映画「ミークス・カットオフ」を見る(感想)

ミークス・カットオフ  MEEK'S CUTOFF
2020年 アメリカ 103分
監督:ケリー・ライカート
出演:エミリー・テセロ(ミシェル・ウィリアムズ)、スティーブン・ミーク(ブルース・グリーンウッド)、ソロモン・テセロ(ウィル・パットン)、ミリー・ゲイトリー(ゾーイ・カザン)、トーマス・ゲイトレー(ポール・ダノ)、グローリー・ホワイト(シャーリー・ヘンダーソン)、ウィリアム・ホワイト(ニール・ハフ)、ジミー・ホワイト(トミー・ネルソン)、インディアン(ロッド・ロンドー)

周辺の西部劇ファンからは不評な作品だが、いや、それなりに見ごたえはあるだろうと思って、早稲田松竹のケリー・ライカート特集で見た。
1845年、オレゴン。新天地を求めて西部へ向かう3家族の旅の様子を描く。
広大な西部の荒野、幌馬車、馬、銃、開拓者たち、西部の案内を務めるスカウト、はぐれインディアン、と西部劇の要素がたくさんあるので西部劇なんだろうが、岩場の銃撃戦も、無法者たちの仲間割れも、インディアンの襲撃も、酒場の殴り合いも、1対1の決闘も、縛り首も、保安官と保安官事務所と牢屋に拘留される酔っ払いも、馬の疾走も、スタンピードも、ガンマンと淑女あるいは酒場女との恋も、ない。
西部を目指す、テセロ夫妻、ゲイトリー夫妻、ホワイト夫妻とその息子の3組の家族は、ひたすら黙々と砂漠を進み続ける。案内人のミークは馬に乗り、男たちは幌馬車を駆るが、馬車は荷物でいっぱいで、乗れない女たちは長いスカートのすそを引きずって、ひたすら歩く。
タイトルのカットオフは近道の意味。どうやら、彼らは幌馬車隊にいたが、近道を知っているというミークの言葉を信じて隊とは別行動をとったらしい。が、2週間で着くと言われた目的地に5週間経っても着けないでいる。ミークが道に迷ったのでは、あるいは近道なんかないのでは、という疑惑が彼らの中に芽生えているが、ミークは意に返さない様子である。やがて、水が尽きそうになるが、水場も見つからない。
そんな中、カイユート族のはぐれインディアンに遭遇する。狂暴な種族だから殺そうという男たちをテセロ夫人のエミリーが止める。インディアンなら地理に詳しく、水場も知っているはずということで、彼に案内をしてもらおうとするが、まったく言葉が通じない。
通常の西部劇であれば、案内人はインディアンの言葉は多少わかっていて通訳の役目も果たすのだが、ミークはちんぷんかんぷんでここでも役に立たない。インディアンはけっこう長々としゃべるし、祈りの言葉のような唄も唄うが、だれも意味がわからない。エミリーは、インディアンに近づき、貸しを作るためだと言って、ほころびていた彼の靴を修繕してやるが、修繕し終わった状態の靴は画面には出てこない。いろいろと説明不足な映画で、それが悪いということではないが、一貫して登場人物たちが求める答えや結果はあいまいなままだ。だが、直した靴を履くインディアンの足元くらいは見たかった気がする。
この映画は、女から見た西部劇、男たちがヒーローを気取ってドンパチやってる間、女たちは黙々と退屈で過酷な日々の暮らしを営んできた、ということを伝えているのだ、といったことが劇場の解説文に書いてあった。そういう意味で歴史的な1作だと。
そう言われたら、西部開拓時代の女たちがどのような思いでどのようなことをしていたか、リアルなものを見てみたいと思ったし、物静かな開拓民家族のやりとりも見ていたかったし、夕陽に映える幌馬車隊、広がる荒野、馬と幌馬車の列を写す超ロングショットなど美しい画面にも惹かれたが、にも関わらず、頭では思っても、身体がついていかなかった。見ていたいのに、静かすぎて退屈過ぎて夜のシーンが暗すぎて、何度も寝てしまったというのが、正直なところだ。

 

f:id:michi-rh:20220124153735j:plain
f:id:michi-rh:20220124153352j:plain
f:id:michi-rh:20220124153819j:plain
早稲田松竹のケリー・ライカート特集