映画「マグニフィセント・セブン」を見る(感想)

マグニフィセント・セブン The Magnificent Seven
2016年 アメリカ 133分
監督:アントワー・フークア
出演:サム・チザム(賞金稼ぎ。デンゼル・ワシントン)、ジョシュ・ファラデー(ギャンブラー。クリス・プラット)、ヴァスケス(流れ者。マヌエル・ガルシア=ルルフォ)、グッドナイト・ロビショー(スナイパー。イーサン・ホーク)、ビリー・ロックス(暗殺者。イ・ビョンホン)、ジャック・ホーン(ハンター。ビンセント・ドノフリオ)、レッドハーベスト(戦士。マーティン・センスマイヤー)、
エマ(ヘイリー・ベネット)、テディ・Q(ルーク・グライムス)、バーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード

※7人のガンマンの俳優名の前にあるのは、宣伝チラシなどに載っていた肩書きだが、ちょっと違うかもと思う部分がなきにしもあらず。

★ちょっとネタばらしあり★

1879年、アメリカ、ローズ・クリークの町。
金鉱会社を経営する実業家のボーグは、事業の邪魔になる開拓民たちを町から追い出そうとして無茶な立ち退きを提案し、さらに用心棒のガンマンたちを使って教会に火をつけ、反発した住民を撃ち殺すという暴挙に出る。夫を殺されたエマは、開拓民仲間のテディQとともに、ボーグに対抗するため、すご腕のガンマンを探す旅に出る。
州をまたぐ犯罪取り締まりの委任執行官サム・チザムの仕事ぶりを見たエマは、サムに話をもちかける。サムはボーグを倒す仕事を引き受け、一緒に行く仲間を集め始める。酒好きで女好きのアイリッシュのギャンブラーで銃の腕も立つファラデー、お尋ね者のメキシコ人ヴァスケス、元南軍の狙撃手で南北戦争の英雄だったグッドナイトと、彼に付き従う東洋人の若きナイフ使いビリー、巨漢の猟師ジャック、はぐれアパッチの若者レッドハーベストらが集まる。

言わずと知れた、「七人の侍」(1954年)の西部劇版リメイク「荒野の七人」(1960年)のさらなるリメイクである。
「マグニフィセント」って一体何だと思った人は多いだろうが、「壮麗な」という意味の形容詞である。中学生のころ、「荒野の七人」の原題を調べた際に初めて知ったが、後にも先にもそこでしか見たことがない英単語である。この邦題は直訳でもない、単なる原題のカタカナ読みである。
「荒野の七人」は、昔、テレビで見て以来、とても好きな映画だ。(なぜか「流しの公務員の冒険」という本の感想でも書いたのだが、)私は子どものころテレビの洋画劇場で映画を見て育った世代である。当時、テレビでは毎晩何かしらの洋画をやっていて、西部劇も多かった。中でも、「荒野の七人」はたいそう盛り上がったものの一つである。そして、気持ちが高揚しているところに、親からオリジナルの「七人の侍」がいかに優れた映画であるか、それに比べたら「荒野の七人」はだめだめだとさんざんな言われようをされ、せっかくの気分を台無しにされるという辛い思いをしたものだが、同じ経験をした同年代の人は少なからずいるのではないだろうか。
七人の侍」は確かに素晴らしい映画だと思うが、「荒野の七人」は、7人それぞれにしっかりとした個性と魅力があり、特に侍たちには見ることのなかった合理的で俗物的で憎めない男ハリー(ブラッド・デクスター)が7人の中に含まれている点がアメリカ映画ならでは、敵の山賊カルベラ(イーライ・ウォラック)にも彼なりの男気があるのが往年の西部劇の悪役ならでは、さらに広大でからっとした西部を反映した軽快さ・明るさなどもあって、いろいろ行き届いたよい映画だと私は思っている。

さて、56年の歳月を経てのリメイクである。7人は、オリジナルの面々に必ずしも一致はしない。
リーダーは黒人、ナイフ投げは韓国人、そして最後に加わるのは弓矢の名手のインディアンと、人種のるつぼアメリカを前面に出した人物設定である。が、しかし、それでおもしろくなっているかというとこれが特にそういう様子でもないのである。
たしかに、クリス・プラット演じるファラデーは、昨今希少な陽気で頼りになる西部男、個人的には久方ぶりのどストライクのキャラクターで大いに魅了された。また、狙撃手としてのトラウマにさいなまれるグッドナイトと彼を慕うビリーの2人組もなかなかよかった。世間的にはエマが好評のようで、夫を殺された不幸な未亡人から銃を手にして毅然とした女になっていく様子もなかなかよい。が、ヴァスケスやジャックやレッドハーベストについてはもっと人となりを見たかったし、町の人とのやりとりももっとちゃんと描いてほしかったし、なによりチザムについては、最後のネタばらしによって彼が何を思ってここまできたのか判断がつかなくなって戸惑う。また、ボーグが山賊でなく実業家なのもだいぶ残念である。ということで、物足りないところはある。
銃撃戦はかなり気合が入っていた。また、7人それぞれの銃や武器の扱い方がバラエティに富んでいて、おもしろい。(ちなみにファラデーのニ丁の銃の挿し方は、右側が通常の抜き方で抜ける向き、左側は逆向きになっているが、これはまず右手で右の銃を抜いて撃ち、弾がなくなったら左側の銃を右手で抜いて使うためだそうです。byトルネード吉田氏。)しかし、敵の数を増やせばいいというものではない(同様のことは「十三人の刺客」のリメイク版でも「ジェーン」でも思った)。多すぎる敵に対しては予め爆弾をしかけておいて出鼻にできるだけ大勢倒すという方法くらいしかない(「ジェーン」でもそうだった)。 それと、ボーグが「あれを出せ。」と言うのを聞いたときも、それまでなんの前振りもなかったが、まさかまたあれかと思ったら、やっぱりガトリング銃だった。「続・荒野の用心棒」での初登場の際はかなり強烈な存在感を放っていたが、昨今はあちこちで見かけすぎて、もういいよという感じだ。(「ジャンゴ 繋がれざる者」で出さなかったタランティーノはさすがである。)敵の顔が見える適度な人数による銃の撃ちあいが西部劇の味ではないかと思うのだ。
最後の最後でなつかしいテーマ曲が流れたのはうれしかった。ここで来るかという感じ。1人1人の顔が順々に映し出されるクレジットも、よかった。

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