映画「スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け」を見る(感想)

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け 

STAR WARS: THE RISE OF SKYWALKER
2019年 アメリカ 142分
監督:J・J・エイブラムス
出演:レイ(デイジー・リドリー)、カイロ・レン/ベン・ソロ(アダム・ドライヴァー)、ポー・ダメロン(オスカー・アイザック)、フィン(ジョン・ボイエガ)、チューバッカ(ヨーナス・スオタモ
ルーク・スカイウォーカーマーク・ハミル)、レイア・オーガナ(キャリー・フィッシャー)、ハン・ソロハリソン・フォード)、ランド・カルリジアン(ビリー・ディー・ウィリアムズ)、パルパティーン(イアン・マクダーミド)
C-3PO(アンソニー・ダニエルズ)、R2-D2、BB-8、D-O(J・J・エイブラムス)
ゾーリ(ケリー・ラッセル)、ジャナ(ナオミ・アッキー)、バブ・フリック、マズ・カナタ(ルピタ・ニョンゴ)、ローズ・ティコ(ケリー・マリー・トラン)、コニックス(ビリー・ラード)、チャーリー・ペース(ドミニク・モナハン)
ハックス将軍(ドーナル・グリーソン)、プライド将軍(リチャード・E・グラント)
ジェダイの声の出演>
ダース・ベイダージェームズ・アール・ジョーンズ)、アナキン・スカイウォーカーヘイデン・クリステンセン)、オビ・ワン=ケノービ(ユアン・マクレガー)、ヨーダフランク・オズ)、クワイ=ガン・ジン(リーアム・ニーソン)、メイス・ウィンドゥ(サミュエル・L・ジャクソン)、スノークアンディ・サーキス)、アソーカ・タノ(アシュリー・エクスタイン)、ケイナン・ジャラス(フレディ・プリンゼ・Jr)

★大雑把なネタバレあります!!★

 

エピソード7・8・9三部作の最終話にして、シリーズ9作の大完結編。
レイたちは、敵の正体を知る手掛かりを追って、次から次から次へといろいろな惑星に飛ぶ。話や場所がめまぐるしく変わるのでちょっとについていけなくなるところもあるが、楽しく見られた。レイがジェダイとしての修行に励み、途中から仲間たちとは別行動になって敵との対決を迎えるのは、ルークのときの話と重なると思った。
が、カイロ・レン、フィン、ポー・ダメロンらに比べ、前2作同様、彼女が人として無味無臭に見えてしまうのが残念だった。何者でもないのにフォースを持っているのがよかったのに、結局血筋が絡んでいたのも(それがなんであれ)、そんなにはおもしろく思えなかった。デイジー・リドリーはがんばっているのだが、自分に授かった特異な能力を受け入れて生きようとする心正しい若い女性という設定があるだけで、彼女の個性とか際立つ魅力とかがわたしにはあまり感じられなかった。前から見るとお団子をのっけたようなヘアスタイルと白いコスチュームは、何度となく仏陀を思わせ、その姿から思うに敢えて人間臭さを排除したのかもしれない。

だが、この映画の肝は、やはりシリーズ作品最終話ということ。なつかしい人やものや決めゼリフの再登場はまるで同窓会のようであり、第1作(エピソード4)から見てきた者にとっては、感慨深いものがある。
それだけにとどまらず、長い時を経て続いてきた、その背後に積み重なるものが、重量感を持って迫ってくる。カイロ・レンとレイの若い二人が悩み、ダメロンがレイアの後を継ぐなか、不変のロボット二体は相変わらずの名コンビぶりを見せ、かつての俳優が久しぶりのお目見えをし(今回はビリー・ディー・ウィリアムズとイアン・マクダーミド)、亡くなってしまった俳優(キャリー・フィッシャー)がCGで登場し、劇中で死んだことになっている人物らが幻影となって現れ(!)、たった一言二言のため歴代ジェダイがわんさかと声の出演をする(これは言われなければ気づかないが)、新旧虚実入り乱れて混沌とする様は、なんとも豪快である。

 <お決まりのセリフ> ibdbより
Lando Calrissian: I have a bad feeling about this.

Kylo Ren: I know what I have to do, but don't know if I have the strength to do it.
Han Solo: You do.
Kylo Ren: Dad...
Han Solo: I know.

 

映画「カツベン!」を見る(感想)

カツベン!

2019年 日本 東映 127分
監督:周防正行
出演:染谷俊太郎(成田凌)、粟原梅子/沢井松子(黒島結菜)、山岡秋聲(永瀬正敏)、茂木貴之(高良健吾)、内藤四郎(森田甘路)、浜本祐介(成河)、定夫(楽隊。徳井優)、金蔵(楽隊。田口浩正)、耕吉(楽隊。正名僕蔵)、青木富夫(竹中直人)、青木豊子(渡辺えり)、安田虎夫(音尾琢真)、橘重蔵(小日向文世)、橘琴江(井上真央)、木村忠義(警官。竹野内豊
二川文太郎(池松壮亮)、牧野省三山本耕史)、
「南方のロマンス」ヒロイン(シャーロット・ケイト・フォックス)、「金色夜叉」お宮(上白石萌音)、「椿姫」アルマン(城田優)、「椿姫」マルギュリット(草刈民代

無声映画が活動写真と呼ばれた大正時代。カツベン(活動弁士)を目指す青年俊太郎の奮闘を、レトロな背景満載で描いた、良質のコメディ。
子ども時代の俊太郎と梅子の出会いで映画は始まる。二人が遭遇する活動写真の撮影現場で、監督をしているのは、日本映画の父牧野省三だ。
俊太郎は、子どものころからカツベンに憧れ、売れっ子の山岡秋聲の真似をして独学でカツベンの技術を身に着ける。悪い仲間にだまされ、偽カツベンとして悪事に加わるも、仲間から逃れ、盗んだ金の入ったトランクを持ったまま、地方の映画館青木館に雑用として住み込みで働くことに。青木館には、女性に大人気のカツベン茂木(高良健吾が嫌味な二枚目を好演)がいたが、ライバルのタチバナ館は彼の引き抜きを企んでいた。館主の橘は金儲けのためなら手段を選ばない男で、俊太郎がいた窃盗団のリーダー安田とつながっているのだった。青木館には、俊太郎が憧れていた山岡秋聲もいたが、落ち目の山岡はいつも飲んだくれて昔の面影は微塵もなかった。ある日、彼のピンチヒッターとして、俊太郎はついにカツベンの技を披露する機会を得る。
良く練られた脚本により、話は無駄なく小気味よくすいすいと進む。
二つの部屋の境目にあるタンスのギャグや、タチバナ館での梅子奪還のための大男との格闘、大金の詰まったトランクの遍歴、ラストの映画館での騒動からの自転車2台と人力車による追いかけと、無声映画を意識したドタバタがいろいろと盛り込まれている。
破れたスクリーンの向こうで去る2人がすっぽり映画の画面にはまったり(これはやりすぎという感じがしないでもないが)、梅子の蜘蛛嫌いや思い出のキャラメルがここぞというところで出てきたり(梅子と再会した俊太郎が、蜘蛛によって初めて梅子に気づくのでなく、「やっぱり」と確認するのがいい)、終わりの方で駅のホームで梅子に声を掛けた監督は二川文太郎でその時脚本を持っていた映画「無頼漢」は、のちに阪妻阪東妻三郎)主演の「雄呂血」となり、クレジットではその「雄呂血」の画面がずっと流されるなど、心憎いアイデアが次から次へと繰り出される。
敢えて言えば洒脱すぎて熱っぽさに欠ける気もするが、初めから終わりまで楽しく、特に映画好きにはうれしい一本だった。

映画「エンド・オブ・ステイツ」を見る(感想)

エンド・オブ・ステイツ  ANGEL HAS FALLEN

2019年 アメリカ 121分

監督:リック・ローマン・ウォー

出演:マイク・バニングジェラルド・バトラー)、トランブル大統領(モーガン・フリーマン)、カービィ副大統領(ティム・ブレイク・ネルソン)、サム・ウィルコックス主席補佐官(マイケル・ランデス)、ジェントリー(ランス・レディック)、ヘレン・トンプソンFBI捜査官(ジェイダ・ピンケット・スミス)、ラミレスFBI捜査官(ジョセフ・ミルソン)、リオ・バニング(パイパー・ペラボ)、クレイ・バニングニック・ノルティ)、ウェイド・ジェニングス(ダニー・ヒューストン

大統領付きの凄腕シークレット・サービス、マイク・バニングを主人公とするアクション・シリーズ第3弾。前の2作は見ていないが、上映終了寸前に衝動鑑賞。

シークレット・サービスとして能力を発揮してきたバニングだが、身体を酷使したツケが回ってきて最近は体調不良に悩まされていた。仕事先や家族に内緒で鎮痛剤を常用するようになっていて、シークレット・サービスの次期長官として期待されていたが、自身では引退を考えているのだった。

そんなある日、湖で釣りをしている大統領を、ドローンの一群が襲い、激しい爆撃をしかけてくる。警備要員は、バニング以外全員即死、大統領はバニングのガードのおかげで一命をとりとめるが、昏睡状態に陥ってしまう。さらに、バニングは大統領暗殺未遂容疑でFBIに拘束される事態に。現場や自宅で彼を犯人とする決定的な物的証拠が発見されたのだった。

罠に落ちたバニングは、逃亡しながら、真犯人に立ち向かう。彼を追うFBI捜査官のトンプソンは、その有能さゆえにやがてバニングを犯人とすることに疑問を抱き始めるのだった。という、ありがちなストーリーだが、話は小気味よくアクション続きで進むので、どきどきわくわくしながら見た。

ふっくらほっぺのおじさんのバトラーが、ものすごく強いのがいい。ガソリンスタンドで素人に毛が生えたような民兵の男たちに見つかって銃を向けられるが、はなからこいつら全然おれの敵じゃねえという顔をして余裕綽綽なのが、痛快だ。

バニングが頼る老いた父親役で、白髪白髭のニック・ノルティが登場。ベトナム帰還兵で心を病み、妻子を捨てて、山奥の小屋で隠遁生活を送っている孤独な老人だが、地下に抜け道のトンネルを掘り、小屋の周囲には爆弾をめぐらすなど、戦う気まんまんである。彼が最後まで活躍するのはよかった。

見る端から忘れていくような、豪快なアクションばか活劇。やはり、個人的には、「ジョーカー」とかより、こうゆう方がよほど好きなのだった。

関連作品:「エンド・オブ・ホワイトハウス」(2013)、「エンド・オブ・キングダム」(2016)

「屍人荘の殺人」を読む(感想) 

屍人荘の殺人 
今村昌弘著(2017) 東京創元社

映画化に当たって、2018年8月に書いた感想をアップしました。

★注意! 犯人のネタバレはしていませんが、特異な設定や事件の状況についての説明はしています。

 

 


山奥や孤島の館に人が集まって、嵐や大雪などで交通が遮断され、孤立した状態の中、連続殺人事件が起こる。その場に居合わせた探偵が、トリックを見破り、犯人を言い当てる。といった、本格推理小説によく出てくる孤立した状態のことをクローズドサークルというらしい。
本作は、嵐でもなく大雪でもなく、バイオテロによるゾンビの大群の襲撃という、SFホラー的怪事件によってクローズドサークルが形成されるという点がひどく斬新である。
湖の近くの山荘「紫湛荘(しじんそう)」に集まったのは、神紅大学映研の部員(男子2名女子3名)とそのOBら(男子3名)、演劇部員(女子2名)、そして呼ばれたわけではないのに無理やり加わった同大学ミステリ愛好会の男子2名、彼らと行動を共にする探偵少女1名の計13名の若者と、館の管理人(男1名)である。
金持ちのドラ息子で映研OBの七宮は、一族が所有する山荘を貸し切って友人と後輩の学生たちを招待していた。OBたちは、映研部長の進藤に(レベルの高い)女子部員を連れてくるよう強要していた。一応撮影を名目としたこのような催しは1年前にも行われ、その後、参加した女子部員の一人が自殺し、一人が大学を辞めるという事態が起こっていた。
下心丸出しのOBたちの態度に、招待された美女たちの多くは嫌悪感を抱く。
やがて、近くで行われていたロックフェス会場で大掛かりなテロが発生、5万人の観衆にウィルスがばらまかれ、感染した者がゾンビとなって人々を襲い始める。ゾンビにかまれた者はゾンビになってしまうので、感染は急激に広がっていく。
その夜、嫌がる女子たちにお構いなく男女ペアでの肝試しを決行していた神紅大学の面々は、山を越えてくるゾンビの群れに遭遇、命からがら山荘内に逃れるが、仲間の何人かは襲撃に遭ってゾンビと化す。ゾンビたちは館の周辺を取り囲み中へ侵入しようとするも、知性がなく身体能力も極度に低い彼らは階段を上ることも満足にできないため、山荘内に閉じこもっていれば、当面は安全なのだった。
が、その夜、館内で、殺人事件が発生。映研部長の進藤が自室で惨殺死体となって発見される。そして部屋のドアの下には「ごちそうさま」と書かれたメモが。ゾンビは部屋には入ってこられないはずであり、メモを書くような知恵もないはずだが、死体はどう見てもゾンビに食い殺されたとしか思えない状態だった。
話は、ミステリ愛好会の葉村の目を通して語られる。ミステリ愛好会といっても部員は2人きりで、彼が師と仰ぐその名も明智恭介という先輩は、なんと事件発生直後にゾンビにやられて、あっけなく退場してしまう。明智を失った悲しみにくれる間もなく連続殺人事件が起こり、彼は、数々の事件を解決したことのある少女探偵剣崎比留子とともに、事件の謎を追うのであった。
どんくさい動きとはいえゾンビたちは、じわじわと迫ってきて、葉山たちの安全ゾーンは、徐々に狭まっていく。外部からの脅威を受けつつ、内部では連続殺人発生というダブルの危機にさらされる中、比留子は冷静に犯人を探り当てていく。
「フーダニット(誰が)」「ハウダニット(どのように)」にこだわる葉山に対し、比留子は「ホワイダニット(なぜ)」に強い興味を持つと言うが、この事件での「なぜ」と次に誰が殺されるかというのはすぐ明らかになり、比留子たちの謎解きは主に「どのように」に対して行われる。比留子の謎解きは、気持ちよく筋道が通っている。ヒントも前もってちりばめられ、ゾンビさえ受け入れられれば、きっちりした推理小説として楽しめると思った。
しかし、人間ドラマとしては深みに欠けるように思われ、犯人が殺人に至るいきさつも動機も通り一遍で、OBの立浪が語る自分の不幸な生い立ちや、葉山が突然見せる火事場泥棒への嫌悪も、取ってつけたように感じられた。ライトノベルっぽいノリがあって、わたしなんかが読むと少々気恥ずかしい部分もあり、特に比留子が髪をいじるしぐさの念入りな描写などは個人的な感覚でいうとキモいと思ってしまった。

映画「ジョーカー」を見る(感想)

ジョーカー JOKER

2019年 アメリカ 122分

監督:トッド・フィリップス

出演:アーサー・フレックス(ホアキン・フェニックス)、マレー・フランクリン(ロバート・デ・二―ロ)、ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ)、ペニー・フレック(フランセス・コンロイ)、ランドル(グレン・フレシュラー)、ゲイリー(レイ・ギル)、トーマス・ウェイン(ブレット・カレン)、ブルース・ウェイン(ダンテ・ペレイラオルセン

★映画の内容に触れています★

 

※ちょっと奥歯にものがはさまったような感想になってしまいました。

バットマン」シリーズに登場する悪役ジョーカーがいかにして生まれたかを描く。
ゴッサム・シティの貧民街で、病弱な老母と二人で暮らす青年アーサーは、コメディアンになる夢を持ち、芸人を派遣する事務所に所属し、ピエロに扮して営業に出て日銭を稼いでいた。彼は以前は入院していたようだが、今は退院して、市の福祉支援サービスによって定期的にスタッフと面談している。
「ジョーカー」と言えば、古くはジャック・ニコルソン、新しくはヒース・レジャーが演じ、いずれも評判となった強烈な悪役である。“悪い”ピエロがひょうひょうとおどけ踊る姿は、鬼気として迫力があった。
が、心の病を抱えて7種類の薬を飲んでいるとか、笑いだすと止まらない病気の症状が出て本人は全然笑いたくないのに延々とひきつった笑いを続けなきゃならないとか、母親にも自分にも妄想癖があるとか、心優しい青年がひどい環境の中で追い詰められて精神を病んでいく様子が描かれ、そんなようなことが「ジョーカー」の背景にあったのだと言われても、なんだかなあというのが正直なところである。
混乱する路上で車上に立ち暴徒の喝采を浴びるピエロの扮装のアーサー、これぞ「ジョーカー」誕生の瞬間なのだろうが、そしてホアキン・フェニックスの立ち回りは確かにとてもかっこいいのだが、わたしには、それほど突き抜けるものが感じられなかった。このジョーカーが、これまで見たジョーカーたちのように悪意に満ちた笑顔で、警察陣やバットマンに向かって、おどけてみせる姿はあまり想像できないのだ。
やがてバットマンとなる少年ブルース・ウェインも登場する。こちらは、終始にこりともしない陰気な様子が、大人になってからの彼を彷彿とさせていた。
この映画はだいぶヒットしているようである。映画全体を通して現実とアーサーの妄想との境界があいまいに描かれているのが興味深く、ラストの方、ピエロ姿のアーサーがパトカーで護送される際に街で暴徒化するピエロたちの群れを目にするシーンは印象的で、そうした作劇的に秀逸なところが評価されているのならいいのだがと思う。

話題の中国SF「三体」を読む(感想)

三体

劉 慈欣著 (リウ・ツーシン りゅうじきん) (2008)
監修:立原透耶
翻訳:大森望、光吉さくら、ワン・チャイ
早川書房(2019) (キンドル版購入)
※末尾に登場人物一覧あり

 ★注意! 物語の内容に触れています。「三体」を読んでいろいろ驚きたい人は、読む前にこの感想は読まない方がいいです! それともろに文系なので、理系的な解説はありません。★

 

 

 

 

話題の中国SF。異星人とのファースト・コンタクトを扱っている。
ファースト・コンタクトものというと、カール・セーガンの「コンタクト」もそうだが、主人公の内面のことが出てきて哲学的心理学的な要素が多かったりして、わたしとしてはそうしたことにさほど面白みが感じられずにいた。しかし、「三体」は、かなりぶっとんでいて、好きである。
でも、この小説はどうも一気にたくさん読めなかった。通勤電車の20分で少し読み進もうとしても読めない。前に読んだことを忘れているので、思い出すために読み返しているうちに電車が着いてしまう。休みの日にじっくり読もうと思っても、1章読むともうお腹いっぱいになってしまう。「三体」というヴァーチャルゲームの世界を描いた章がいくつかあるが、それぞれで短編をひとつ読み終えたような気になって、その日はその消化だけで終わってしまうといった感じだ。それでも、ようやく読み終わった。おもしろくないのではない。理解力の問題だと思うが、とにかくすいすい読めないのだ。

話は、文化大革命の時代から始まって、主人公のひとりイエ・ウェンジエの境遇が描かれた後、時代は一気に飛んで現代へ、そのあとまたウェンジエの過去の話に戻るなど、時代を行ったり来たりする。
ウェンジエは、理論物理学者の父親が文化大革命紅衛兵たちに糾弾され惨殺されるのを目の当たりにする。その後、彼女は天体物理学者としての能力を買われ、大興安嶺(だいこうあんれい)の山上にある謎の軍事施設紅岸基地でほぼ囚われの身となって仕事をすることとなる。巨大なパラボラアンテナがいくつも並ぶ基地は別名レーダー峰と呼ばれ、そこでは極秘裏にある計画が進められていた。それは宇宙人へのメッセージの送信であったが、宇宙からの返信はなかった。ある日、太陽のエネルギー増幅機能に気付いたウェンジエは、内緒で、強力に増幅されたメッセージを宇宙に向かって送信する。それから数年後、ウェンジエは、かつて自分が送ったメッセージに対する応答を受信する。彼女は、その応答に対し、すぐさま迷わずさらなる返答のメッセージを送る。この異星人からの応答とそれに対するウエンジエの返答が、そんじょそこらのSF小説にはみられないような、とんでもない内容で驚く。ウェンジエの異星人への返答は、文化大革命で惨劇を経験した彼女ならこうもするだろうと思わせるところもまたすごい。

一方、もう一人の主人公ワン・ミャオは、ナノマテリアルを開発する現代の科学者である。なにも知らない彼の視界に突然、謎の数字(ゴーストカウントダウン)が現れ出す。数字の正体を探る彼は、ある地球規模の危機について議論する国際会議に呼ばれ、科学境界(フロンティア)という学術協会への潜入を依頼され、境界の一員シェン・ユーフェイがプレイしていた謎のヴァーチャルゲーム「三体」にログインしてその世界を体感し、オフ会に呼ばれ、地球三体協会(ETO)の存在を知る。

タイトルの「三体」は、古典力学の「三体問題」から来ている。天体力学においては3つの天体が互いに万有引力を及ぼし合いながらどのように運動するかという問題で、18世紀中ごろから活発に研究されてきたが、超難問らしい。

メッセージを送ってきた異星人は三体人。三重太陽という非常に過酷な環境にある星の住人である。
ヴァーチャルゲームの「三体」は、その三体世界の周知のためにつくられたものであるが、本小説においては、何よりも、このゲームの強烈なイメージに圧倒される。広大無辺の不毛の荒野を舞台に、ピラミッド、巨大な振り子、地球の球体モデル、飛び交う飛星といった不可思議な物体が配置され、周の文王、墨子ガリレオニュートンジョン・フォン・ノイマン(数学者)、アインシュタインなど歴史上の人物が次々に現れて太陽の動きを解明しようとする。「恒紀」「乱紀」「脱水体」など異様な用語が出てくるが、中でも際立つのは、始皇帝が叫ぶ「計算陣形!」だ。「コンピュータ・フォーメーション」とルビが振ってあったが、ここは日本人なら「けいさんじんけい」と呼ぶべきだろう。(個人的には、映画「シン・ゴジラ」の「無人在来線爆弾」と同じくらいツボにはまってしまった。漢字の文化がある国に生まれてよかったとつくづく思った。)名称も去ることながら、三千万の兵でつくる三十六平方キロメートルに及ぶ人力のコンピュータ・マザーボードという発想が、途方もない。(この「計算陣形」は、中国SFアンソロジー「折りたたみ北京」に所収されている、同作家による短編「円」にも出てきて、円周率を求めるために始皇帝がこの陣形を利用する様子が描かれている。)
後の方で出てきた「古箏作戦」もまためちゃくちゃである。動く第二紅岸基地である船「ジャッジメント・デー」号から、異星人のメッセージを奪取するため、パナマ運河の隘路で超強力なナノマテリアルの糸を使って、この巨大船舶を攻撃するのだが、これがなんとも情け容赦のない力技の戦法なのだ。
さらに、高次元のものを低次元にするとものすごい容量を得られるという、読んでもよくわからない「智子」の理屈。(「スフォン」とルビがつくが、どうしても「ともこ」と読んでしまう。)

とにかく、スケールがでかい。訳者の大森望氏は、あとがきで「カール・セーガンの『コンタクト』とアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』と小松左京の『果しなき流れの果に』をいっしょにしたような、超弩級の本格SF」と書いていて、それも重々納得だが、わたしとしては「完訳三国志」(「三国志演戯」の直訳)を読んで感じた大陸的な身も蓋もなさと、諸星大二郎の時空を超える伝奇マンガの不気味さと、量子論を扱ったいわゆるバカSFの荒唐無稽さなどが感じられ、さらに「沈黙の春」や地球温暖化などの環境問題も絡んでいて、いろんな分野を知っていればいるほど楽しめそうだと思った。
三部作だが、ひょっとして第一作が一番おもしろいのではないかという危惧がある。それを裏切って、さらに思いもかけない展開があることを願って、二作目三作目の翻訳を待つ。

<関連作> ※未翻訳
三体II:黒暗森林(2008)
三体III:死神永生(2010)

<登場人物>
葉文潔(イエ・ウェンジエ ようぶんけつ)天体物理学者 
葉哲泰(イエ・ジョータイ ようてつたい)理論物理学者 ウェンジエの父
紹琳(シャオ・リン しょうりん)ウェンジエの母
葉文雪(イエ・ウェンシュエ ようぶんせつ)ウェンジエの妹 紅衛兵
雷志成(レイ・ジーチョン らいしせい)紅岸基地政治委員
楊衛寧(ヤン・ウェイニン ようえいねい)紅岸基地最高技術責任者 ウェンジエの夫
汪淼(ワン・ミャオ おうびょう)ナノマテリアル開発者
楊冬(ヤン・ドン ようとう)ウェンジエの娘 故人
丁儀(ディン・イー ちょうぎ)楊冬の恋人 理論物理学
常偉思(チャン・ウェイスー じょういし) 作戦指令センター陸軍少将
史強(シー・チアン しきょう)通称大史(ダーシー) 警官
申玉菲(シェン・ユーフェイ しんぎょくひ)中国系日本人 物理学者 地球三体協会救済派
魏成(ウェイ・チョン ぎせい) 数学の天才でひきこもり ユーフェイの夫 三体問題に夢中
潘寒(ファン・ハン はんかん) 地球三体協会降臨派
マイク・エヴァンズ 地球三体協会降臨派の中心人物
スタントン大佐 アメリ海兵隊 古箏作戦指揮官

 

中華SF三部作の二作目「三体Ⅱ 黒暗森林」を読む - みちの雑記帳

中華SF三部作の完結編「三体Ⅲ 死神永生」を読む(感想) - みちの雑記帳

三体

三体

 

 

電脳小説「ヒッキーヒッキーシェイク」を読む(感想)

ヒッキーヒッキーシェイク

津原泰水著(2016年)
ハヤカワ文庫(2019年)

★ネタバレしてます★

(10/28 一部更新)

アマゾンでお勧めされて衝動買い。文庫化に当たって出版社側といざこざがあったらしいけど、それは置いておく。不思議なテイストの小説。

ひきこもりカウンセラーの竺原の声掛けにより、4人の引きこもりが共同してある電脳プロジェクトに取り組む。プロジェクトの目的は、「不気味の谷を越える」こと。

自ら詐欺師と称する竺原は、うさん臭さがぷんぷんとする50代の男。彼が声をかけるヒッキー(ひきこもり)たちは、タイム、パセリ、セージ、ローズマリーと呼び名をつけられる。このハーブの名称の羅列を見れば、竺原と同年代で、条件反射的にサイモン&ガーファンクルの「スカボロ・フェア」のメロディが頭をよぎる者は少なからずいるはずだ。そして、追い打ちをかけるかのように、同曲の歌詞が章の終わりごとに引用される。

パセリ(乗雲寺芹香)は、18~19歳のハーフの女の子で美術の才能がある。西洋人の落語家という有名人を父に持ったため、西洋人の容貌をしていてかなりの美少女らしいが、中身は日本人で英語も全く話せず、容貌と中身のギャップに悩んでいる。セージ(刺塚聖司)は大人の男で、学会で研究発表をしたこともある高学歴の技術者。実家の敷地に建てられたちょっと風変わりな建物に一人で住んでいる。タイム(苫戸井洋祐)は中学生の男の子で音楽に興味がありベースを弾き、パソコンで作曲もする。竺原いわく、タイムが「一番大人だが、症状は一番やばく」て、人に見えるものが見えず、見えないものが見えたりする。ローズマリーは、ロックスミスと呼ばれるハッカー中のハッカーで、最後まで性別も氏名も不明。卓越したネット技術?を持つ。

不気味の谷を越える」とは、「人間を創る」ことで、つまり、CGで人をつくっても細かいところにこだわるほどに人ではない「不気味さ」が生じてしまう、その不気味さを感じさせないリアルな人間を創る、ということらしい。

それが最初のプロジェクトで彼らは「アゲハ」という美少女の創造に取り組む。

続いて、第二段は、竺原の故郷の町に小さな象のようなUMA(謎の生物)「ユーファント」が出現するという話をでっちあげる。この計画は過疎化が進む村の地域おこしへと発展していく。

ところが、「アゲハ」から「ウォルラス」という有害なサイトへ誘導する仕掛けが何者かによってしくまれる。そのサイトの映像を見た者は体調を崩し、吐き気と頭痛に襲われる。コンピュータウィルスではなく、リアルに人体に感染するウィルスである。

犯人は「ジェリーフィッシュ」と名乗る者だとわかる。竺原とヒッキーたちは、「ウォルラス」による感染を阻止するため、ジェリーフィッシュが関心を持ちそうな「ロボットアニメ」を作ってネットに上げ、彼をおびき寄せる作戦に出る。

電脳世界のことはよくわからないので、なんだかあまりよく実感のわかないふわふわした感じでしか読めない小説なのだが、すいすいと読みやすくはある。

「ヒッキー」たちのそれぞれの事情と、プロジェクトに関わることがきっかけとなってちょっとずつ外の世界に向き合っていこうとする様子が描かれていくのが、なかなかよく、引きこもりという言葉から連想される閉塞感とは反対に、不気味の谷、渓谷に出現する小さな象と言ったイメージが、そこはかとない解放感を感じさせる。(「不気味の谷」とはネット世界では知られる用語らしいが、初めてそれを知った者としての字面からのイメージである)。

竺原という、どうみてもうっとうしそうな中年男にあまり嫌悪感を覚えないのも不思議だ。が、物語のふわふわ感を強めているのは、「アゲハ」でも「ユーファント」でもなく、この竺原のとらえどころのなさと、ローズマリーの存在である。神出鬼没の伝説のハッカーが登場することで、物語は一気にマンガ的になり、荒唐無稽さを増す。

竺原の言動の真意が明らかになっていくにつれて、うさん臭ささはなくなっていくが、彼の事情の暴露は、途中から予想できなくもなく、夢の世界から地に足のついた現実世界に戻されたような気にもなり、もう少し奇想天外な展開になってほしかったようにも思う。

 

ヒッキーヒッキーシェイク (ハヤカワ文庫JA)