易に楽観しない。物語はハードに暗い方へと向かっていく。配給側がウエスタン・ノワール第3弾と銘打っているように、トーンは終始陰鬱である。

最後は希望を持たせて終わるというが、ほんとうにあれが希望なのか。新しい人生を求めてロザリーだけがシカゴへ旅立ち、ジョーとリトル・ベアは西部に残り、二人でこれからの西部を生きる方がよかったとわたしは思う。

一行の旅は、ニューメキシコから、コロラド、ワイオミングを経てモンタナへ。森での夜のキャンプ・シーンも多く、西部の景色を楽しめたのがよかった。

映画「アルキメデスの大戦」を見る(感想)

アルキメデスの大戦

2019年 日本 東宝 130分

監督・脚本:山崎貴

原作:三田紀房アルキメデスの大戦」

出演:櫂直(海軍少佐。菅田将暉)、山本五十六*(少将。舘ひろし)、田中正二郎(少尉。柄本佑)、永野修身*(海軍中将。國村隼)、藤岡喜男(造船少将。山崎一)、宇野積蔵*(海軍大佐。戦艦長門艦長。小日向文世)、尾崎鏡子(浜辺美波)、大里清(笑福亭鶴瓶)、大角岑生*(海軍大臣小林克也)、嶋田繁太郎*(海軍少将。橋爪功)、平山忠道(造船中将。田中泯)、高任久仁彦(海軍中尉。奥野瑛太

1945年、戦艦ヤマトは撃沈された、という誰もが知っている歴史的事実を前に、それを阻止しようとした若き天才数学者の図面と計算による戦いを描く。菅田将暉がとてもいい。

映画の冒頭、いきなり大和の沈没シーンが迫力たっぷりに描かれ、知ってる人もひょっとして知らない人も、「戦艦ヤマトは沈む」ことを強烈に目の当たりにさせられる。

その12年前の1933年、海軍では、嶋田少将らの大鑑巨砲主義と、山本五十六少将、永野中将らの航空主兵主義が対立していた。山本は、平山中将の出した大鑑製造費の見積もりが低額すぎることに目を付け、その欺瞞を暴露しようと、東大を中退した若者櫂直を海軍に呼び、大鑑建造費の算出をさせようとする。櫂は、軍隊嫌いで、何を見てもすぐ長さを計ろうとする変人だったが、数学に関しては類まれなる才能を持っていた。

船の図面どころか資料も手に入らない状況で平山の設計した戦艦の実際の建造費を算出するため、櫂は、造船の本を読み、ちょっとでも役に立ちそうなデータをかき集め、平山の引いた設計図を再現し、あげくに建造に使われる鉄の総重量から建造費を算出する公式を作り出す。この漫画原作っぽい、荒唐無稽さを受け入れられるかどうかで評価が変わるかもしれない。

が、戦争になるのを防ぐため、若く純粋な正義感を持って、大角海軍大臣や島田少将ら老獪な幹部連中に挑む櫂、特に狂気の技師平山との対決を、わたしはたいへんわくわくしながら見た。結局は撃沈される大和だが、それまでにどのような経緯があったのかという興味をもってみる映画。

最初は呆れつつ、次第に櫂の卓越した能力にほだされていく田中少尉や、嫌味なく彼を慕い協力するお嬢さんの鏡子、にこやかな笑みを浮かべつつ冷徹な面を見せる山本少将など、脇もまた魅力的である。

<年代>
プロローグ:1945年大和沈没、本編:1933年、エピローグ:1942年大和出航  

映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」を見る(感想)

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

ONCE UPON A TIME IN HOLLYWOOD

2019年 アメリカ 161分

監督・製作・脚本:クエンティン・タランティーノ

出演:リック・ダルトンレオナルド・ディカプリオ)、クリフ・ブース(ブラッド・ピット)、
シャロン・テイトマーゴット・ロビー)、ロマン・ポランスキー(ラファエル・ザビエルチャ)、ジェイ・シェブリング(エミール・ハーシュ)、
ジェームズ・ステーシー(ティモシー・オリファント)、トゥルーディ(子役。ジュリア・バターズ)、
プッシーキャット(マーガレット・クアリー)、テックス(オースティン・バトラー)、スクィーキー/リネット・フラム(ダコタ・ファニング)、
ジョージ・スパーン(ブルース・ダーン)、マーヴィン・シュワーズ(アル・パチーノ)、ランディ(カート・ラッセル)、ブルース・リー(マイク・モー)、スティーヴ・マックィーンダミアン・ルイス)、チャールズ・マンソン(デイモン・ヘリマン)、ハケット保安官(マイケル・マドセン)、レッド・アップのCM監督(クエンティン・タランティーノ

★ネタバレあり! 注意!!★

 

 

 

1960年代のアメリカ、ハリウッド。

かつてテレビ・シリーズの西部劇「賞金稼ぎの掟」のヒーロー役で一世を風靡した俳優リック・ダルトンは、今は落ち目となって、単発映画やドラマの悪役ばかり演じていた。彼と付き合いの長いスタントマンのクリフ・ブースは、車の運転やアンテナの修理などリックの世話を引き受けていた。クリフのブラピはかっこよく、リックを演じるデカプリオはおもしろい。

リックは、高級住宅地に立つゴージャスな家に住んでいたが、隣に話題の映画監督ロマン・ポランスキーとその妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。

前半は、とりとめなく彼ら3人3様の生活の様子とおしゃべりが続く。

その中で、リックが「大脱走」のヒルツ役を演じてみせるシーンがあったり、スティーブ・マックィーンが出てきたり、クリフがブルース・リーと対決したり、映画の小ネタがあちこちに出てきて楽しい。

リックは、マカロニ・ウエスタン風の西部劇の悪役に付き、とちったことで落ち込み、休憩中に子役の女の子トゥルーディとおしゃべりをし、本番で会心の悪者演技をして8歳のトゥルーディに「私のこれまでの生涯で見た演技の中で一番良かった」と称賛される。

シャロンは、街の映画館で自分の出演作「サイレンサー第4弾/破壊部隊」(ディーン・マーティンと共演)が上映されているのを見つけ、客席で映画を見ながら自分の出演シーンで客の反応を窺い、笑いが起きるのを聞いてにっこりしたりする。彼女は子どもを身ごもっている。

クリフは、ヒッチハイクをしていたヒッピーの女の子(プッシーキャット)をスパーン牧場まで乗せていく。そこは、かつて映画撮影に利用していた牧場で、牧場主の老人スパーンはクリフの知り合いだった。スパーンは耄碌していたが生きてはいて本人に被害者意識はなかったものの、ヒッピーの若者たちは集団で住み着いていいように牧場を利用していた。若者たちとクリフの間に険悪な雰囲気が張り詰め、クリフは若者の一人をぶん殴る。

そして1969年8月9日がやってくる。シャロン・テートが、チャールズ・マンソン率いる狂信者集団によって自宅で惨殺されるという事件が発生した日である。

これまで「キル・ビル Vol.2」や「ヘイトフル・エイト」といったタランティーノの映画では、見る者は何かものすごい大惨事が起きたことを事前に知らされ、映画が進んで「その時」が刻一刻と近づいてくる、そのひりひりするような緊迫感が醍醐味のひとつとなっていたと思う。今回は、日本ではそんなにみんなは知らないが、映画好きな中高年なら知っている人もいる、という程度の「シャロン・テート殺人事件」がその大惨事として、ラストに据えられる(かくいう私も、この映画を見る前にちょっと知っといた方がいいらしいということを小耳にはさんで、事前にざっと検索した口である)。しかし、タランティーノは、シャロンを殺さない。シャロンを救おうとする。せめて映画の中だけでも。その思いに泣けてくる。

犬とクリフの活躍。リックが自宅に置いといた火炎放射器を手にするのもいい。

映画「ゴールデン・リバー」を見る(感想)

ゴールデン・リバー THE SISTERS BROTHERS

2018年 フランス・スペイン・ルーマニア・ベルギー・アメリカ  120分

監督:ジャック・オーディアール

原作:パトリック・デウィット「シスターズ・ブラザーズ」

出演:イーライ・シスターズ(ジョン・C・ライリー)、チャーリー・シスターズ(ホアキン・フェニックス)、ジョン・モリスジェイク・ギレンホール)、ハーマン・カーミット・ウォーム(リズ・アーメッド)、メイフィールド(レベッカ・ルート)、提督(ルトガー・ハウアー)、ミセス・シスターズ(キャロル・ケイン)

★ネタバレというか、ラストの展開など、内容に触れているので、見ていない人は注意!

1851年、アメリカ。

「提督」と呼ばれるボスの命令で、殺し屋兄弟シスターズ・ブラザースのチャーリーとイーライは、ハーマン・カーミット・ウォームという名の男を追うことに。弟のチャーリーは人を殺すことにためらいがない危険な男だが、兄のイーライは温厚で殺し屋稼業から足を洗いたいと思っている。

二人は、オレゴンからアメリカ大陸を横断して、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアを目指す。その間、チャーリーは飲んだくれ、イーライは毒クモに刺されたり、馬が熊に襲われたりと災難続き。女ボス、メイフィールドが牛耳る町では、彼女の手下に襲われるが、返り討ちにする。イーライは見事な銃撃をして見せ、実はかなりの銃の使い手であることを示す。

兄弟は、やっとたどり着いたサンフランシスコで、「提督」が放った連絡係モリスに会おうとするが、モリスは提督を裏切ってウォームとともに金を採りに行ってしまった後だった。二人を追う兄弟も、科学者を自称するウォームの発明した、金をたちどころに見つけられる秘薬の存在を知り、仲間に加わる。4人は力を合わせて金を手に入れるが、劇薬はウォームとモリスの命を奪い、チャーリーも右腕を失う。(邦題の「ゴールデン・リバー」は、秘薬によって夜の川底に浮かび上がる、きらきら光る金を指す。)

兄弟は、提督との対決を決心し、オレゴンの屋敷に向かうが、そこでは提督の葬式が営まれているのだった。対決をする必要もなくなり、兄弟は、母の住む故郷に帰る。

原作の西部小説は、大衆娯楽小説的なテーマを扱いながらも、オフビートな中にそこはかとなく文学臭さの漂う作品だったが、映画の方も、西部劇でありながら、活劇というよりは、人間ドラマとしてスマートに決まっている。

シスターズ・ブラザースという名前からして人を喰った感じだが、邦題よりはこちらの方が好きだ。チャーリーの暴力性をさんざん見せながら、じつはイーライの方が凄腕ガンマンだったり、ウォームがモリスにユートピアのような町をつくりたいという夢を語ったり、やっとウォームを見つけたと思ったら兄弟二人して仲間に加わったり、うまくいったと思ったらことのほか悲惨な結果になったり、いざ提督と対決と乗り込んだら提督はすでに死んでいたり、そして、ラストは二人して親孝行なことに故郷の家に帰ったりと、展開は右かと思えば左、左かと思えば右と、はぐらかしの連続である。気が利いているといえば気が利いているのかもしれないが、あざといと言えばあざといような気もする。でも、こうゆうのが好きな人は好きだろう。わたしは、このはぐらかし戦法は特にいいとも悪いとも思わないが、最後に実家に戻って、兄弟の母のシスターズ夫人が出てくるのはよかったと思う。

小説ほど軽妙洒脱ではなく、地に足のついた映画という感じ。地味だけど、ほぼおっさんしかでてこないけど、おもしろかった。なによりイーライ始め4人の男たちに好感が持てたのはうれしかった。

銃声がすごい、迫力があるという評価があるようで、たしかにすごい音だが、わたしはどうも花火のように聞こえてしまってしっくりこなかった。

 

<映画と原作小説の違い>

原作を読んだのは何年か前なので、細部は忘れてしまったが、覚えている範囲内で、映画と原作の違いをあげる。

・原作では、破壊的なチャーリーは兄、温厚なイーライは弟と、映画と逆になっている。(映画がなぜ兄とを弟を逆の設定にしたか定かではないが、あまり年齢序列にこだわらないアメリカでは、キャストの顔に合わせて変えたのかもしれない。)

・小説では、イーライは虫歯がひどくなって顔が腫れる。診てもらった歯医者に歯ブラシを勧められる。そのあと、クモに足を刺される。映画では、寝ている間にクモが口の中に入って顔が腫れる。

・小説では、メイフィールドは男で、兄弟にコテンパンにやられるが殺されることはなく、負けてすっからかんになった後でも今後について取引を持ちかけるという商魂たくましい様子を見せる。映画ではこわもての女ボスだが、兄弟に殺されてしまう。

・映画で、イーライが町のぬかるんだ道に渡した板の上を歩くが、小説では、知り合った女性といい感じになっていっしょにぬかるみの板を渡って歩くちょっとロマンチックなシーンになっている。

・小説では、最後は提督と対決する。このとき、イーライは、普段は温厚だが、一度切れたらチャーリーよりも手に負えなくなるという危険な一面を見せる。映画では、提督との対決は肩透かしに終わる。

原作「シスターズ・ブラザーズ」の感想
https://michi-rh.hatenablog.com/entry/20140823/1408766167

映画「ある町の高い煙突」を見る(感想)

ある町の高い煙突

2019年 日本 エレファントハウス=Kムーヴ 130分

監督:松村克弥

原作:新田次郎「ある町の高い煙突」

出演:関根三郎[関右馬充](井出麻渡)、関根兵馬(三郎の義理の祖父。仲代達矢)、関根恒吉(伊嵜充則)、ふみ(関根家女中頭。小林綾子)、深作覚司(入四間村村長。六平直政)、平林左衛門(篠原篤)、孫作(左衛門の弟。城之内正明)

加屋淳平[角弥太郎](日立鉱山庶務係。渡辺大)、加屋千穂(淳平の妹。小島梨里杏)、木原吉之助[久原房之助](日立鉱山開業者。吉川晃司)、大平浪三[小平浪平](日立鉱山水力発電所所長。石井正則)、如月良之輔(日立鉱山診療所医師。渡辺裕之)、八尾定吉日立鉱山補償係。蛍雪次郎)、志村教授(政府御用学者。大和田伸也)、権藤(日立鉱山株主。斎藤洋介)

私は茨城県日立市の出身である。「大雄院(だいおういん)の煙突」は、子どものころからよく目にした。日立市街へ出て山の方を見れば、いつも山の斜面に直立していて、そこにあるのが当たり前のものだった。煙突の絵を焼き付けた「東洋一」という名の瓦煎餅があって、私はそれで「東洋一」という物言いを知ったものだ。東京に住むようになってだいぶ経った1993年、「大煙突がぽっきり折れた」というニュースを見た。久々に大煙突のことを思い出すとともに、ことのほかショックだったことを覚えている。

日立に「だいおういん」という地名はないのに、なぜか煙突とセットになって使われていた。どういう字を書くかも知らなかった。今になって調べて、初めて大雄院という古いお寺の跡地に、日立鉱山の精錬所が建てられたのだと知った。

前置きが長くなったが、この映画は、明治の終わりから大正にかけて、煙害対策のために、企業(日立鉱山)と地元住民(入四間村の農家)がすったもんだのあげくに協働して大煙突を建てる話である(煙突の始動は1915年)。新田次郎の小説にもなったので、全国的に有名な話かと思ったら、どうやらそうでもないようだ。ご当地映画のようになっているが、地元住民と企業との協働による公害対策というテーマは一般的なものであり、その先駆けと言える大煙突建設は当時ならではのアナログな手法も含めて興味深い題材だと思うので、この映画でその歴史的事実が多くの人の知るところとなればと思う。

小説はだいぶ前に読んだので細かい部分は覚えていないのだが、精錬所が出す亜硫酸ガスを含んだ煙によって田畑に大きな被害を受けた農家の人たちのため、旧家の青年(映画では関根三郎)が進学をあきらめて村の代表として鉱山会社と交渉を行い、会社側もそれに応じて、ただ補償金を払うだけでなく、煙害を失くすための策を講じるようになっていき、ついに世界一の(当時)大煙突を立てるという大筋は映画と同じだ。合間に、主人公と結核の女性(映画では知恵)との恋などが差しはさまれる。

映画では(小説でもあったのかもしれないが)、そうした交渉の前に、死に瀕した村の長老の往診に鉱山会社の診療所の医師が駆けつけたり(渡辺裕之演じる医者がしぶい)、土砂崩れにあった鉱山会社の施設に青年隊が救助に向かったりなどと両者のやりとりがあった。

三郎は、入四間村の代表として村の衆と鉱山会社の間に立って奮闘するが、交渉を重ねるにつれて鉱山会社の庶務係加屋淳平と親しくなっていく。対立関係の中で芽生える友情がなかなかいい。

村の若者たちが猟銃を持って会社に殴り込んだり、煙道により被害がさらに大きくなって孫作が三郎に八つ当たりしたりする暴力的な場面や、総力挙げての大煙突の工事現場の場面など、男たちが躍動するシーンは面白く見たが、合間にさしはさまれる、三郎と加屋の妹知恵との出会いやデートもどきのシーンは正直だいぶ気恥ずかしかった。(知恵が結核で茅ケ崎の病院に入院し、一目会おうと三郎がはるばる訪ねて行って、海岸の散歩の際に二人が距離を隔てて再会と最後の別れをするシーンは、これはこれでよかった。)

鉱山会社の煙害対策は、むかで煙道、あほ煙突という苦い経験を経て大煙突にたどり着く。

国策に逆らう大工事のため、開業者の木原が政府を説得して、承認を得る。映画では、木原(吉川晃司)はただ鉱山会社のオフィスで背中を見せ黙して語らずの男だったが、吉川晃司演じる木原が政府を説得する様は、見たかったように思う。

ちなみに、水力発電所所長で有能な電気技師として登場する大平浪平は、日立製作所の創業者(小平浪平)である。また、今でも日立の山に咲く桜はほぼ山桜で、これは煙害に強い桜を移植したことの名残りだという。

公式HP https://www.takaientotsu.jp/

 

映画「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」を見る(感想)

ゴジラ キング・オブ・モンスターズ  GODZILLA: KING OF THE MONSTERS

2019年 アメリカ 132分

監督:マイケル・ドハティ

音楽:ベアー・マクレアリー

出演:マーク・ラッセル(カイル・チャンドラー)、エマ・ラッセル(ヴェラ・ファミーガ)、マディソン・ラッセル(ミリー・ボビー・ブラウン)、芹沢猪四郎(渡辺謙)、アイリーン・チェン/リン・チェン(チャン・ツィイー)、スタントン(ブラッドリー・ウィットフィード)、ヴィヴィアン・グレアム(サリー・ホーキンス)、アラン・ジョナ(チャールズ・ダンス

ゴジラ、キングキドラ、モスララドン

キングコング、ムートー、ベヒモス、シラ、メトシェラ

GODZILLA ゴジラ」から5年後。

キングコング 髑髏島の巨神」でも出てきた特務機関モナークは、すごい組織になっていて、世界各地に基地を設置し軍隊並みの兵器を備え、怪獣たちを見守っている。

怪獣と交信する装置「オルカ」を開発中の科学者エマは、娘のマディソンとともにモナークの基地がある中国雲南省に居住し、モスラの孵化を見守っていたが、ある日、オルカを狙う環境テロリストのジョナらによって拉致され南極に連れていかれる。そこにはモンスターゼロと呼ばれる3つ首龍の怪獣(キングキドラ)が眠っていた。他にも、バミューダ海峡にあるモナークの基地「キャッスル・ブラボー」で芹沢博士らがゴジラを見守り、メキシコの火山島イスラ・デ・マーラの活火山にはラドンが眠っているのだった。

GODZILLA ゴジラ」でもそうだったのだが、どうもこのシリーズのゴジラものではドラマ部分で眠くなってしまい、その間にいろいろ話が進んで細かい設定を知らないまま終わってしまう(チャン・ツイィーが双子役という設定なども見逃してしまった)。

怪獣たちが登場する画面は、それぞれの目覚めのシーンでも、格闘シーンでも、豪華絢爛で凝っていて、たいへん見ごたえがあって、これこそまっとうな意味での目の保養という感じがした。映画というよりは、動く怪獣絵図を鑑賞しているようだった。

芹沢博士の渡辺謙は前作に引き続き、「ゴ・ズィーラ」ではなく「ゴジラ」と発音し、オキシジェン・デストロイヤーを持って突っ込む。

エンドロールでは、ゴジラのテーマ曲もモスラの歌も流れるし、最後に出る献辞は、2017年に亡くなった坂野義光氏と中島春雄氏両名へ捧げるものだった(坂野氏は「ゴジラ対へドラ」(1971)の監督で「GODZILLA ゴジラ」のエグゼクティブプロデューサー、中島氏は初代ゴジラスーツアクターだそう)。原点への敬意やこだわりが随所に見られ、ディープなファンにとってはありがたいのだろう。

私はそこまでではないのだが、それにしても、この歳になっても怪獣を見るとわくわくする。ゴジラが咆哮してあの背びれを見せて海に潜った後に巨大な尾が振り上げられて水面をバッシャーンとたたいて去る様に高揚する。子どものころの怪獣体験が染みついているのか、私が割と爬虫類好きだからなのか、それとも人にはそういうものを好む性質が備わっているのか、不思議な気がする。

関連作品(モンスターバース作品):「GODZILLA ゴジラ」(2014)、「キングコング 髑髏島の巨神」(2017)

※モンスターバース (MonsterVerse) とは、アメリカのレジェンダリー・ピクチャーズが日本の東宝と提携して製作し、ワーナー・ブラザースが配給する、怪獣映画のシェアード・ユニバース作品のこと。さらに、シェアード・ユニバースとは、「共有された世界観」の意味で、小説や映画などのフィクションにおいて、複数の著者が同一の世界設定や登場人物を共有して創作する作品のことをいうらしい。