映画「ウエスト・サイド・ストーリー」を見る(感想)

エスト・サイド・ストーリー  WEST SIDE STORY
2021年 アメリカ 157分
監督:スティーヴン・スピルバーグ
出演:マリア(レイチェル・ゼグラー)、トニー(アンセル・エルゴート)、リフ(マイク・フェイスト)、ベルナルド(デヴィッド・アルヴァレス)、アニータ(アリアナ・デボーズ)、チノ(ジョシュ・アンドレス・リベラ)、エニボディス(アイリス・メナス)、バレンティーナ(リタ・モレノ)、クラプキ巡査(ブライアン・ダーシー・ジェームズ)、シュランク警部補(コリー・ストール)

★すじをバラしてます!★


往年の有名ミュージカル映画を、なんで今頃スピルバーグがリメイクするんだといぶかっていたのだが、旧作への敬意を存分に示しつつ、腹を据えて丁寧に作り込んだ良作だと思った。

1961年版は十代のころテレビで見た。広告のビジュアルのかっこよさにうきうきして楽しみにしていたら、両親が口を揃えて、そんなにおもしろくないよと言ったのだが、そんなわけあるまいと思って見始めて、冒頭の、ジーパンにシャツという普段着のアメリカの不良少年たちが突然路上で踊り出すシーンにすっかり惹きつけられてしまったのだが、その後の悲劇的展開を全く知らなかったので、物語半分くらいで、ラス・タンブリンとジョージ・チャキリスという主役級の二人があいついで死んでしまって愕然とし、その後いくらナタリー・ウッドががんばってもリチャード・ベイマーはちょっと押しが弱く、ガレージの「クール」のシーンはよかったのだが、二人のリーダーの死のショックが尾を引いて、興奮は尻つぼみに終わった記憶がある。予め、これは「ロミオとジュリエット」なんだと聞いていれば、もう少し、冷静に見られたかもしれない。

それでも、テレビで1回だけ見たにしては、私としてはだいぶ内容を覚えていた。You Tubeなどでちょこちょこ見直すと、ペンキ缶とか旧作で使われていた小道具が今回のリメイクでも生かされている。
少年たちがなじんでいる雑貨店を経営するのは、白人男性と結婚したプエルトリコ人のバレンティーナで、61年作でアニタを演じたリタ・モレノが好演しているのがとてもいい。
人種差別とかジェンダーとか貧困の問題を今風に扱っていて、旧作ではおてんば娘だった子(正直覚えていない)が、本作で登場するトランスジェンダーのエニボディズに入れ替わっているらしい。トニーやリフやベルナルドは悪くはないが、男たちはそれぞれの集団を構成する者として描かれていて(それが悪いということではない)、個人として際立っているのはアニタとマリアの2人の女であるように見えた。
唄と踊りについては、冒頭のジェット団とシャーク団の登場シーン、女たちが闊歩する「アメリカ・アメリカ」、非常階段とベランダの柵がもどかしいマリアとトニーの「トゥナイト」など、こちらのバージョンも楽しく見て聞いた。
旧作で俯瞰でとらえられたウエストサイドの街並みはすでになく、がれきが積まれた空地の上をクレーンのショベルが動き回る、オープニングとエンディングもよかった。

www.20thcenturystudios.jp

 

関連作:「ウエスト・サイド物語」(1961年)監督:ロバート・ワイズ。出演:ナタリー・ウッド、リチャード・ベイマー、ラス・タンブリン、ジョージ・チャキリス、リタ・モレノ

 

 

 

映画「ミークス・カットオフ」を見る(感想)

ミークス・カットオフ  MEEK'S CUTOFF
2020年 アメリカ 103分
監督:ケリー・ライカート
出演:エミリー・テセロ(ミシェル・ウィリアムズ)、スティーブン・ミーク(ブルース・グリーンウッド)、ソロモン・テセロ(ウィル・パットン)、ミリー・ゲイトリー(ゾーイ・カザン)、トーマス・ゲイトレー(ポール・ダノ)、グローリー・ホワイト(シャーリー・ヘンダーソン)、ウィリアム・ホワイト(ニール・ハフ)、ジミー・ホワイト(トミー・ネルソン)、インディアン(ロッド・ロンドー)

周辺の西部劇ファンからは不評な作品だが、いや、それなりに見ごたえはあるだろうと思って、早稲田松竹のケリー・ライカート特集で見た。
1845年、オレゴン。新天地を求めて西部へ向かう3家族の旅の様子を描く。
広大な西部の荒野、幌馬車、馬、銃、開拓者たち、西部の案内を務めるスカウト、はぐれインディアン、と西部劇の要素がたくさんあるので西部劇なんだろうが、岩場の銃撃戦も、無法者たちの仲間割れも、インディアンの襲撃も、酒場の殴り合いも、1対1の決闘も、縛り首も、保安官と保安官事務所と牢屋に拘留される酔っ払いも、馬の疾走も、スタンピードも、ガンマンと淑女あるいは酒場女との恋も、ない。
西部を目指す、テセロ夫妻、ゲイトリー夫妻、ホワイト夫妻とその息子の3組の家族は、ひたすら黙々と砂漠を進み続ける。案内人のミークは馬に乗り、男たちは幌馬車を駆るが、馬車は荷物でいっぱいで、乗れない女たちは長いスカートのすそを引きずって、ひたすら歩く。
タイトルのカットオフは近道の意味。どうやら、彼らは幌馬車隊にいたが、近道を知っているというミークの言葉を信じて隊とは別行動をとったらしい。が、2週間で着くと言われた目的地に5週間経っても着けないでいる。ミークが道に迷ったのでは、あるいは近道なんかないのでは、という疑惑が彼らの中に芽生えているが、ミークは意に返さない様子である。やがて、水が尽きそうになるが、水場も見つからない。
そんな中、カイユート族のはぐれインディアンに遭遇する。狂暴な種族だから殺そうという男たちをテセロ夫人のエミリーが止める。インディアンなら地理に詳しく、水場も知っているはずということで、彼に案内をしてもらおうとするが、まったく言葉が通じない。
通常の西部劇であれば、案内人はインディアンの言葉は多少わかっていて通訳の役目も果たすのだが、ミークはちんぷんかんぷんでここでも役に立たない。インディアンはけっこう長々としゃべるし、祈りの言葉のような唄も唄うが、だれも意味がわからない。エミリーは、インディアンに近づき、貸しを作るためだと言って、ほころびていた彼の靴を修繕してやるが、修繕し終わった状態の靴は画面には出てこない。いろいろと説明不足な映画で、それが悪いということではないが、一貫して登場人物たちが求める答えや結果はあいまいなままだ。だが、直した靴を履くインディアンの足元くらいは見たかった気がする。
この映画は、女から見た西部劇、男たちがヒーローを気取ってドンパチやってる間、女たちは黙々と退屈で過酷な日々の暮らしを営んできた、ということを伝えているのだ、といったことが劇場の解説文に書いてあった。そういう意味で歴史的な1作だと。
そう言われたら、西部開拓時代の女たちがどのような思いでどのようなことをしていたか、リアルなものを見てみたいと思ったし、物静かな開拓民家族のやりとりも見ていたかったし、夕陽に映える幌馬車隊、広がる荒野、馬と幌馬車の列を写す超ロングショットなど美しい画面にも惹かれたが、にも関わらず、頭では思っても、身体がついていかなかった。見ていたいのに、静かすぎて退屈過ぎて夜のシーンが暗すぎて、何度も寝てしまったというのが、正直なところだ。

 

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早稲田松竹のケリー・ライカート特集

 

映画「クライ・マッチョ」を見る(感想)

クライ・マッチョ CRY MACHO
2021年 アメリカ  104分
監督:クリント・イーストウッド
出演:マイク・マイロ(クリント・イーストウッド)、ラフォ(エドゥアルド・ミネット)、マルタ(ナタリアン・トラヴェン)、ハワード・ポルク(ラフォの父。マイクの元雇い主。ドワイト・ヨーカム)、レタ(ラフォの母。フェルナンダ・ウレホラ)、アウレリオ(オラシオ・ガルシア=ロハス)、マッチョ(雄鶏)

★映画のあらすじ書いてます。

元ロデオスターの年老いた男とメキシコの少年が国境目指して旅をする映画。
西部の荒野、メキシコとアメリカの国境、牧場、馬、と西部劇の要素満載である。
さらに、車好きに聞くところによると、マイクが乗る車がいろいろ変わるのも楽しいらしい。最初はシボレーのピックアップトラック。マイクが、メキシコに向かう旅に出て、牧場の馬の群れと並走する車はシボレー・サバーバン、ラフォといっしょになってからは、フォード、ベンツと乗り換えるそうで、その車の選択がかなり渋いらしい。けど、車のことはよくわからないので、そのおもしろさは味わえなかった。
妻子に先立たれ、仕事も引退して一人暮らしをしていたマイクは、元雇い主のポルクから、メキシコで元妻のレタと暮らす息子ラフォを引き取りたいから連れてきてほしいと頼まれる。豪邸で放蕩三昧の暮らしをするレタの元を逃れ、ラフォは雄鶏マッチョを相棒に闘鶏をしてストリートで暮らしていた。
ラフォはかなりたやすくマイクとアメリカの父のところに行くことを承諾するが、国境を目指す二人は、親権を持つレタの手下の追手や、誘拐ということで警察に追われる身となる。
追われる身なのに、途中、メキシコの町でレストランを営む美人の未亡人マルタと知り合い、都合よく牧場主に馬の調教を頼まれ、空き家の教会をねぐらにして、しばらくそこに留まることに。マルタやその孫娘たちと楽しく過ごし、ラフォはその中の年長の娘と仲良くなり、マイクとマルタもお互いに惹かれ合う。
旅を再開した道中、必ずしも父性愛からだけでない父の目論見を知ったラフォとマイクが諍いになったところへ、追手のアウレリオが登場。味方どうしが対立し不穏な空気になったところに共通の敵のインディアンが現れる、西部劇の作劇を思い出す。アウレリオはラテン系のイケメンで仕事をしているだけなのに、ひどい目にあってばかりで気の毒だ。
ラスト、金持ちのポークが自らラフォを迎えに来て、国境の向こう側で車に寄りかかって待っているのがいい。マイクに名残り惜しさを抱きつつ、父の待つアメリカに踏み出すラフォ。マイクはマルタのところに戻る気満々なのだった。
銃撃も激しい格闘もないが、荒野を風が吹き抜けるような開放感が、西部劇のそれを思い出させる。馬もよいが、マッチョという名の雄鶏がだいぶよく、タイトルロールだけのことはあると思った。

 

wwws.warnerbros.co.jp

 

雪で「網走番外地 北海篇」を思い出す(感想)

関東で久しぶりに雪が降った。つかの間の雪景色を見て、ちょっと前に録画で見たこの映画を思い出した。

 

網走番外地 北海篇
1965年 日本 東映 90分
監督・脚本:石井輝男
助監督:内藤誠
出演:橘真一(高倉健)、大槻(田中邦衛)、鬼寅/四十二番(嵐寛寿郎)、葉山/十三番(千葉真一)、十一番(由利徹)、一〇八番(砂塚秀夫)、十九番(炊事班長。山本鱗一)、七番(吉野芳雄)、
安川(安部徹)、金田(藤木孝)、弓子(大原麗子)、浦上(杉浦直樹)、エミ(小林千恵)、雪江(宝みつ子)、孝子(加茂良子)、
志村社長(沢影謙)、田舎の親分大沢(小沢栄太郎)、山上(井上昭文)、水島(小林稔侍)、谷崎(水城一狼)、夏目(石橋蓮司

網走番外地シリーズ第4作。
冒頭は、お決まりの網走刑務所のシーン。仮出所を間近に控えた橘真一は、病を患う十三番の葉山のために特別料理を注文し、料理番の十九番といさかいになる。十九番の味方の看守は、怒って橘の仮出所を取り消すぞと脅してくるが、鬼寅の気迫に満ちた仲裁で事なきを得る。千葉真一が葉山の役で登場する(残念ながら出番はここだけ)。
仮出所した橘は、葉山に頼まれ、トラック運送会社を訪れて未払いの賃金を受け取り葉山の母に送金してやろうとするが、運送会社社長の志村は払う金を持ち合わせず、大雪で鉄道が通れない雪山の難所を行く運送の仕事を引き受ければ金が入るという。橘は運転手を引き受ける。
積荷の依頼人は、怪しげな男安川とその子分らしいチンピラの金田で二人も同乗する。橘の仕事ぶりを見届けようとしてか、志村の娘弓子も密かに荷台に忍び込む。
トラックは、釧路からペンケセップという町に向かう。
大雪の積もる山間の道を行くトラックには、脱走犯(浦上)、ケガをした少女(エミ)とその母(雪江)、心中に失敗した失意の美女(孝子)などの男女が次々に乗り合わせてくる。
ペンケサップの町で雪絵や孝子らを下ろし、橘は大沢組の親分を訪ねて、葉山の代わりにけじめをつけさせる。その後、橘と弓子は、安川と金田の命令でトラックで山に向かう。安川が運んでいたのは覚せい剤の材料で、彼らは山の中腹の雪原に野外精製所を急造し、橘と弓子にも手伝わせて覚せい剤を作る。できあがった覚せい剤はヘリで運ぶ段取りが立てられていた。覚せい剤ができあがると、安川は橘と弓子を殺そうとするが、出所してマタギとなっていた鬼寅が猟銃を持って登場、二人を救うのだった。
後半の雪原の戦いもなかなか面白いが、前半のトラックの旅のシーンがたいへん興味深い。
老若男女というよりは、善悪男女が一台のトラックに乗り合わせる。脱走犯の浦上は、なにかと雪江を気遣い、金田は孝子にやさしくする。安川は弓子を襲おうとして反撃を食らうなど、道中、様々な人間模様が繰り広げられる。ジョン・フォードの「駅馬車」みたいだと思っていたら、石井輝雄監督は「駅馬車」を意識してこの映画を撮ったという話もあるらしい。浦上の由紀子への紳士的な態度は「駅馬車」の元南部貴族の賭博師ハットフィールド(ジョン・キャラダイン)の将校夫人ルーシーに対する態度を思い出させるし、孝子のことが気になる様子の金田は、ダラス(クレア・トレヴァ)に惹かれるリンゴ・キッド(ジョン・ウェイン)のようでもある。「駅馬車」では、ルーシーが上流の婦人で、ダラスは酒場女であったが、こちらでは、逆に雪江が元娼婦で、孝子が上流のお嬢さんとなっているのもおもしろい。
ところで、タランティーノの「ヘイトフル・エイト」を見たとき、タランティーノが「駅馬車」を撮るとこんな感じになるのかなと思い、これはタランティーノ版「駅馬車」ではないかと思ったのだが、豪雪の中を行く馬車という設定を思うと、ひょっとして、この「網走番外地 北海篇」のタランティーノ版だったのかもしれないなどとも思えてきたりして、楽しい。

 

 

 

 

 

 

 

映画「レイジング・ファイア」を見る(感想)

レイジング・ファイア 怒火 RAGING FIRE
2021年 香港 126分
監督:ベニー・チャン
アクション監督:ドニー・イェン
スタント・コーディネーター:谷垣健治
出演:ボン警部(ドニー・イェン)、ンゴウ(ニコラス・ツェー)、
チン、ニン、ウォン、マンクワイ
イウ警部(レイ・ルイ)、フォック(銀行の会長)、副総監、ボン警部の妻(チン・ラン)

★途中までのあらすじを書いています★

 

現代の香港を舞台にしたハードなポリス・アクション。
実直な腕利き刑事と、上層部の裏切りによって犯罪者となり復讐に燃える元若手警官らとの戦いを描く。
香港警察のボン警部(公式サイトではチョンとなっているが、字幕ではボンとなっていた。Imdvでは、"Cheung Sung-Bong”とある)は、長年追い続けてきた凶悪犯ウォンとベトナムの売人との麻薬取引の情報を得て、一味を一網打尽にする計画を立てる。が、直前になってボンのチームだけが出動を禁じられる。
現場には、ボン警部の友人イエ警部率いる警官隊が乗り込むが、正体不明の武装集団が乱入し、居合わせた者たちを誰彼構わず殺傷し、麻薬を強奪して去る。イエ警部も犠牲になってしまう。ボン警部は、警察上層部の息子が起こした暴力沙汰を見逃せという上からの命令に背いたことで直前に任務から外されたのだが、そのため命拾いしたのだった。
襲撃者は、ンゴウとその仲間からなる元警官5人組だった。ンゴウは将来有望な若手で、ボン警部は部下として目をかけていた。ある日、大手銀行の会長フォック氏が誘拐され、犯人の一人を追うンゴウら6名の若手警官チームは、フォック氏の監禁場所を聞き出すため、犯人に暴行を加え、自白後に死なせてしまう。彼らは命令をした副総監の保護を得られず、フォック氏からもやりすぎだと言われ、嘘をつけないボン警部の証言によって、殺人の罪で収監され警察も馘になる。仲間の一人は自殺し、残った5人は出所後凶悪な犯罪者集団となり、警察とフォック氏への復讐をもくろむ。
激しい銃撃戦や、香港の街中でのスピード感に満ちたド派手なカーアクション、あの手この手の格闘シーンと、アクション映画の見せ場満載で、久々に血沸き肉躍る思いを味わった。
ドニー・イェンはこれまで浮世離れした役でしか見たことがなく、「イップ・マン」では詠春拳の達人で黒いチャンパオ(丈の長い中国服)を、「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」ではチアルートというジェダ寺院の守護者で僧侶っぽい服を着ていたので、普通のスーツ姿が新鮮だった。イップ・マンは、チャンパオの袖をまくって白い裏地が袖口に見えたら本気で戦う気になっているとわかったのだが、ボン警部は、上着を脱いで白いシャツの上に防弾チョッキの姿になったとき(なかなか似合う)が闘うときである。
ンゴウ役のニコラス・ツェーは初めて見たが、危険なイケメンを演じてかなり人気が出そうな感じである。
それまでのアクションも楽しめたが、最後のボンとンゴウの一騎打ちは、ナイフでの戦いから、長い棒を振り回しての戦い、そしてそこらにある大道具を倒したりよけたりと大暴れする二人が見られて見応えたっぷりだった。
本編は2人の戦いが終わったところで後日談もなくぶちっと終わるのが香港映画らしくていいのだが、その後クレジットでは、これが遺作となったベニー・チャン監督の姿とともに撮影現場の写真が次々と映しだされ、監督作を見るのは初めてにも関わらず、じんときてしまうのだった。

gaga.ne.jp

「ザリガニの鳴くところ」を読む(感想)

ザリガニの鳴くところ Where the Craawdads Sing 
ディーリア・オーエンズ(2018)
友廣純訳 早川書房(2020)
当時人物:
カイア(キャサリン・ダニエル・クラーク)
ジェイク(父)、マリア(母)、ジョディ(兄)、ミッシー(姉)、マーフィ(長兄)、マンディ(次兄)、
テイト・ウォーカー、ジャンピン(船着き場の燃料店<ガス&ベイト>店主)、メイベル(ジャンピンの妻)、
スカッパー(漁師。テイトの父)、サリー・カルペッパー(無断欠席補導員)、サラ・シングルタリー(食料品店の店員)、パンジー・プライス(雑貨店店主)、ロバート・フォスター(書籍編集者)、
チェイス・アンドルーズ、サム(チェイスの父)、パティ・ラブ(チェイスの母)、エド・ジャクソン保安官、ジョー・パーデュ保安官補、ヴァーン・マーフィー(医師)、トム・ミルトン(弁護士)、シムズ(判事)、チャスティン(検事)
ビッグ・レッド(かもめ)、サンディ・ジャスティス(猫)

★注意。あらすじを書いています★

 

1950~60年代のアメリカ、ノース・カロライナ州の海岸地方に広がる湿地と田舎町バークリー・コーブが舞台。家族に捨てられ、湿地に建つ粗末な小屋に取り残された幼い少女カイアは、ごく少数の周囲の人たちに助けられながら、生きていくすべを見出し、心身ともに成長していく。彼女が23歳のとき、湿地で殺人事件が起こり、カイアに犯人の容疑がかかるが、という話。
カイアは、湿地の小屋で両親と姉、3人の兄とともに極貧のうちに暮らしていたが、1952年、母親が家を出ていくと、相次いで姉と2人の兄がいなくなり、カイアが最も仲のよかった3兄のジョディも別れを告げて出ていく。カイアは父と二人残される。父は富裕階級の出だが、恐慌で家が破産し、戦争で足を負傷して復員してからは、仕事につかず酒を飲んでは家族に暴力を振るっていた。6歳のカイアは料理と掃除をし、ボートでの釣りを覚えたいと父に言い、父もだいぶおだやかになって二人でうまくやっていたが、ある日母から届いた手紙を読んでから父は再び酒におぼれて留守がちになり、ついに帰ってこなくなった。
カイアは、湿地の水辺で掘り集めた貝や釣りをして得た魚の燻製を売って収入を得ることを覚える。カイアを学校に行かせようとして無断欠席補導員(役場の関係者か)が何度か尋ねてくるが、カイアはそのたびに姿を隠して逃れるため、公的な保護の手は彼女には届かない。船着き場にある燃料店を営んでいる黒人のジャンピンとその妻メイベルは彼女を気にかけ、魚の燻製が売り物にならないと知りつつも引き取ってくれたり、教会の寄付で集まった衣類を分けてくれたりした。ジョディの友だちだった漁師の息子のテイトもカイアを気にかけ、読み書きを教えてくれる。カイアは、湿地に棲む鳥の羽などを集めて小屋の壁に貼り、独自のコレクションをつくっていたが、テイトも湿地にいる動植物が好きで話が合うのだった。
が、やがて、テイトは大学で生物の研究をして学者になる夢を果たすため、町を出ていく、休暇には戻ってくるといいつつ、彼はカイアとの約束を破り、研究を優先する。
カイアは、「湿地の少女」と呼ばれ、町の人たちから蔑まれ、好奇の目で見られながらも、独学で動植物について学んで知識を深め、美しく成長する。家が裕福でスポーツマンでイケメンで女好きのチェイスが、カイアに接近してくる。テイトに裏切られたカイアは、チェイスとつきあい結婚の約束をするが、チェイスにとってカイアは数あるガールフレンドの一人、ものめずらしさからつきあっているだけの存在だった。
1969年、そのチェイスの死体が、湿地にある火の見櫓の下で発見される。墜落死と思われたが、その死には不審な点があり、やがてカイアが殺人の疑いで逮捕される。終盤は裁判劇となる。
1952年から1969年までのカイアの生活と1969年の殺人事件の捜査の様子が交互に描かれるが、あまりミステリという感じではない。
前半は、帰らない母を待ち、なんとか父とうまくやろうとする幼いカイアが不憫である。字が読めないのに、父が焼き捨てた母からの手紙の燃えカスを集めてビンに入れてとっておくところなど読んでいて胸がいたむ。幼い子どもがつらい境遇に陥る設定もあり、このあたりは児童文学のような感じが強い。
が、テイトが大学を卒業して町に戻り、湿地の近くにできた研究所勤務となり、カイアの生きものコレクションを見て出版社に話を持ち込み、カイアが湿地の生物の専門家として本を出すにあたっては、話があまりに都合よく進み過ぎてなんだか絵空事めいて見えてきてしまった。
ジョディとの再会はよかった。ここで、ジョディの顔の凄惨な傷跡とともに、父の暴力がどれほとひどかったかが明かされ、母が戻れなかった理由にカイアは改めて気づく。ジョディから家の電話番号を渡され、電話をかける兄弟がいることに新鮮な喜びを覚えるカイアが健気である。
殺人事件とカイアとの関わりは読者に真相が知らされないまま裁判となるが、結末は意外でも何でもない。ということからも、これはミステリというよりは、湿地に生きる少女の稀有な生き様を追う小説だと思った。
タイトルは、カイアの母がよく口にしていた言葉で、そういう物言いがあるのかもしれない。テイトの説明によれば、「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままで生きている場所」のことだそうだ。

 

 

 

映画「ラストナイト・イン・ソーホー」を見る(感想)

ラストナイト・イン・ソーホー LAST NIGHT IN SOHO
2021年 アメリカ  118分
監督・原案・脚本:エドガー・ライト
出演:エロイーズ(トーマシン・マッケンジー)、サンディ(アニャ・テイラー=ジョイ)、ジャック(マット・スミス)、銀髪の男(テレンス・スタンプ)、ジョン(マイケル・アジャオ)、ミス・コリンズ(ダイアナ・リグ)、ジョカスタ(シノーヴ・カールセン)

★注意。最後のネタバレはしてませんが、映画のあらすじを書いています!

 

ファッションデザイナーになるため田舎からロンドンに出てきた少女と、60年前にやはり夢を抱いてロンドンにやってきた少女が時を超えて同調し、次第に過去の犯罪が明らかになっていくサスペンスホラー。ダークファンタジーと呼ぶのが今風かもしれない。
田舎で祖母と暮らすエロイーズは、特殊な能力を持っていて、子どものころ自殺した母の姿を見ることができる。
彼女はロンドンのデザイン学校に合格し、あこがれのデザイナーになるため、上京する。しかし、寮の派手な女子たちになじめず、寮を出て、コリンズという老婦人が所有するソーホーの古い家の屋根裏部屋を間借りする。
屋根裏部屋で眠るようになってから、夜ごとエロイーズは夢の中で60年代に同じ部屋に住んでいた女性サンディとなって、彼女の体験をたどることになる。歌手志望だったサンディは、大きなナイトクラブに乗り込んで自分を売り込み、マネージャーのジャックの気を引いて他の店でのデビューを勝ち取る。が、その店は風俗店で、ジャックはサンディに客を取らせるようになるのだった。夢と希望に満ちてはつらつとしていたサンディは、だんだんと自堕落になっていく。
祖母と暮らしていたせいか、エロイーズは60年代に憧れ、当時のファッションや音楽が好きである。夢の中でサンディが着ていたピンクのワンピースのデザイン画を描いて授業で教師に褒められるが、いじめっ子のジョカスタらはそれが気に入らない。クラスメイトのジョンは、当初からエロイーズのことを気にかけていて、何かと近寄ってくる。
そうしたデザイン学校での日常の一方、毎晩夢で見るサンディの物語は日を追うごとに悲惨になっていき、ついにサンディはベッドの中でジャックに刃を向けられる。エロイーズは、過去の殺人事件を夢で見たうえに、サンディを金で買った顔のないスーツ姿の男たちの亡霊に悩まされる。やがて追い詰められた彼女は、意外な真相を知ることに。
夢を抱いてロンドンにやってきた少女が都会のパワーに圧倒されていくという点は、エロイーズとサンディに共通するが、二人はだいぶ対照的だ。きらびやかな60年代のロンドンの街を舞台に華やかなサンディにシンクロした地味なエロイーズの鏡を使った描写が見事。がんがん鳴り響く音楽は通にはこたえられないらしいが、私には少々過剰に感じられた。
「ベイビードライバー」の監督ということで、同作と同様、行き届いた映画づくりの妙を感じたが、勝手なもので、行き届きすぎてもっと野放図なところがあってもいいのではと思わなくもなかった。
テレンス・スタンプが謎の銀髪の男役で顔を見せるが、ちょっともったいない使われ方だった。

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