たとえば檸檬

2012年 日本 ドッグシュガー 138分
監督:片嶋一貴
出演:カオリ(韓英恵)、若い巡査(白石準也)、石山(綾野剛)、カオリの母(室井滋)、ミナ(佐藤寛子)、吉野(渡邉紘平)、ヨーコ(松本若菜
香織(有森也美)、河内(伊原剛志)、疑惑の実業家(古田新太)、精神科医内田春菊)、神津(信太昌之)

★ネタバレあり!!!★
20歳のカオリは、専門学校で彫金の勉強をしている。彼女の母は、カオリのために人生を台無しにされたと嘆き、娘を虐待してきた。カオリは家を出たいと望みつつも母親から逃れられずにいた。学費が払えず、お金の工面に悩んでいたカオリは、石山と知り合う。チーマーのリーダーである石山にはミナという恋人兼パトロンがいたが、石山はカオリの彫金の才能に興味を抱き、仕事の話をもちかける。やがて2人はつきあうようになる。


一方、40歳の香織は、商社で重役秘書として働いていた。
20歳になる娘と暮らしていたが、娘はずっと部屋に引きこもっている。
彼女は、街にでるときは派手な化粧とファッションに身を包み、ホストに貢いでセックスをし、店で万引きを繰り返していた。
ある日、河内という刑事に、万引きの常習は病気だと指摘される。彼女は精神科で治療を受け、境界性パーソナリティ障害という診断をされる。彼女も母親に虐待された過去があり、その母は20年前に自殺していたのだった。


二人の「かおり」は、徐々に、20年の歳月を隔てた同一人物だということがわかってくる。
20年前と現在が入り交じる構成はとても斬新だが、そうしたせっかくの試みがいまいち効果を発揮していないように思えてしまった。「ああ、そうだったのか!!」と率直に驚きたかったのだが、こっちがいろいろひねくれてしまっているせいもあるんだろうけど、驚けなかったのが残念だ。
ただ、子役ならまだしも、20代といえばもういい大人、その20年後をいちいち別の役者が演じて見かけがかけ離れた人間になっているという二人一役の戦法は、映画ならではの奇策という感じでおもしろかった。綾野剛古田新太になっているなんてなかなか衝撃的だ。


母と娘の話というと、ねっとりとした女と女のやらしい部分満載の話を連想する。そうした題材と片嶋一貴監督の作風が頭の中でつながらず、どんなものができているのか、見る前にはあまり想像がつかなかった。
画面は過激だ。アップの連続と揺れる画面は見ていて酔いそうにもなる。ヒロインはげえげえと嘔吐し絶叫し毒づくし、室井滋はヒステリックで超迷惑な母親を憎々しげに演じる。「八重の桜」で悲劇の若殿を「空飛ぶ広報室」で心優しき自衛官を演じた綾野剛は暴力的で刹那的な不良を演じ、サンタクロースの衣装でロックな「きよしこの夜」を熱唱する。
この剛腕でかっこうつけな(賛辞です)画面は、私の知っている片嶋監督のものだ。そしてそうした男っぽさは、昨今の日本の創作全般においてだいぶ稀少なものに思える。
また、自転車をこぐ20歳のカオリのショットがしつこく何回も出てくる。何度見せられても苦にならないくらい、自転車をこぐ韓英恵の姿は清々しくて気持ちがいい。これもかなりの男の子目線だ。
母親は水の中からカオリを救い出し、表題にもある檸檬は母の愛をストレートに表しているが、香織が母から受けた心の傷は深刻で、結果も決してハッピーとは言えない。母と娘の話、特に娘が心に負った傷の深さを描くことに比重が置かれているが、その女を男が助けようとする話でもある。
心引かれたのは伊原剛志の刑事である。罪を負いつつ、ずっと一人の女を救うために生きながらえてきたような男。彼だけが、20年を経て、若いときより渋くかっこよくなっているのだ。
監督は姿のいい男優を使う。今回の綾野剛もそうだが、「ハーケンクロイツの翼」(2003年)もブレーク前の小栗旬が主演だった。伊原剛志については、「十三人の刺客」での伊原があまりにもカッコよかったからダメモトで打診したという。これからもかっこいい男をかっこよく撮ってほしい。と、「母と娘」というテーマから若干外れたところで思うのだった。
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